翌々日16日未明の1:25頃に、最大震度6強(M7.3でこちらが本震とか)など、
規模の大きなゆれが続き被害が拡大しています。
亡くなられた方々に哀悼の意を捧げますとともに、
被害にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
東日本大震災から5年が経ちましたが、今度は熊本を中心とした九州中央部の大地震
日本列島の地殻は一体どうなっているのでしょう・・・
TVに流れる惨事を見るだけで、頭がクラクラしてきます。
昨夜18日の21時頃には、又TVで緊急地震速報が流れ、私もオロオロ・・・
阿蘇地方と大分西部に震度5強の揺れがあったようです。
断層の活動がどんどん拡大しているようで恐ろしい
活断層は日本全国2000以上あると聞いています。
我が家近くの三浦半島なども二つの活断層が確認されていて、危険度も高いらしい
日本に住んでいる誰しもが「いつか我身にも降りかかる災難」と危惧し・・・
被災地の皆様の辛さや大変さも他人事とは思えません。
東日本大震災の時に世界中から称賛された
「奪略や暴動も起こらず、秩序正しく並んで食料や水を受け取る姿」に
私は今回も涙が出ました
2011年4月12日・南阿蘇の「一心行の大桜」
今回の熊本地震で大きな被害が出た「南阿蘇」の大桜を
私たち夫婦は5年前に見に行っているのですこちらです。
山の斜面が崩れ落ち、私たちも車で渡ったであろう「阿蘇大橋」も崩落
大学生始めたくさんの尊い命も奪われ、行方不明者もまだまだたくさんいるようです。
あの美しい山里の変貌をTVで見て、心を痛めています
私たち夫婦は東日本大震災の一ヶ月後に、大分空港からレンタカーを借りて
山並みハイウェーを走り「阿蘇くじゅう国立公園~黒川温泉~湯布院」を、四泊五日で巡りました。
オーストラリアのパース通いで貯まったマイレージが、20011年の2月に切れるとの知らせを受け
2ヵ月後の4月の日航便に切り替え予約して、利用することにしたわけです。
そこにあの東日本大震災・・・
行くのをためらいましたが、東電管内の電力不足による「計画停電」を経験し
「東電管内から逃れての電気節約も必要」「原発事故で外人観光客が来なくなった観光地にお金を落とすことも大事」
と解釈して出かけました。
実際一日目に泊まった「くじゅう長者原温泉・九重西鉄ホテル花山酔」では福島の避難所から
妹さんの居る福岡に身を寄せているというおばぁ様とお話しました。
「避難所生活の10日間はお風呂に入れなかった」と・・・
あの時の九州の温泉は、疲れ切った福島の被災者の心身を気持ち良くほぐしてくれたはず
今はどうなっているかと気にかかります。
2011年4月13日に訪れた「阿蘇神社」
今回崩れ落ちたこの神社の画像をTVで見て、ショックを受けました。
私たち夫婦は長者原温泉に一泊した後、百名山の「久住山」登山を楽しみこちらです。
(この時行った「久住山」が夫婦で登った百名山登山の最後でした)
下ってから南阿蘇の一心行の大桜を見学
そして阿蘇の米塚温泉で二日目の宿を取り、翌日の阿蘇観光の折に「阿蘇山」や「阿蘇神社」にも寄りました。
あの立派な神社が崩落とは
阿蘇神社は、この阿蘇地方の一の宮で九州には400社以上ある阿蘇神社の本宮です。
今では九州の「パワースポット」として有名になっているようでした詳しい説明はこちらで記しています。
夫が自分のカメラで撮った阿蘇神社前の私
一昨年の8月に突然逝ってしまった夫のファインダーを覗く視線を感じます。
5年前の東日本大震災後は、東北から遠い横浜でも停電が続き、
スーパーから水やお米が姿を消し、ガソリンスタンドも大行列
余震もしょっちゅうあり、地震酔いも経験しましたが・・・
熊本の余震はその比でないような大きさと回数で、体調を崩す方も多いかと案じております。
日本人の美徳の「助け合いの精神」で何とか無事に乗り切って欲しいと願っていますが
エコノミー症候群で命を落とす方も出てきて、車中泊での生活の怖さも知りました。
そんな私自身、5年前は夫が居たから停電などの不便な生活や物不足も乗り切れましたが
今の一人住まいで「もし首都圏直下型地震が起きたら」と考えると、不安で心臓がドキドキしてきます。
先日の嵐のような日曜日は、TVを見るたびに気分が落ち込み、
息子に「今までやめていた精神安定剤を飲んだ」とメールしたら、すぐに飛んできましたわ。
「もうTVなど観るな」と注意され(そうもいかず見ていますが・・・)
昨日の夫の月命日にお墓参りに行ったら少し気持ちも落ち着きました。
被災地の方々が満足に寝る所もなく食べものや水にも事欠く中で、気丈にしているのに
私がこんな有様では恥ずかしい限りですね、反省です
日本全国活断層だらけですから、明日は我身と思うと怖いです。
yunさんのご主人さまも出張が多いのでしょうか?
一人が多いと不安になりますね。
taeさんと同じ安定剤を処方されていますが、できるだけ飲まないようにしていました。
でも「東日本大震災」の5年目での、TVでたくさん流れた被害の状況を見る機会が多かった三月頃から
季節の変わり目の影響もあり自律神経が乱れ始めて・・・
再び飲むようになりました。
心が弱い自分が許せないところもあって、痛しかゆしです。
雨と晴れ間の繰り返しで、雑草もあっという間に茂り、草取りに追われています。
不安がいっぱいの日々ですが、生命の逞しさも感じますね。
5年前に春の中九州をノンビリと巡りました。
太陽が燦燦と降り注ぎ、どこも花盛りの山間部でした。
地震が風景を一変したのがショックですが、早く収まって!と祈ることしかできません。
被災者の皆様は家が崩壊しても、生きていかなければなりません。
守るべき家族や店があれば、嘆いてばかりもいられないでしょう・・・
私にはそれがない!
せめて息子一家に迷惑がかからないようにと思うことのみで・・・
「頑張らねば!」という力が湧く源が見当たらないのが、シャンとできない原因と思っています。
私も同じ心情です、
ましてご旅行なさって訪れてる場所が?と思うと
心の痛いことですね、
まだ~東日本の大震災の癒えぬうち、
このような大きな地震とは・・・
いつ我が身にと思うと怖いですね、
安定剤は私も常に持ち歩いてます、
不安定な状態でいるより、薬に頼るのも良し~~と思ってます。
いい季節になりました!
どうぞ御身大切にお過ごしください^^
いつかは旅をしたいと思っていましたが・・・
それどころじゃなくなりました。
naoさんは行かれた所が多くて、あまりの変貌に呆然とされたでしょうね。
熊本には、ブログとFBで交流している友達がいます。
彼女も、連れ合いさまを突然亡くされましたが…
日用品のお店を経営していて、泣き暮れる暇も無かったです。
地震で棚は全て落ち、近くに住む息子さん一家は家が崩壊!
それでも、健気に頑張ってるとメールをくれました。
普通でも不安が増すから、貴女の心境は計り知れません。
でも今を生きることにしましょうね。またお喋りしましょうね。
家がつぶれなくても怖くて居られず、マイカーでの就寝になるのでしょう・・・
そしてエコノミークラス症候群!
中越沖地震の時も大変でしたね。
活断層は日本中にありますから、明日は我身と不安になります。
それにしても被災地に空き巣が横行とは許せない話です。
辛いニュースを見て心が痛くなり、お花を追って出かけたり、庭仕事や畑作業に熱中していました。
熊本や大分の風光明媚な風景を思い出します。
阿蘇は野焼きの後の黒い世界でしたが、それでも一面黄スミレが咲きだしていました。
あの大地が揺れ、建物が崩れたのかと思うと切なくなります。
紅さんの九州旅行も残念でしたね。
避難所くらしは大変だと思いますが、最初の揺れから10日が経ち、援助の品々も届きだしたと聞きます。
ライフラインも早く戻れますようにと祈るばかりです。
心が痛みますね!
14日の最初の地震の時に、連絡が撮れていた熊本の友人、連絡が途絶えて心配してましたが、
やっと連絡が取れてホッと致しました。
不自由な生活ながら元気で居るようでした。
水は近くの湧水、ガスはプロパンで凌いでいるとの事でした。
3月に上京されて、この連休明けに熊本旅行に誘って頂いてたのです。
旅行どころではなくなりました。
何もしてあげることは出来ません。せめて義捐金を送ろうと思います。
雨で被害が大きくならない事を祈りましょう。
前に進むためには元気でいなければと思います。
まずはTVから離れて外に出て、友とのイベントに参加することにいたします。
23日の街歩きは体力次第で考えたいと思いますが、ちょっと自信がないかなぁ~?
(べトナムから帰国した翌日に、秩父の山登りに出かけた山小屋さんは特別ですよ)
熊本のご友人、心配ですね。
山男なら(女?)、ボランティアで駆けずり回っているかも知れませんね。
それにしてもあの熊本城の姿には涙が出ますよ。
5年前は大分&熊本の山と温泉を中心に回りました。
あの時の旅行記は由布院から豊後高田に行った最終章を仕上げていません。
いつか思い出記としてUPしたいと思っています。
熊本地震も一週間が過ぎ、少しづつ大きな揺れも収まりつつあるような・・・?
ボランティアさんも受け付けだして、日本全国の支援も避難している皆様にスムースに届けられるといいですね。
雨の予報のお天気が気になるところですが・・・
遠方の私たちは家にこもることなく、今まで通りの経済活動をして、義援金を送ることしかできませんが
これからの復興を考えると、まずは日本を元気にすることが大事ですね。
どこか「津波は大丈夫!」という思いがありましたが、活断層の直下型地震となると「大いにありうる」と思ってしまいますね。
そしてその後の余震の大きさと頻度の多さには身震いしてしまいます。
戸建ての一軒家等は持ちそうにありません。
首都圏は人口も多いし、避難所に入れること自体難しいのでは?
そんなこんなを考えると眠れなくなりますので、まずは友との楽しい催しに参加することにいたします。
いわれています。
熊本と大分の湯布院に知人がいるので、連絡をとったら
無事だということでした。
但し、熊本の知人はパソコンメールでしか連絡がとれず
その後こちらからメールしても返事がありません。
湯布院の知人はLINEで連絡できます。
今日も連絡したら、そろそろ家の中の片づけをするともりだ
と話していました。
家にいてテレビばかりみていると健康にもよくありません。
ぜひ、外に出て歩いてください。
23日のプラン、参加しませんか?
やまなみハイウエイは走っていないかな?
阿蘇大橋も通ったような気がします。
nao♪さんは4泊ゆったり回られたんですね。
阿蘇神社 私も驚き涙がでました。
すっきりとした静寂の中に佇んだ素晴らしい神社でした。それが崩落とは・・・
思い出がなくなってしまいました。さみしいですね。
はやく再建されること願うばかりです。
nao♪さん あまり考え込まないでください。
今 できることがんばりましょうね。
3.11の時も関東甲信越などでも誘発されたと思われる地震が発生しましたが、
今回のように震度5・6・7が群発して起こるようなのは珍しいですよね。
長い歴史の中ではこれまでもあったそうですが、活断層による直下型地震の恐ろしさを見せつけられた思いです。
こちら方面では一番近くが「立川断層」です。
首都圏で起こったらどうなるのか、こんなに長く大きな地震が続いたら首都圏では生活できなくなってしまうでしょうね。
「南阿蘇」の大桜や阿蘇神社等など震災前の姿に戻れることを願いたいものです。
これだけの大きな余震が続く地震だと、木造家屋は持ちません・・・
あれやこれやを考えると眠れなくなりますので、できるだけ楽しいことをしようと思いますが、不安が上回ります。
一人だと心細いのですよね。
春の九州は花盛りで、温泉もよく良いところでした。
でも阿蘇などの高原は朝夕は寒くて、久住山の登山道は霜柱が立っていました。
避難所の寒さも気になっています。
一軒家に一人暮らしの私はそれだけでも気持ちがめげてしまいます。
どうなるかわからないことを考えてクヨクヨしてもしょうがないことですが・・・
連日のTV報道を見ているとおかしくなりそうです。
5年前のちょうど今頃、夫とレンタカーで自由気ままに廻った九州中部の4泊5日の旅は忘れられない思い出です。
どこも桜や桃の花盛りで、温泉もよかった!
あの雄大な風景が地震にやられるなんて考えられません。
あの時は東日本大震災の原発事故の影響と自粛ムードで、九州の観光地も火が消えたようでした。
今私たちができることは、悲しんで家にこもることではなく、せっせと経済活動をして義援金を振り込むことでしょうか?
わが地域は1400世帯に、避難用小学校が一つです。
ここでの収容は200人が限界!、
怪我をした人しか入れないので、各家は公的炊き出しが始まるまでの食料を用意しておく事と言われています。
でも・・・
今回の地震のように大きな余震が続いたら自分の家での生活は無理と悟りました。
そんなこんなを考えると、不安が膨らむばかりです。
被災地の方々を元気づけなければならない立場なのに、情けないです。
見るなと言われても気になりますしね~~~
もろもろの事を思い出し、これからの不安を思うと本当に心が折れますね。
美しい日本、安全な日本は過去のお話なのかしら?
熊本地震の収集はおろか、震源地の広がりも見せていて心が痛みます。
被災地の屋根のブルーシートを見ると、東日本大震災の時を思い出しますね。
kikiさん宅も同じだったでしょうか?
東京圏のライフラインは計画停電で電気が止まっただけだったので、大した苦労はありませんでしたが・・・
水がないということは本当に大変なことなのですね。
私たちにできることは義援金の振込くらいかな~と思っています。
ひたち海浜公園のネモフィラは例年より2週間早く咲きだしたとかで、私も写真仲間と先週末に行ってきました。
八分咲でしたから、今日あたりは満開だったと思います。
お天気も良くて素晴らしい景色が広がっていたことでしょう。
毎日のように震度5があっては木造家屋は持ちません。
暮らす人々が車に避難も分かりますが・・・
エコノミークラス症候群が怖いですね。
いづれはやってくる直下型地震、考えると
とても怖いですね。私一人の時に来たらどうしようと考えても仕方ないことに心を痛めております。テレビは見ないようにしてますが、どうしても気になります。
絶対許せないことは倒壊した家に空き巣が入ってものを持って行ってしまう人が居ると報道してました。家をやられてしまっただけでも大変なのにひどすぎますよね。
落ち着いて避難生活もできないですね。
一日も早く元気を出してほしいと思います。
早く終息すると良いですね。
阿蘇の雄大の景色がもう見られないですね。
毎日テレビを見て涙する以外何も支援できない自分が
歯がゆいです。先日せめて支援金をと振り込んできました
ご主人さまとの懐かしい思い出が今は無残な姿になってしまった神社やお城町並、とても心が痛みますね。
私も3年前位になるでしょうかハウステンポスへ行った時に熊本城を見学しました。美しい佇まいでした、とても残念です。
一日も早い復興をお祈りします。
そして、地震に対する不安な気持ちは、お一人だと余計だと思います。
テレビで観ている揺れを恐ろしい気持ちで眺め、1回でも体験しても怖いのに、大きいのだけで90回近くこの数日に体験しているのですものね。
関東地方も今すぐ起こっても不思議でないそうで、大都会でのこの人間の多さと、熊本のように農産物を自給自足できない都会の人々のことを考えたら、もうどうなるか、生きていけるかもわからないです。
毎日テレビをつければ地震のテロップが・・・。
早く収まってほしいものです。
年齢と共にだんだんしょい込めなくなって
心が折れかかっている自分がいます。
もう、祈る事しか出来ませんね。
5年前の恐ろしかった大地震 原発事故 そして津波
嫌な思い出が脳裏に浮かんできます。
テレビをかけると避難所でうろたえている方たち、何もできないでいる自分に苛立ちを感じますが、少しでも
行政で力を差し上げてもらいたいですね。
水が何よりも必要ですね。
私も5日間 水をもらいに行ってました。
主人と旅した湯布院 竹田市 友達と行った熊本など、あの地域の方が・・・・そう思うと心が痛みます。
そんな時に 明日 茨城のひたち海浜公園にネモフィラの花を見に行ってきます。
前からの予定に入れてました。
熊本地震 これ以上被害が大きくならないよう祈るだけです。
日本列島どうなっちゃうのでしょうね。