ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

とんだ 年の瀬

2024-12-28 13:30:14 | コロナ禍
 火曜日のことだ。
2か月毎に通院している眼科医院は、
いつものごとく会計までに2時間を要した。

 これまた、いつものことだが苦情も言えず、
イライラしたまま帰宅した。
 もう夕暮れが近づいていた。

 まだ、風邪が完治してないらしく疲れがあった。
夕食を済ませると、すぐにベッドに潜り込んだ。

 それから、30分が経っただろうか。
寒くて目覚めた。
 初めて経験するような、
凍えるような寒さで全身がガタガタガタガタと震えていた。

 横になったまま震え続け、
ベッドから起き上がっても、ガタガタが止まらなかった。
 体温計を脇に挟んだ。
いつもより終了音が遅く感じた。
 案の定、39.2度だ。
もしものために、時刻と体温をメモした。

 電気あんかを布団に入れ、羽毛布団の下に毛布を追加した。
足を丸め、あんかを抱えながら寝た。
 しばらくして、震えは止まった。

 その後は、頭と喉の痛みそれに咳が続き、眠れない時間が続いた。
3時過ぎだ。
 風邪で熱が出た場合にと処方してもらった頓服が、
そのまま残っていることに気づいた。
 「これだ!」とばかり、飲んだ。

 見事に効いた。
痛みが落ち着き始めた。
 同時に、眠った。

 朝方、パジャマがグッショリになっているのに気づいて目覚めた。
熱は38度になっていた。

 着替えると再び眠った。
またグッショリのパジャマで目覚め。
 熱は37.3度に。

 朝早く、家内がかかりつけ医の開始を待って受付へ。
その後、電話で容体を伝える。
 「いつでも来れる時に来て下さい」
と言う。

 1時間後、気合いを入れ、車を運転し病院へ。
受付を通り、患者で溢れる待合室に座る。
 すぐに看護師が来て、隔離用の部室へ行く。
「インフルエンザとコロナの検査をしますね」と、
なんとも対応の早いこと。

 それから、30分もかからず、医師が来た。
「ツカハラさん、コロナです」
 持ってきた検査キットを私に渡し、
「家では、家族と別の部室で過ごしてください。
お薬をだしますから、
あそこの指定した椅子に座って、待っていてください」

 その椅子に座るとすぐ会計に呼ばれた。
処方箋を貰い、近くの薬局へ。
 過去2回は、3時間もかかったが、
今回は1時間にも満たないで帰宅。

 だが、初めてのコロナだ。
今後に不安が膨らんだ。
 高熱、頭痛、喉の痛み、激しい咳が続いたが、
薬と私自身の回復力を信じた。

 2日間がすぎ、平熱で安定し始めた朝、
今度は、家内が同じ症状になった。
 マスクをし、家庭内隔離で過ごしたが、
感染した。

 同じかかりつけ医は、
「ご主人と同じ、コロナです。
お大事になさってください」。

 年の瀬にしたいことが残っていた。
でも、完治まで私は3日はかかるだろう。
 家内は、きっと新年を迎えるまでは・・・。

 年越しそばも、元旦のお雑煮もお預けかな。
とんだことになってしまった。
 情けない!




    久しぶりの快晴 ~元気になれそう~
                       ※次回のブログ更新予定は、1月11日(土)です
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11 月  東 京 滞 在 記

2024-12-21 19:38:26 | 出会い
 先週、体調がやっと回復に向かった。
ところが、自治会に大きな課題があり、
関係する役員29人に声をかけ、会議を開催した。
 まだ、完治していなかったが、
会長が欠席する訳にはいかなかった。

 会議は、2時間半に及んだ。
疲れた。

 そして翌日には、別件で市役所に出向き、
住民からの要望を伝え、行ったり来たり。
 忙しく動き回った。

 すっかり体力を消耗した。
案の定、夕食もそこそこに床についた。
 次の日は、終日横になり、眠り続けた。

 でも、まだ会長として求められた案件がある。 
キャンセルすれば、その分予定が詰まるだけ、
無理をして、頑張るしかない。

 こんな時こそ、楽しかったことを思い出し、
エネルギーにすることだ。
 『DIARY 24年10月・11月』でも記したが、11月に8日間も東京へ行った。
その日々を振り返ることに・・・。


  ① 周年式典・祝賀会に出席

 9月に地元小学校の150周年記念式典があった。
学校運営協議会委員として、参列した。
 150年と言う大きな節目だが、
歴代校長は、3代前までしか式典に呼ばれなかった。

 ところが、嬉しいことに、
私が退職した小学校からは、存命歴代校長全員に
90周年式典の案内状が届いた。

 なので、11月の90周年式典には、
私を含め5名の元気な歴代校長が出席した。

 懐かしい先生や保護者、地域の方々などと挨拶を交わし、
学校の現況を知るだけでも嬉しいのに、
こんなことがあった。

 校庭改修や校舎増築などがあり、
今までとは受付場所が変わり、若干戸惑っていた私に、
同じタイミングで受付を済ませた女性が、声をかけて来た。

 「わざわざ北海道からですか?」
顔に見覚えがあったが、すぐには思い出せなかった。
 「えぇ・・、昨日、飛行機で・・」

 女性はすぐに察してくれた。
「S町会のDです」
 残念だが、まだ思いだせなかった。

 それでも、その場を切り抜けようと、
「ああ、Dさんでしたね。ご無沙汰しています」
 軽く会釈した。

 「先生、全然変わりませんね。
お元気そうで、安心しました」
 その口調と表情から次第にDさんを思い出した。
「私ですか。いや、年とりました」
 ホッとした表情で、そう応じた矢先だった。

 「私、ずっと先生のファンでした。
あら、ごめんなさい。今もそうです。
ファンです」。

 「私のファン・・!」
突然のことで、対応できなかった。
 「毎月届く学校だよりを読んで、いつも・・」

 そこまで言うと女性は一礼し、
足早に、式場へ向かっていった。
 
 思いがけない贈り物だった。
幸せな気持ちが、式典と祝賀会を終えても残っていた。


  ② 日本一富士山に近いゴルフ場

 ゴルフを覚えてまもなく、
同世代の教頭4人で、毎月1回のゴルフ会を始めた。
 それは、私が伊達に移住するまで続いた。 

 その中の1人が、5年前に生まれ故郷の富士市に戻った。
そして、3年前になるだろうか。
 両親が残した実家をリニューアルし、古民家カフェを始めた。

 「いつかは、訪問するね」と約束しながら、
コロナ禍でもあり、足が遠のいていた。

 そして、今回やっと、東京から新幹線・こだまで新富士駅に下車。
出迎えた彼の車で、古民家カフェ『F倶楽部』へ。
 ご夫妻で用意する1日1組限定のランチをいただいた。

 夕食までは、これまた彼の車で富士市内観光。
田子の浦の工場群や茶畑を見て回った。
 至るところから富士山が見えていいはずなのに、この日は「残念!」。
空は、分厚い雲に覆われていた。

 さて、市内のホテルに泊まった翌日だが、
彼と家内、私の3人でゴルフを計画していた。
 予約してもらったゴルフ場は、
『日本一富士山に近い』が売りだった。

 早朝、ホテルのカーテンを開くと、
道を挟んだビルの上に、
大きな富士山の頂上が赤く朝日に染まっていた。
 思わず「おぉ-!」と声をあげた。
「こんな富士山を見ながらゴルフか!」
 ワクワクした。

 ところが、彼が運転する車でゴルフ場に向かうと、
富士山は、次第に雲に覆われ始めた。

 「晴れてると、ここからも富士山がよく見えるんだ」
彼は、そんなことを度々言った。
 
 約1時間のドライブで、クラブハウスに到着。
下車してすぐに、「見て見て!」。
 彼の声に促された。
上空の雲間に、巨大な富士山がそびえていた。

 富士山は、すそ野を広げた雄大な美しさに、
思わず「綺麗!」と声が出るのが常だ。
 ところが、このときは「すげぇー!」と、
私は歓声を上げていた。

 間近にせまる富士は、ゴツゴツと猛々しい山肌で、
しかも、険しい勾配でそびえ立っていた。

 ラウンド中も、雲に邪魔されたが、
時折雲間からの姿は、まさに荒々しい富士だった。

 日本一富士山に近いゴルフ場から垣間見た富士には、
穏やかな神々しさとは無縁だった。
 それよりも想像を越え、
私を力づけても、まだ有り余る力強さであった。

 帰り際、もう一度振り返り、富士を見上げた。
やっぱり再び「すげぇ-」と言っていた。

 
  

     雪道 烏が食べ残した柿      
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続・待合室 ウオッチ

2024-12-14 10:08:10 | 出会い
 風邪で10日間以上も寝たり起きたりをくり返すなんて、
今までにあっただろうか。
 朝から着替えをして、
起きていられるようになったのは、2日前からである。
 
 最初にかかりつけ医で診察を受けた時、
喉の細菌検査とレントゲン検査をした。
 レントゲンはすぐに結果が分かり、肺に異常はなかった。
細菌の結果には数日かかると言われた。

 それでも今の症状に応じた薬が処方された。
丁寧に診察する医師は、
「薬が合わないようでしたら、遠慮なくいつでも来院してください。
別の薬を出しますから」と。

 回復に向かわなかったので、
4日後に再び診察を受けることにした。
 細菌検査の結果も分かった。
さほど重大な菌ではないが、
通常ではいないはずの菌が見つかった。
 それに対応する抗生剤の飲み薬に切り替えてくれた。

 いつだって投薬には生真面目な私である。
毎食後用、朝夕食後用、夕食後用、就寝時用
それに毎食間用の計9種類を、
「きっと良くなる」と信じて、忘れず飲み続けた。

 すでに7日間分の全てを飲みきった。
やっと喉の痛みも頭痛もなくなった。
 後は、体力の回復を待つだけだが、
それには、まだ数日はかかりそうである。

 まったく、後期高齢者になるとこの有り様か。
「情けない!」

 さて、先週の続きを記す。
通院した2日とも、診察までに3時間かかった。
 その間、喉と頭の痛みをこらえながらだったが、
待合室ウオッチをした。
 その続編である。

 
  ③ 「予防注射して!」

 20人を超える患者で、座席がうまった待合室に、
受付をする年老いた女性の大声が響いた。

 「時間があるから、予防注射に来たんだけど・・」
「なんの予防注射をしに来たんですか?」
 「何でもいいけど、ホラ、この病院でできるやつ」
「今、ここではインフルエンザとコロナワクチンができますが、
どっちですか」
 「どっちでもいいよ。両方でもいいよ。
かかったら大変だから、予防注射して!」

 大きな声のやり取りである。
その上、実にもの珍しいやり取りに、
俄然興味が湧き、耳を傾けた。

 「両方を一度に打つのは出来ないので、
どちらか1つです。
 どちらにしますか?」
「どっちかか・・、じゃどっちでもいい!」
 女性も困った様子だが、受付の女性も困っていた。

 しばらくして、受付が言った。
「カルテを見てみますから、診察券と保険証ありますか」
 女性がそれを渡してまもなく、
「インフルエンザの注射は去年もしてますね。
今年になってから、他の病院でしてませんか?」
 「してないよ。だから来たんだよ!」
女性は即答した。そして
「もう1つのも、ずっとしてない。
でも、一緒は駄目なのね」
 「はい。
じゃ今日はインフルエンザの予防注射を打つことにしましょうか?」
 「それでいい。お願い!」

 長いやり取りだった。
女性は大きな息をはき、私の横の空席に腰をおろした。

 やや時間をおいて、今度は看護師さんが女性に近づいた。
「インフルエンザのお注射でしたね!」
 「それにしたの!」

 看護師さんは、もってきたA4版の印刷物を差し出した。
「お注射の前にこれを読んで下さい」
 紙には、予防接種の副作用など諸々の注意事項が箇条書きされていた。

 女性は、一瞬その紙を見たが、
「もう、そんな字は読めないからいらない」
 看護師さんは手慣れていた。
「じゃ、たたんでこのバックに入れたおくね。
困ったときには、近くの人に見せてね」

 女性がうなずくと今度は、
バインダーに挟んだ問診票を取り出した。

 すかさず「それも読めない!」。
「じゃ、1つずつ私が読みますから、
はいかいいえで答えてね。
 だけど全部終わったら、
ここの欄に名前だけは自分で書かないと、
お注射は打てません。
 名前は書けますか」
最後だけ看護師さんは、強くはっきりと言った。

 「わかった。ここに名前を書けばいいのね!」
「そうです。じゃ読みますね」。

 看護師さんは、1問1問読み上げては答えを待った。
そして、記名まで終え、
「これで、予防注射が打てます。
今日はこんなにたくさんの患者さんで混んでるから、
すぐには呼べないけど待っててね」
 女性は慌てて周りを見て、
ビックリした顔で静かにうなずいた。

 医療に従事する方のご苦労が身にしみた。
周りは私と同じ患者ばかりだが、
どの人の耳にも、ここまでの一部始終は届いていた。
 だからだろうか、外は寒々としているのに、
待合室には穏やかな温もりがあった。


 

  やっと冬景色 -4度「寒!」
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待合室 ウオッチ

2024-12-07 11:42:13 | 出会い
 65歳以上の方を対象にした軽スポーツの集まりが、
総合体育館であった。
 私は、その副実行委員長を頼まれた。

 当日は、いくつかの役割があった。
その1つが、6つの競技の1つで参加者の得点を記録する係だった。

 約60名の参加があった。
次々と得点記録をしないと、
スムーズに競技が進まない。
 休む間のない1時間半だった。

 記録をしながら、底冷えを感じた。
でも、慌ただしさで上着を取りに行くこともできないままだった。

 それが悪かった。
その日の午後から、風邪気味になった。
 ノドが痛く、時折咳やくしゃみが出た。
翌日からは、市販の風邪薬を頼った。

 1週間が過ぎても回復しないどころか、
痛みも増し、頭痛もひどくなった。
 
 もう市販薬では駄目と判断し、
かかりつけ医へ行くことにした。

 待合室は、患者で溢れていた。
『本医院の待ち時間について』という張り紙があった。
 そこに「1時間半~3時間」お待ち頂くことがありますと書いてあった。
4日の間を置いて2度、その待合室で診察を待った。

 その時間、咳き込むたびにノドと頭と全身が痛みながらも、
その場にいる患者さんをウオッチした。
 2つを記す。


  ① 女性の2人づれ

 受付を済ませて、待合室の空席に着くと、
はす向かいに、同世代の女性が2人座っていた。
 仲良く小声でお喋りをしていた。

 しばらくすると2人は、一緒に受付に呼ばれた。
それで、2人はそろってここへ来たことが分かった。

 まずは、そのことに驚いた。
私たちは、誰かと連れだって病院へ行くだろうか。
 家族に付き添ってもらって通院したことはある。
でも、予防接種以外にそのような体験はないのでは・・。

 「友だちやご近所さんと連れだって」病院へ行くなんて、
私には考えられないことだった。
 年齢と共に、女性は協調性が増すと聞いたことがあるが、
男性の私には決して真似のできないこと。
 ただただ驚いてしまった。

 そして、この2人にはもう1つ。
受付に呼ばれた2人は、
保険証かマイナンバーカードの提示を求められた。

 2人は、マイナンバーカードの提示は初めてなので、
やってみたいと言った。
 早々、受付の女性が提示の機器前まで来て、
操作方法を説明した。

 1人の女性が、不安げな表情で自分のカードを機器に入れ、
受付の女性の説明に従って、顔認証を選び機器を見た。
 それで全てが終わった。
「実に簡単!」だ。
 提示を終えた女性の不安は、自信に変わった。

 突然、連れの女性に声をかけた。
「ここにカードを入れて!」
 「そう、その向きに入れるの」
「顔認証ってあるでしょう。そこを指で!
そこを見て見て!」
 「それで、もう終わり」

 不安げな女性とは対照的に、
一歩先を行った女性のなんと誇らしげなこと。
 こんな姿も女性ならではと言ったら、
言い過ぎ・・かな?


  ② 3時間待ちの顛末

 2時間半も待って、
やっと診察室前の廊下の長椅子まで呼ばれた。
 「後わずかだ!」
そこでも4人程が呼名を待っていた。
 やや時間はかかったが、順に診察室に呼ばれた。

 次は私の番だと思った。
ドアが開き、看護師さんが名前を呼んだ。
 「××ハラ ワタルさま、どうぞ」
私は立ち上がれなかった。
 「私の名ではない!」

 少し離れた席の男性が急いで、
診察室へ入っていった。
 よく似た名に違和感があった。

 その方が、診察を終え退室した。
次は私と確信した。
 ドアが開き、看護師さんが名前を呼んだ。
「××ハラ ワタルさま、どうぞ」
 立ち上がって、思わず言った。
「ツカハラです。××ハラではありません」

 看護師さんは血相を変えた。
急ぎ診察室へ戻り、
「失礼しました。ツカハラワタルさまどうぞ!」
 
 かかりつけ医である。
患者を間違えての診察はないだろう。
 「それでも」と、私は医師に言った。
「ツカハラです。よろしくお願いします」

 さて、診察が終わり、会計で支払いを済ませた。
ここまでで3時間を越えていた。

 その後、処方箋を持って、医院のそばにある調剤薬局へ行った。
そこに、先ほど私の前に診察室へ入った「××ハラ」が、薬を待っていた。
  
 やや時間をおいて、薬局の薬剤師さんが名前を呼んだ。
「××ハラ ××ルさん」だった。
 「単純な呼名のミスだ。
さほど気にしなくていいこと」
と、安堵した。

 ところが、その後の彼と薬剤師さんのやり取りが、心を刺した。
薬剤師さんは数種類の大量の薬を前に、
その投薬方法について説明を始めた。
 
 しばらく静かに聞いていた「××ハラ」さんが言った。
「あのね。この薬はもう何回もここでもらっているの。
だから、細かな説明はいいから」
 かなり苛立った口調だった。

 薬剤師さんは、その空気を読んで対応すればよかったのに、
やや強い言い方をした。
 「いえ、薬の扱い方についてお伝えするのは、私の務めです。
お聞き下さい!」

 それを受けて、彼は大声を出した。
「聞かなくても分かっているって言っただろう。
病院が混んでて、もう3時間以上もかかってるんだ。
 あんたの仕事に付き合うより、俺の仕事だ。
説明はいいから、早くしろ!」

 薬剤師さんは、仏頂面で薬の料金を言い、
彼はお金と交換に薬の袋をつかみ、足早に薬局を出て行った。

 「これは、よく言われているカスハラなのだろうか」
そんなことを思っている矢先に私の名が呼ばれた。
 処方された薬の説明が始まった。

 彼と同じ気持ちに私もなりそうだったが、
じっと我慢して、薬剤師さんの務めに付き合った。
 何ともやりきれない気分だった。


 

     荒々しい有珠山 ~噴火はいつ?
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D I A R Y 24年10・11月

2024-11-30 14:55:40 | つぶやき
  10月 某日

 昨年11月、5歳違いの姉は、
横浜の大きな病院で,心臓の手術を受けた。
 そこは、姉の娘が看護師をしており、
それを頼っての療養だった。

 手術は当初予想よりも時間がかかったが、
その後は順調な経過だった。
 しかし、年齢が年齢である。
一時は、もう1度若干の手術が必要かもと、
医師から告げられたこともあった。

 しかし、激減した体重も徐々に回復し、
今夏には、投薬もゼロになり、定期的な診断のみに。
 そして、遂に10月、全快にこぎ着けた。

 手術前の姉は、登別温泉の有名旅館で事務スタッフをしていた。
女将は、「お姉様は私の片腕同然、頼りにしてるんですよ」と私に言った。
 とは言え、11ヶ月に及ぶ病休である。
仕事復帰は、難しいと私は思い込んでいた。
 ところが、旅館からは1日でも早く復帰してほしいとのこと。

 1週間程前、連絡を受け、
新千歳空港まで、迎えに行った。
 横浜での日常品は全て宅配便で送り、
姉はハンドバック1つで、到着ロビーから現れた。
 そして、「明日から、働く」と言った。

 私は、5人兄弟である。
長女と長男はすでに他界しているが、
86歳の二男は、今も毎朝、魚市場に出向き、
仕入れた魚の身下ろしをし、開店と同時に接客に立っている。
 
 そして、健康を回復した81歳の二女は、
休む間もなく、明日から仕事に出ると・・。
 2人は口を揃えて明るく言う。
「何もしないで、家でブラブラしているよりもいいもん」
  
 私は、何もしないでブラブラと毎日を過ごしている訳ではないが、
2人を見てると、少し恥ずかしくなる。


  11月 某日 ①

 ここ2,3年のことだが、
道内では名の通ったラーメンの暖簾がかかる店で、
ラーメンではなく、あんかけ焼きそばをよく注文する。

 その店では、ずっと味噌ラーメンだが、
いつ頃からか、家内は特別メニューのような
あんかけ焼きそばを食べ始めた。

 ここはラーメンで有名な店だ。
なのに違う注文をすることに、当初私は不快な気分だった。
 だが、「そんなに美味しいのなら」と、
一度だけのつもりでオーダーしてみた。
 以来、私もラーメンから方針転換をした。

 しかし、あんかけ焼きそばを他店で食べたことがなかった。 

 そこで、東京に来た貴重な機会だと、
デパートの最上階にあった高級中華料理店で食べてみることにした。
 メニューを見て、まずその価格の違いに驚いた。
いつも食べている約3倍の値がした。

 そして、出てきたあんかけ焼きそばの美味しいこと。
その値段に十分納得した。

 さて、家内と私がその中華料理店へ入ったのは、
まだランチメニューの時間帯だった。
 やや空席はあったが、多くのお客さんで席が埋まっていた。

 窓側の席に案内された私の所から、
丁度、2人用のテーブル席が2つ並んでいるのが見えた。
 そこに、初老の男性と女性が1人ずつ着席していた。

 注文したものを待つ間に、2人が注文した昼食が届いた。
やや遠慮しながら2人の様子を見た。
 高級中華料理店で、
1人で中華を食べていることが気になった。

 テーブルがやや離れていたので、当然2人は別々の客である。
その2人が、同じ方向を向いて食べていた。
 やや不思議な気持ちで、
美味しそうに食べる2人を遠慮しながら、ちら見した。

 東京でも、高齢化は間違いなく進んでいる。
だから、このような高級店でも高齢の単身者が食事を楽しんで当然だ。
 なのに、見慣れない私には、異様な光景のように映ってしまった。
同時に、そんな目で見ていることに、申し訳ない気持ちにもなっていた。


  11月 某日 ②

 高級中華料理店での昼食の翌日だ。
コロナ禍前まで、年に1回は一緒にゴルフをしていたOご夫妻と、
夕ご飯を共にすることになっていた。
 お酒の好きなお二人だった。
夕方、錦糸町のおそば屋さんで待ち合わせをした。

 1週間ほど前、4人のグループLINEに、
待ち合わせ時間とおそば屋の名前の知らせが届いた。
 
 そのおそば屋は現職の頃、よく利用した。
落ち着いた雰囲気で、居酒屋とは違い、
数人で飲むには最高の店だった。
 しかし、2年前からそこには店がなくなっていた。

 でもOさんは、その店を指定してきた。
もしかしたら、近くに移転したのかもと思い、
ネットで検索してみた。
 案の定であった。
駅の反対側のビルに、その店はあった。

 さて、待ち合わせ時間の少し前に店に着いた。
でも、Oさん夫妻がなかなか現れない。
 5分が過ぎた。
LINEメールが来た。
 「おそば屋さんが無くなっています。
今、どこにいますか?」
 移転に気づかず、店を指定したのだ。

 「お店は、移転しました。
駅の反対側Rビルの2階にあります。
 店の前にいます」
メールで返信しながら、笑いがこみ上げた。

 だって、移転にいち早く気づいたのは、
東京に住む現地の方ではなくて、
北海道の私たちだったのだもの・・・。

 その後の4人でのお酒を囲んでの食事は、
しばらくの間、このことで盛り上がった。 


 

     晩秋の色・ナナカマドの実
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