① 私の地域には、老人クラブ『M友の会』がある。
現会員数は40数名で、
月1回の例会には、いつも30数名が参加すると聞いている。
その会が、創立40周年を迎えた。
創立の日である3月3日に創立記念の式典と祝宴があった。
自治会長として、お招きを受けた。
事前には『40周年記念の栞』へ、
お祝いメッセージの執筆依頼もあった。
最初に、寄稿した一文を記す。
* * * *
老人クラブ「Mの友会」創立40周年
お め で と う ご ざ い ま す
M友の会が発足した昭和60年(1985年)は、
自治会入会世帯が200戸、
T福祉会館(当時は「T福祉ホーム」)が建設された年でもありました。
くしくも、『バブル時代』の初年度で、
「グルメ」や「ファッション」「カルチャー」などの言葉が
もてはやされました。
伊達市に限らず、各地で街や地域が姿を変え
活気にあふれ出しました。
ところが、それから10年が過ぎた頃からは、
『失われた30年』と言われ、
経済は低迷し少子高齢化が進みました。
地方は人口減少に歯止めがかからないまま
今日を迎えています。
しかし特筆すべきは、そのような中でも私たちの地域は、
この40年一貫して居住者が増え続け、
今では800世帯を越えるに至りました。
当地で生まれ育った子が自治会の役員として活躍しています。
そのような地域の底力の一翼を、「M友の会」は支えて来ました。
創立40周年にあたり、敬意とともに感謝の意を表します。
▽さて、私の妻の両親ですが、
2人の老後は老人クラブと共にありました。
クラブの催し物を楽しみにし、
やがて役員になりそれらを準備することを
暮らしの糧にしていました。
老後は『キョウイク』と『キョウヨウ』が
特に大事だと言います。
「教育」ではなく、「今日、行くところがあること」。
「教養」ではなく、「今日、用事があること」。
生き生きとした2人の姿を見て、
この2つの大切さを痛感しました。
現在、伊達市では65歳以上の高齢者が、
人口の39%となりました。
ところが、役員のなり手不足などで
老人クラブが姿を消しているとか。
人生百年時代です。
老人クラブは益々注目を集めていいはずです。
どうぞ皆さんの英知を結集し、
一人一人の糧になる本会を発展・継続させ、
『キョウイク』『キョウヨウ』の役割を
果たしてほしいと願います。
そして、沢山の元気な老人が
活躍する地域であり続けたいと切望しています。
* * * *
② 式典では、祝辞の指名があった。
上記のようなことを述べた後、
数日前の講演会で学んだことを紹介した。
その講演会は、社会福祉協議会が主催したものだった。
『伊達市の未来のつくりかた』と題し、
みなみ北海道地域づくりサポートセンターの
丸藤 競氏が話された。
冒頭、彼は全国、全道、そして本市の人口の推移を示し、
これからは「高齢化第2幕」だと言い、特徴を3つ挙げた。
1.独り暮らしの高齢者率が急増する
2.生産年齢が激減&65歳以上が高止まる
3.課題が多いままなのに、動ける人が減る
だから、「高齢者が健康でいられ、
誰にとっても住みやすい街を、
どうやって、つくっていく?」かが課題だと指摘した。
その上で、強調したのが
「高齢者がいつまでも元気で暮らす」ことだった。
そのポイントとして、
「住み慣れた地域」と「自分らしい暮らし」を上げ、
なじみの人間関係やマイペースに生活できる気楽さが
重要だと・・・。
彼は、約1時間半の講演の中で、
「笑顔」と「元気」を度々くり返した。
私は、『未来のつくりかた』は、その2つ言葉に代表されると、
大いに納得した。
最後に彼は、
元気をつくる4つのベルを奏でましょうと訴えた。
そのベルとは、
『食べる』『しゃべる』『学べる』『遊べる』だと・・・。
私は、40周年を迎えた老人クラブの祝辞の結びに、
このベルを取り上げ、力を込めた。
「この4つのベルを奏でているのは、どこですか。
そう、この会こそ、食べる、しゃべる、学べる、遊べる、
4つのベルを奏でている場なのではないでしょうか。
ここは、高齢者の元気をつくる場だと思います」。
「そうだね」「なるほどね」
そんな小さな声がいくつも聞こえてきた。
③ 式典の中では、『M友の会』に20年以上在籍した功労者4名へ
花束の贈呈があった。
そして、一人一人から謝辞があった。
「私の母は、この会に入っていました。
老人クラブから帰って来ると、いつも楽しかったよって言ってました。
だから、年取ったら私も入ろうって決めてました。
母と私の2世代で、長いことお世話になりました。
ありがとうございます」
40年の歴史の重みを感じた一コマだった。
祝宴の席で、同じことが話題になった。
違う功労者の1人が、隣りに座る方を見ながら、
「私が入会した時には、この人のお母さんがいたのよ、
だから、この親子と一緒に私はここにいたことになるの。
私はずっとここにいたのよ」
そして、こんな方も、
「お嫁に来ると、義理の母がこの会に入っていたの。
何もできない私に、いろいろと教えてくれた人だったけど、
年取ったらこの会に入りなさいって教えてくれたのも、
その母だったの。
言う通りにして、よかったよ。
感謝してるわ」
次第に、胸が熱くなった。

桜並木を伐採! どうして?
※次回ブログの更新予定は3月28日(土)です
現会員数は40数名で、
月1回の例会には、いつも30数名が参加すると聞いている。
その会が、創立40周年を迎えた。
創立の日である3月3日に創立記念の式典と祝宴があった。
自治会長として、お招きを受けた。
事前には『40周年記念の栞』へ、
お祝いメッセージの執筆依頼もあった。
最初に、寄稿した一文を記す。
* * * *
老人クラブ「Mの友会」創立40周年
お め で と う ご ざ い ま す
M友の会が発足した昭和60年(1985年)は、
自治会入会世帯が200戸、
T福祉会館(当時は「T福祉ホーム」)が建設された年でもありました。
くしくも、『バブル時代』の初年度で、
「グルメ」や「ファッション」「カルチャー」などの言葉が
もてはやされました。
伊達市に限らず、各地で街や地域が姿を変え
活気にあふれ出しました。
ところが、それから10年が過ぎた頃からは、
『失われた30年』と言われ、
経済は低迷し少子高齢化が進みました。
地方は人口減少に歯止めがかからないまま
今日を迎えています。
しかし特筆すべきは、そのような中でも私たちの地域は、
この40年一貫して居住者が増え続け、
今では800世帯を越えるに至りました。
当地で生まれ育った子が自治会の役員として活躍しています。
そのような地域の底力の一翼を、「M友の会」は支えて来ました。
創立40周年にあたり、敬意とともに感謝の意を表します。
▽さて、私の妻の両親ですが、
2人の老後は老人クラブと共にありました。
クラブの催し物を楽しみにし、
やがて役員になりそれらを準備することを
暮らしの糧にしていました。
老後は『キョウイク』と『キョウヨウ』が
特に大事だと言います。
「教育」ではなく、「今日、行くところがあること」。
「教養」ではなく、「今日、用事があること」。
生き生きとした2人の姿を見て、
この2つの大切さを痛感しました。
現在、伊達市では65歳以上の高齢者が、
人口の39%となりました。
ところが、役員のなり手不足などで
老人クラブが姿を消しているとか。
人生百年時代です。
老人クラブは益々注目を集めていいはずです。
どうぞ皆さんの英知を結集し、
一人一人の糧になる本会を発展・継続させ、
『キョウイク』『キョウヨウ』の役割を
果たしてほしいと願います。
そして、沢山の元気な老人が
活躍する地域であり続けたいと切望しています。
* * * *
② 式典では、祝辞の指名があった。
上記のようなことを述べた後、
数日前の講演会で学んだことを紹介した。
その講演会は、社会福祉協議会が主催したものだった。
『伊達市の未来のつくりかた』と題し、
みなみ北海道地域づくりサポートセンターの
丸藤 競氏が話された。
冒頭、彼は全国、全道、そして本市の人口の推移を示し、
これからは「高齢化第2幕」だと言い、特徴を3つ挙げた。
1.独り暮らしの高齢者率が急増する
2.生産年齢が激減&65歳以上が高止まる
3.課題が多いままなのに、動ける人が減る
だから、「高齢者が健康でいられ、
誰にとっても住みやすい街を、
どうやって、つくっていく?」かが課題だと指摘した。
その上で、強調したのが
「高齢者がいつまでも元気で暮らす」ことだった。
そのポイントとして、
「住み慣れた地域」と「自分らしい暮らし」を上げ、
なじみの人間関係やマイペースに生活できる気楽さが
重要だと・・・。
彼は、約1時間半の講演の中で、
「笑顔」と「元気」を度々くり返した。
私は、『未来のつくりかた』は、その2つ言葉に代表されると、
大いに納得した。
最後に彼は、
元気をつくる4つのベルを奏でましょうと訴えた。
そのベルとは、
『食べる』『しゃべる』『学べる』『遊べる』だと・・・。
私は、40周年を迎えた老人クラブの祝辞の結びに、
このベルを取り上げ、力を込めた。
「この4つのベルを奏でているのは、どこですか。
そう、この会こそ、食べる、しゃべる、学べる、遊べる、
4つのベルを奏でている場なのではないでしょうか。
ここは、高齢者の元気をつくる場だと思います」。
「そうだね」「なるほどね」
そんな小さな声がいくつも聞こえてきた。
③ 式典の中では、『M友の会』に20年以上在籍した功労者4名へ
花束の贈呈があった。
そして、一人一人から謝辞があった。
「私の母は、この会に入っていました。
老人クラブから帰って来ると、いつも楽しかったよって言ってました。
だから、年取ったら私も入ろうって決めてました。
母と私の2世代で、長いことお世話になりました。
ありがとうございます」
40年の歴史の重みを感じた一コマだった。
祝宴の席で、同じことが話題になった。
違う功労者の1人が、隣りに座る方を見ながら、
「私が入会した時には、この人のお母さんがいたのよ、
だから、この親子と一緒に私はここにいたことになるの。
私はずっとここにいたのよ」
そして、こんな方も、
「お嫁に来ると、義理の母がこの会に入っていたの。
何もできない私に、いろいろと教えてくれた人だったけど、
年取ったらこの会に入りなさいって教えてくれたのも、
その母だったの。
言う通りにして、よかったよ。
感謝してるわ」
次第に、胸が熱くなった。

桜並木を伐採! どうして?
※次回ブログの更新予定は3月28日(土)です