11月20日のブログで、『実現したい学力向上策①』として、
(1)45分間の授業時間を厳守、(2)担任による個別指導の実施
を上げた。
その続編を記す。
(3)恒常的授業改善に取り組む
学力の3要素である
『知識・技能』、『思考力・判断力・表現力』、『学習意欲』を、
子どもが確かなものにしていく中心に、授業がある。
その授業が充実することを通して、学力の向上は期待できる。
私は、学力向上策の第一に、「授業時間の厳守」を挙げたが、
これは、授業の充実の視点から見ると、
授業時間つまり量的側面へのアプローチと言える。
一方、質的側面へのアプローチは、
恒常的授業改善の取り組みにつきるであろう。
子どもは、いつの時代でも、一人として同じではない。
そして、その置かれている環境も常に変化している。
前年度と同じ内容を同じやり方で授業をした。
前年度は、それで理解が進んだが、
今年度の子どもにも同様とは限らない。
これが、教育活動の難しさであり、授業の深さである。
教師には、絶えず研修が求められる根拠は、この辺にある。
この研修への情熱が薄らいだ教師には、
優れた指導も授業も決して望めない。
意欲ある教師による質的な授業の充実を目指した、
恒常的な授業改善への迫り方は、次の3つがある。
学力向上には欠かせない授業改善の取り組みが、
学校体制の重要な柱になってほしいと願っている。
① 授業公開・授業参観から 気づく
教師は、キャリアや持ち味、技量など同じではない。
したがって、教科や単元への理解をはじめ、授業に対する課題や
子供理解とその対応方法なども異なる。
授業改善のヒントは、そんな多様な教師による、
一つとして同じではない日々の授業の中にある。
だから、教師は、常々授業公開を心がけ、
校内をはじめとする先生方からの授業参観の要望に、
気軽に応じるようにしたいものである。
また、教師は、自身の授業改善のヒントは、
周囲で実践されている先輩や同僚、後輩の
毎日の授業にあることを認識したい。
そして、積極的にその授業を参観することである。
学校は、常々、そのような授業の
公開と参観を奨励する環境であってほしい。
そして、随時あるいは定例化した、
公開と参観のシステムを構築するよう願いたい。
授業改善に意欲ある教師は、自身の工夫した授業実践に、、
達成感と共にいつも反省を忘れない
そして、明らかになった課題を意識するものである。
その課題は、教師個人によって当然違うものである。
だから、同じ意欲をもつ教師てあっても、同じ授業を参観して、
同一の収穫を得ることなどできない。
また、参観したい授業にも違いが生まれるものである。
常時ではないが、自身の課題意識に応じた授業の参観を通して、
ハッとした気づきにめぐり合うことがある。
この気づきこそが、その教師の授業改善の
大きなヒント、手がかりである。
それぞれの教師のニーズに応じた授業の公開と参観が、
気づきへとつながり、学力向上を目指した授業改善の力になる。
② 授業観察と授業指導から 学ぶ
校長退職後の1年間、私は都の嘱託として、
若手教員の指導育成の仕事に就いた。
主には、教職経験1~3年目の先生方30名前後を対象に、
1年で3~6回、各先生の現任校を訪ね、授業を見た。
その後、その先生と1,2時間面談をし、
見た授業を基にしながら、授業づくりの基本を指導した。
どんな職業も同じだろうが、
教師としての資質に恵まれ、キャリアとは無関係に
子どもを惹きつけ、巧みに授業を展開できる先生もいれば、
思うように授業が進まず、子どもも先生の意が汲み取れず、
授業の体をなさない先生もいる。
しかし、指導・助言に素直に耳を傾け、
何かを吸収しようとする先生と、そうでない先生がいる。
どのような機会であれ、貪欲に学び取ろうとする姿勢は、
決してウソをつかないと、私は思った。
はじめの一歩がどうであれ、1年を過ぎると、
その姿勢の違いが明白になった。
また、校長時代、私の学校に、
よく授業指導を申し出る教員がいた。
2週間に一度は、略案をもとに、その先生の授業を観察をした。
そして放課後は,必ず校長室を訪れ、その授業の評価を求めてきた。
私が指摘した内容は、必ず次の授業では改善が見られた。
しかし、授業は生き物である。決して同じではない。
必ず、新しい課題が生まれた。
それでも、彼は、そんな私からの新しい指摘を素直に受け入れ、
「では、次回こそ。」と校長室を後にした。
半年間続いたその実践を通し、
彼の授業に、私は驚きと感動を覚えるようになっていった。
上記の2つの事例は、授業を観察し、
その後その授業への評価とアドバイスを得ることで、
それが、授業改善の学びとなり、
有効に働いていることを示している。
これは、若手教員のみのものではない。
全ての教師の授業改善の力になると考える。
学校には、それぞれ役割をもった教職員スタッフがいる。
一人として無役の者はいないのだが、
教務、生活指導、特活、事務等々を分担している。
その一つとして、『授業改善アドバイザー』の
新設を提案したい。
現職でもその任を果たせる授業経験豊かな教員や、
退職者の再雇用でもいいであろう。
当面、その任を校長や副校長、主幹等が担ってもいいだろう。
そのアドバイザーによる授業観察と指導による学びが、
授業改善に有効に働くことと確信している。
③ 研究授業と研究協議から 新規開発
『校内研修の重要性』は、7月17日のブログに記した。
くり返しになるが、校内研修の大きな役割は、
自校の教育課題を解決することにある。
その課題解決の研究手法は様々だが、
研究の仮説を、授業実践を通して立証するやり方が主である。
だから、その授業は、仮説実証のためにある。
当然授業には、新しさが求められることが多い。
つまりは、授業は開発的要素に重点が置かれることになる。
そのために、校内研修として、研究授業が行われ、
その研究協議を通して、授業と仮説の整合性か検討されるのである。
学力向上の授業改善と言った研究課題で言えば、
私が、今日重視すべき視点として次の2つを上げる。
その1つは、指導と評価の一体化をはじめとする、
学習内容を子どもの実態に応じて柔軟に指導する方法の確立。
もう1つは、授業における一人学習と集団学習のあり方である。
いずれも、多くの研究授業と協議を通し、その検証が試され、
普遍性をもった授業として各学校に定着していくであろう。
さて、ともすると授業改善は、校内研究の充実、
つまりは研究授業への取り組みによって実現すると言った
主張が大手を振っている。
しかし、校内研究は、新しい授業実践の整合性こそに
大きな役割りがある。
学力向上のための指導と評価の一体化した授業とはなにか。
一人学習と集団学習の有効な仕組みのある授業とは。
それが授業改善のための校内研究の、メインテーマなのである。
つまり、そのような授業の新規開発を、
校内の研究授業と研究協議は担っているのである。
以上、第3の学力向上策である恒常的な授業改善には、
教師の『気づき』と『学び』、『新規開発』が
重要性をもっているのである。
大きな木の枝先 もう新芽が膨らんで
(1)45分間の授業時間を厳守、(2)担任による個別指導の実施
を上げた。
その続編を記す。
(3)恒常的授業改善に取り組む
学力の3要素である
『知識・技能』、『思考力・判断力・表現力』、『学習意欲』を、
子どもが確かなものにしていく中心に、授業がある。
その授業が充実することを通して、学力の向上は期待できる。
私は、学力向上策の第一に、「授業時間の厳守」を挙げたが、
これは、授業の充実の視点から見ると、
授業時間つまり量的側面へのアプローチと言える。
一方、質的側面へのアプローチは、
恒常的授業改善の取り組みにつきるであろう。
子どもは、いつの時代でも、一人として同じではない。
そして、その置かれている環境も常に変化している。
前年度と同じ内容を同じやり方で授業をした。
前年度は、それで理解が進んだが、
今年度の子どもにも同様とは限らない。
これが、教育活動の難しさであり、授業の深さである。
教師には、絶えず研修が求められる根拠は、この辺にある。
この研修への情熱が薄らいだ教師には、
優れた指導も授業も決して望めない。
意欲ある教師による質的な授業の充実を目指した、
恒常的な授業改善への迫り方は、次の3つがある。
学力向上には欠かせない授業改善の取り組みが、
学校体制の重要な柱になってほしいと願っている。
① 授業公開・授業参観から 気づく
教師は、キャリアや持ち味、技量など同じではない。
したがって、教科や単元への理解をはじめ、授業に対する課題や
子供理解とその対応方法なども異なる。
授業改善のヒントは、そんな多様な教師による、
一つとして同じではない日々の授業の中にある。
だから、教師は、常々授業公開を心がけ、
校内をはじめとする先生方からの授業参観の要望に、
気軽に応じるようにしたいものである。
また、教師は、自身の授業改善のヒントは、
周囲で実践されている先輩や同僚、後輩の
毎日の授業にあることを認識したい。
そして、積極的にその授業を参観することである。
学校は、常々、そのような授業の
公開と参観を奨励する環境であってほしい。
そして、随時あるいは定例化した、
公開と参観のシステムを構築するよう願いたい。
授業改善に意欲ある教師は、自身の工夫した授業実践に、、
達成感と共にいつも反省を忘れない
そして、明らかになった課題を意識するものである。
その課題は、教師個人によって当然違うものである。
だから、同じ意欲をもつ教師てあっても、同じ授業を参観して、
同一の収穫を得ることなどできない。
また、参観したい授業にも違いが生まれるものである。
常時ではないが、自身の課題意識に応じた授業の参観を通して、
ハッとした気づきにめぐり合うことがある。
この気づきこそが、その教師の授業改善の
大きなヒント、手がかりである。
それぞれの教師のニーズに応じた授業の公開と参観が、
気づきへとつながり、学力向上を目指した授業改善の力になる。
② 授業観察と授業指導から 学ぶ
校長退職後の1年間、私は都の嘱託として、
若手教員の指導育成の仕事に就いた。
主には、教職経験1~3年目の先生方30名前後を対象に、
1年で3~6回、各先生の現任校を訪ね、授業を見た。
その後、その先生と1,2時間面談をし、
見た授業を基にしながら、授業づくりの基本を指導した。
どんな職業も同じだろうが、
教師としての資質に恵まれ、キャリアとは無関係に
子どもを惹きつけ、巧みに授業を展開できる先生もいれば、
思うように授業が進まず、子どもも先生の意が汲み取れず、
授業の体をなさない先生もいる。
しかし、指導・助言に素直に耳を傾け、
何かを吸収しようとする先生と、そうでない先生がいる。
どのような機会であれ、貪欲に学び取ろうとする姿勢は、
決してウソをつかないと、私は思った。
はじめの一歩がどうであれ、1年を過ぎると、
その姿勢の違いが明白になった。
また、校長時代、私の学校に、
よく授業指導を申し出る教員がいた。
2週間に一度は、略案をもとに、その先生の授業を観察をした。
そして放課後は,必ず校長室を訪れ、その授業の評価を求めてきた。
私が指摘した内容は、必ず次の授業では改善が見られた。
しかし、授業は生き物である。決して同じではない。
必ず、新しい課題が生まれた。
それでも、彼は、そんな私からの新しい指摘を素直に受け入れ、
「では、次回こそ。」と校長室を後にした。
半年間続いたその実践を通し、
彼の授業に、私は驚きと感動を覚えるようになっていった。
上記の2つの事例は、授業を観察し、
その後その授業への評価とアドバイスを得ることで、
それが、授業改善の学びとなり、
有効に働いていることを示している。
これは、若手教員のみのものではない。
全ての教師の授業改善の力になると考える。
学校には、それぞれ役割をもった教職員スタッフがいる。
一人として無役の者はいないのだが、
教務、生活指導、特活、事務等々を分担している。
その一つとして、『授業改善アドバイザー』の
新設を提案したい。
現職でもその任を果たせる授業経験豊かな教員や、
退職者の再雇用でもいいであろう。
当面、その任を校長や副校長、主幹等が担ってもいいだろう。
そのアドバイザーによる授業観察と指導による学びが、
授業改善に有効に働くことと確信している。
③ 研究授業と研究協議から 新規開発
『校内研修の重要性』は、7月17日のブログに記した。
くり返しになるが、校内研修の大きな役割は、
自校の教育課題を解決することにある。
その課題解決の研究手法は様々だが、
研究の仮説を、授業実践を通して立証するやり方が主である。
だから、その授業は、仮説実証のためにある。
当然授業には、新しさが求められることが多い。
つまりは、授業は開発的要素に重点が置かれることになる。
そのために、校内研修として、研究授業が行われ、
その研究協議を通して、授業と仮説の整合性か検討されるのである。
学力向上の授業改善と言った研究課題で言えば、
私が、今日重視すべき視点として次の2つを上げる。
その1つは、指導と評価の一体化をはじめとする、
学習内容を子どもの実態に応じて柔軟に指導する方法の確立。
もう1つは、授業における一人学習と集団学習のあり方である。
いずれも、多くの研究授業と協議を通し、その検証が試され、
普遍性をもった授業として各学校に定着していくであろう。
さて、ともすると授業改善は、校内研究の充実、
つまりは研究授業への取り組みによって実現すると言った
主張が大手を振っている。
しかし、校内研究は、新しい授業実践の整合性こそに
大きな役割りがある。
学力向上のための指導と評価の一体化した授業とはなにか。
一人学習と集団学習の有効な仕組みのある授業とは。
それが授業改善のための校内研究の、メインテーマなのである。
つまり、そのような授業の新規開発を、
校内の研究授業と研究協議は担っているのである。
以上、第3の学力向上策である恒常的な授業改善には、
教師の『気づき』と『学び』、『新規開発』が
重要性をもっているのである。

大きな木の枝先 もう新芽が膨らんで