校長として着任した2校目には、
教職経験6年未満という、若手の教員が数名いた。
教育的情熱を前面にして、
子ども達と向き合う姿を目の当たりにした。
これからの学校教育の担い手に、期待が膨らんでいった。
2年が過ぎてから、思い切って彼らに提案をした。
毎月1回、夜6時から2時間、
「私が主催する勉強会をしよう!」
「強制ではないよ。」「あくまで自主参加だよ。」と、
強調はしたものの、自校の校長の誘いである。
無視する訳にはいかず、彼らは参加してきた。
1回毎の、研修テーマは、参加者の輪番で提案させた。
事前準備も事後提出物もなし。
その場で、テーマに沿った私の話を聞き、
その後は、質疑応答・意見交換で会を進めた。
具体的で、実践につながるよう願った。
内容は、各教科の指導、生活指導、学級経営、
そして保護者対応、ついには先輩教員との付き合い方まで
多彩であった。
2年後に、私は異動となり、
会はそれでピリオドとなった。
ところが、1年後、彼らの代表から電話がきた。
「そちらの学校まで行くので、勉強会をしてください。
……私たちだけでなく、そちらの学校の若い先生たちも、
参加したいと言ってるので、是非お願いします。」
私は、ためらった。
「多忙な毎日に、拍車をかけることになりはしないか。」
しかし、くり返し電話があり、
10名程による勉強会を再開した。
彼らは、毎月時間をやりくりして参加した。
欠席者がいた時は、
記録したノートを回し読みしていたらしい。
その会で、くり返し口にしたことがいくつかある。
その中から、3つを記す。
1、先々のため子ども理解を
子どもに限ったことではないが、
人は誰でも自分を理解し、
認めてくれる人がいてほしいと望んでいる。
そんな人がいると、
日々を楽しく、ハツラツと生きていく力ができる。
子どもの場合、そんな存在が成長の原動力となる。
親や教師が、それである。
私が信条としてきた
『教育は子ども理解に始まり、子ども理解に終わる』
の起点は、そこにある。
だから、若手教員には、
子ども理解の重要性を常々強調した。
しかし、若手教員の多くは、
それを強調するまでもなく、
子ども理解を得意としていた。
常に子どもに寄り添い、共感しながら、
毎日を過ごしていた。
これは、若手教員の最大唯一の強みと言っていい。
先輩教員に比べ、若手教員は子どもとの年齢差が小さい。
その分だけ、子どもの感情や発想に対し、
直感的に共感でき、理解が容易なポジションにいるのだ。
また、子どもも親より年齢差がなく、
より身近な人として若手教員を見ている。
つまり越えるハードルが低い。
簡単に自分への理解が期待できる。
それが、若手教員なのである。
若手教員は、指導技術が未熟であっても、
学習内容への理解が不十分でも、
直感的に子ども理解ができ、
良好な関係を作ることができる優れた特性を持っている。
これは、どんなに優秀なベテラン教員であっても、
かなわない能力である。
「若い先生よ、胸を張って、子どもの前に立て!」
と言う根拠は、ここにある。
しかし、やがて若手教員もキャリアを積む。
子どもとの年齢差も大きくなる。
それでも、子ども理解は教育における、
重要ファクターである。
容易には子ども理解ができなくなるにつれ、
必要になるのが、
子ども理解の重要性を意識した確かな目である。
くり返しになる。
年齢を重ねるにつれ、
いや年齢を重ねてこそ求められるものが、
子どもを理解する柔軟な感性と技能なのだ。
若手教員である今から、
それを習得する努力を、始めてほしいのだ。
2、異動こそ最大の研修
東京都の場合、若手教員は、
初任の学校で概ね6年を過ごすと、定期異動となる。
彼らには、大きな転機である。
「異動は最大の研修。」
私は、この言葉と一緒に彼らを送り出してきた。
彼らは、今までの学校が唯一の学校であった。
しかし、転任校との違いが、彼らに新しい視野を与える。
学校教育の奥深さや難しさに気づく、好機となるのだ。
私は、担任として4校に、管理職として5校に勤務した。
その全ての学校が、いたるところで違っていた。
それまでの学校では、
校内研修は毎年研究テーマが設定され、
年数回は研究授業があった。
そのプロセスを通して、研修するものと思っていた。
ところがその学校は、全く違っていた。
校内研修とは、それぞれの先生が研修する時間だった。
だから、学校としての研究テーマはもちろん、
研究組織も研究授業の計画もなかった。
月1,2回の校内研修の時間には、
教室等に、先生方は閉じこもった。
どんな研修をしているのか、
かいもく見当がつかなかった。
大いに違和感を覚えた。
校内研修とは何かについて、
随分と思い巡らす機会になった。
そのような事例は、数々ある。
ある学校では、盛んに上履き不要論が話題に上った。
校庭の自由遊びに、
細かなルールが設けられている学校もあった。
校務分掌の決め方、学校運営組織は、
どこの学校も違った。
それらの全てが、転入した若手教員に驚きと、
戸惑いを与えるだろう。
そして一歩立ち止まり、
その是非を吟味するだろう。
それが、まさに研修なのである。
「今までそうしてきたから」
「前任校のやり方がいい」など、
前例踏襲型の発想は禁句である。
それぞれの学校は、
長年の実践と実情を通した試行錯誤と、
創意工夫の結果として、今がある。
ならば、異動の第一歩は、その事実を受け止め、
まずはそれを受け入れるところから始めたい。
そして、じっくりと新鮮な目で課題を探り、
改善策を練ることだ。
3、不安を受け止め共有
つい先日も、中教審教育課程部長・無藤隆氏の言葉を、
引用させてもらったが、『劇的に変化する社会』である。
『5年後、10年後さえ予測できない』のである。
これからの子ども達は、誰よりも長く、
その社会を生きることになる。
私が若い頃、様々な想いが現実になった。
家にテレビ、洗濯機、冷蔵庫が置かれた。
そして、電話のベルが居間に響いた。
仕事について間もなく、マイカーを手に入れた。
そんな暮らしの変化に、自然と浮かれた。
次は、こんなことを叶えたいと前を向いた。
しかし、今、子ども達はどうだろうか。
ここ伊達では、習い事に親は送り迎えの車をとばし、
そこから降りた子は、これまたバック片手に走り出す。
学習塾の灯りは、夜の町で際立って明るく、
熱気が外まで伝わってきた。
スケジュールに追われる子どもの一日は、夜遅くまで続く。
その一方、6人に1人の子が、貧困と向き合っていると聞く。
習い事にも学習塾にも行けず、
ひっそりと暮らす子がいるのも、確かなことである。
私が現職だったころに比べ、
子ども達の現状は、二極化が進行している。
そんな子ども達を、学校は毎日迎える。
子ども達は、それぞれの荷を感じさせず、
元気よく過ごす。
時に賞賛され、叱責を受け、
次の目標へと踏み出すのだ。
そんな学校と家庭の往復を通して、
どの子も次第に成長する。
それは、いつの時代も同じである。
やがて、自分たちの先を見る機会が、次第に増していく。
さて、そこで、現代はいったい何が見えるのだろう。
私が歩んできた道とは違う。
すぐ先でさえ不透明な、見えにくい未来なのではないだろうか。
たぶん曖昧な感覚だけであろう。
でも、その不透明感は、
きっと成長とともに不安へと増大する。
そんな子ども達に教師は、どう対応すればいいのかである。
「心配なんかいらない。」「安心していていいんだよ。」
それは、全く説得力を持たない。
実は、先行きへの不安感は、
教師とて同じなのではなかろうか。
だから、素直に子ども達の不安を受け止め、共有すること。
それだけは、教師として貫きたいと、私は思う。
「あなたと同じように、
私も、これから先が心配です。」
そんな共感が、子どもに力を与えると信じる。
そして、変化の激しい社会であっても、
自分の想いや願いに向かって、真っ直ぐ歩み続ける姿を、
見せることができれば、それでいいのではないだろうか。
散策路の片隅 キクザキイチゲ(紫系)が開花
教職経験6年未満という、若手の教員が数名いた。
教育的情熱を前面にして、
子ども達と向き合う姿を目の当たりにした。
これからの学校教育の担い手に、期待が膨らんでいった。
2年が過ぎてから、思い切って彼らに提案をした。
毎月1回、夜6時から2時間、
「私が主催する勉強会をしよう!」
「強制ではないよ。」「あくまで自主参加だよ。」と、
強調はしたものの、自校の校長の誘いである。
無視する訳にはいかず、彼らは参加してきた。
1回毎の、研修テーマは、参加者の輪番で提案させた。
事前準備も事後提出物もなし。
その場で、テーマに沿った私の話を聞き、
その後は、質疑応答・意見交換で会を進めた。
具体的で、実践につながるよう願った。
内容は、各教科の指導、生活指導、学級経営、
そして保護者対応、ついには先輩教員との付き合い方まで
多彩であった。
2年後に、私は異動となり、
会はそれでピリオドとなった。
ところが、1年後、彼らの代表から電話がきた。
「そちらの学校まで行くので、勉強会をしてください。
……私たちだけでなく、そちらの学校の若い先生たちも、
参加したいと言ってるので、是非お願いします。」
私は、ためらった。
「多忙な毎日に、拍車をかけることになりはしないか。」
しかし、くり返し電話があり、
10名程による勉強会を再開した。
彼らは、毎月時間をやりくりして参加した。
欠席者がいた時は、
記録したノートを回し読みしていたらしい。
その会で、くり返し口にしたことがいくつかある。
その中から、3つを記す。
1、先々のため子ども理解を
子どもに限ったことではないが、
人は誰でも自分を理解し、
認めてくれる人がいてほしいと望んでいる。
そんな人がいると、
日々を楽しく、ハツラツと生きていく力ができる。
子どもの場合、そんな存在が成長の原動力となる。
親や教師が、それである。
私が信条としてきた
『教育は子ども理解に始まり、子ども理解に終わる』
の起点は、そこにある。
だから、若手教員には、
子ども理解の重要性を常々強調した。
しかし、若手教員の多くは、
それを強調するまでもなく、
子ども理解を得意としていた。
常に子どもに寄り添い、共感しながら、
毎日を過ごしていた。
これは、若手教員の最大唯一の強みと言っていい。
先輩教員に比べ、若手教員は子どもとの年齢差が小さい。
その分だけ、子どもの感情や発想に対し、
直感的に共感でき、理解が容易なポジションにいるのだ。
また、子どもも親より年齢差がなく、
より身近な人として若手教員を見ている。
つまり越えるハードルが低い。
簡単に自分への理解が期待できる。
それが、若手教員なのである。
若手教員は、指導技術が未熟であっても、
学習内容への理解が不十分でも、
直感的に子ども理解ができ、
良好な関係を作ることができる優れた特性を持っている。
これは、どんなに優秀なベテラン教員であっても、
かなわない能力である。
「若い先生よ、胸を張って、子どもの前に立て!」
と言う根拠は、ここにある。
しかし、やがて若手教員もキャリアを積む。
子どもとの年齢差も大きくなる。
それでも、子ども理解は教育における、
重要ファクターである。
容易には子ども理解ができなくなるにつれ、
必要になるのが、
子ども理解の重要性を意識した確かな目である。
くり返しになる。
年齢を重ねるにつれ、
いや年齢を重ねてこそ求められるものが、
子どもを理解する柔軟な感性と技能なのだ。
若手教員である今から、
それを習得する努力を、始めてほしいのだ。
2、異動こそ最大の研修
東京都の場合、若手教員は、
初任の学校で概ね6年を過ごすと、定期異動となる。
彼らには、大きな転機である。
「異動は最大の研修。」
私は、この言葉と一緒に彼らを送り出してきた。
彼らは、今までの学校が唯一の学校であった。
しかし、転任校との違いが、彼らに新しい視野を与える。
学校教育の奥深さや難しさに気づく、好機となるのだ。
私は、担任として4校に、管理職として5校に勤務した。
その全ての学校が、いたるところで違っていた。
それまでの学校では、
校内研修は毎年研究テーマが設定され、
年数回は研究授業があった。
そのプロセスを通して、研修するものと思っていた。
ところがその学校は、全く違っていた。
校内研修とは、それぞれの先生が研修する時間だった。
だから、学校としての研究テーマはもちろん、
研究組織も研究授業の計画もなかった。
月1,2回の校内研修の時間には、
教室等に、先生方は閉じこもった。
どんな研修をしているのか、
かいもく見当がつかなかった。
大いに違和感を覚えた。
校内研修とは何かについて、
随分と思い巡らす機会になった。
そのような事例は、数々ある。
ある学校では、盛んに上履き不要論が話題に上った。
校庭の自由遊びに、
細かなルールが設けられている学校もあった。
校務分掌の決め方、学校運営組織は、
どこの学校も違った。
それらの全てが、転入した若手教員に驚きと、
戸惑いを与えるだろう。
そして一歩立ち止まり、
その是非を吟味するだろう。
それが、まさに研修なのである。
「今までそうしてきたから」
「前任校のやり方がいい」など、
前例踏襲型の発想は禁句である。
それぞれの学校は、
長年の実践と実情を通した試行錯誤と、
創意工夫の結果として、今がある。
ならば、異動の第一歩は、その事実を受け止め、
まずはそれを受け入れるところから始めたい。
そして、じっくりと新鮮な目で課題を探り、
改善策を練ることだ。
3、不安を受け止め共有
つい先日も、中教審教育課程部長・無藤隆氏の言葉を、
引用させてもらったが、『劇的に変化する社会』である。
『5年後、10年後さえ予測できない』のである。
これからの子ども達は、誰よりも長く、
その社会を生きることになる。
私が若い頃、様々な想いが現実になった。
家にテレビ、洗濯機、冷蔵庫が置かれた。
そして、電話のベルが居間に響いた。
仕事について間もなく、マイカーを手に入れた。
そんな暮らしの変化に、自然と浮かれた。
次は、こんなことを叶えたいと前を向いた。
しかし、今、子ども達はどうだろうか。
ここ伊達では、習い事に親は送り迎えの車をとばし、
そこから降りた子は、これまたバック片手に走り出す。
学習塾の灯りは、夜の町で際立って明るく、
熱気が外まで伝わってきた。
スケジュールに追われる子どもの一日は、夜遅くまで続く。
その一方、6人に1人の子が、貧困と向き合っていると聞く。
習い事にも学習塾にも行けず、
ひっそりと暮らす子がいるのも、確かなことである。
私が現職だったころに比べ、
子ども達の現状は、二極化が進行している。
そんな子ども達を、学校は毎日迎える。
子ども達は、それぞれの荷を感じさせず、
元気よく過ごす。
時に賞賛され、叱責を受け、
次の目標へと踏み出すのだ。
そんな学校と家庭の往復を通して、
どの子も次第に成長する。
それは、いつの時代も同じである。
やがて、自分たちの先を見る機会が、次第に増していく。
さて、そこで、現代はいったい何が見えるのだろう。
私が歩んできた道とは違う。
すぐ先でさえ不透明な、見えにくい未来なのではないだろうか。
たぶん曖昧な感覚だけであろう。
でも、その不透明感は、
きっと成長とともに不安へと増大する。
そんな子ども達に教師は、どう対応すればいいのかである。
「心配なんかいらない。」「安心していていいんだよ。」
それは、全く説得力を持たない。
実は、先行きへの不安感は、
教師とて同じなのではなかろうか。
だから、素直に子ども達の不安を受け止め、共有すること。
それだけは、教師として貫きたいと、私は思う。
「あなたと同じように、
私も、これから先が心配です。」
そんな共感が、子どもに力を与えると信じる。
そして、変化の激しい社会であっても、
自分の想いや願いに向かって、真っ直ぐ歩み続ける姿を、
見せることができれば、それでいいのではないだろうか。
散策路の片隅 キクザキイチゲ(紫系)が開花