30代の中頃だ。
当時、2人の息子がお世話になった『学童保育ルーム』は、
市から補助金を頂きながら、保護者によって自主運営されていた。
私は、そのルームの保護者会長を3年間努めた。
その時、数々の新しい驚きや貴重な発見があった。
多くを学んだ。
その経験の中から、後編は失敗談を綴る。
② せめて 夏休みくらい
会長として2年目を迎えていた。
5月の役員会で、1つの提案をした。
その案は、半年も前から温めていたものだ。
「素晴らしい考えだ!」。
密かに、自画自賛までしていた。
なので、私はいつも以上に熱く語りだした。
「夏休み中は、子ども達にお弁当を作って、
持たせなければならない。
給食がないのだから、仕方ありません。
だから、この時期のお母さんは、
毎朝出勤前にいつも以上に大忙しです。
それは我が家に限ったことではないと思います。
この忙しさを、何とかしてあげたいと思ったんです。
そこで、提案なんですが・・。」
私の突然の熱弁に、役員と指導員のメモするペンが止まった。
私は、いっそう声を張った。
「夏休み中の昼食は、弁当持参ではなくて、
業者へ弁当を発注するんです。
毎日、それを届けてもらうんです。
子ども達は、学校の給食と同様に、
みんな同じ献立の弁当を食べるんです。
お母さん達の負担軽減のために、是非実現したい。
当然、実現には、クリアしなければならないことが、沢山あります。
それを、1つ1つ越えて、夏休みを迎えたいと思っているんですが、
どうでしょうか?」。
私の提案後、しばらく静かな時間が過ぎた。
1年前より一緒にルーム運営をしてきた人達だ。
きっと理解してもらえると思っていた。
最初に、実行力にたけた男性役員が切り出した。
「まずは、そんな弁当を引き受けてくれる業者があるかどうかです。
うちの会社に出入りしている業者に、訊いてみますよ。
他にも、いくつか心当たりがあるので、あたってみます。」
「私の知り合いにも、
そんな関連会社に勤めている人がいますから、私も訊いて・・。」
その後、クリアすべき具体的な課題が次々と飛び交った。
1食の金額は・・、配送時間は・・、
食中毒対策は・・、集金方法は・・等々、
思いつくままに問題点が出され、整理されていった。
1つ1つの課題に対し、担当が割り当てられた。
迅速だった。
2週間後に臨時の役員会が設定された。
私の提案が受け入れられた。
それに向かって歩み始めたのだ。
嬉しかった。ほっとした。
2週間後、役員会には、
発注を受け入れると言う業者から、
試作弁当が届いた。
価格も手ごろだった。
搬入方法も万全だ。
その上、当日の個数変更にも応じると言う。
試食後、「これならば・・」と全員からゴーサインがでた。
全てが順調に進んだかに思えた。
後は、細部の確認と全保護者への通知方法が残った。
ところが、それから数日後のことだ。
夕方遅く、近くのスーパーで食料品の買い物をした。
そこで、同じルームのお母さんから声をかけられた。
2人の息子と同じ年齢の女の子がいた。
なので、子ども達が保育所通いの頃から顔馴染みだった。
いつも気さくに声をかけ合い、家族ぐるみで仲よくしていた。
「ルームの役員会で、
夏休みの弁当を業者に委託する話が、
進んでいるんですか。」
そんな声が聞こえてきたと、
いつもと変わらない明るい表情で訊かれた。
「少しでもお母さん方の負担を楽にできたらと思って、
検討しているんですけど・・。」
すると、何時になく真剣な表情に変わった。
そして、遠慮がちに言いだした。
「私たち母親のことを思って、
そんなことを考えてくれているのは、
ありがたいんだけど・・・。
正直な気持ちを言っていい?」。
何を言いたいのか見当がつかないまま、
うなずいた。
「せめて夏休みくらい、私は毎朝弁当を作ってあげたい。
そう思っているの。」
「せめて夏休みくらい・・」
その言葉が、何度か頭をかけ巡った。
私の発想の出発点と真逆な気がした。
「そうですか・・!」
私は口ごもった。
「だって、夫婦して働いて、
いつも辛い想いをさせているんですもの。
罪滅ぼしにはならいけど、親の務めと思って・・、
私は・・」。
心がさわいだ。
「そうですか・・。そうですね・・。」
全く思ってもみなかった声だった。
その後、余計なことを言ったかもと、
お母さんは恐縮しきりだったが、
「もう1度考えてみます。」
そう約束して別れた。
翌日、電話で女性の役員、指導員に尋ねた。
家内にも訊いてみた。
「親心として、よく分かる。」
みんなが、共感していた。
「でも、そんな想いは夏休みの弁当でなくても、
返せると思ったの。
だから、私は役員会で反対しなかったの。」
そんな声もあった。
私は、迷った。
熟慮が必要だった。
「まだ、引き返せる。」
でも、「提案を受け入れ、
具体的に行動している役員がいる。」
再確認の必要性だけは、痛感した。
数日後夜遅く、臨時役員会を持った。
そのお母さんの意見を全員に伝えた。
加えて、一方的な思いつきでの提案だったことを詫びた。
全員、私の想いを受けとめてくれた。
そして、どうするかだった。
結論は、『希望者には、
夏休みの業者弁当を提供すること』だった。
通所児童の約半数が毎日その弁当を食べ、
後は親の手作り弁当を持ってきた。
さて、翌年に向けてルーム運営の評価の時が来た。
多くの保護者から、様々な声が届いた。
その中に、夏休みの弁当へ多くの意見が寄せられた。
そのほとんどは、
「親の弁当か業者のものか、どちらか1つにしてほしい」
と言うものだった。
「余分なことをした。」
若干の自己嫌悪があった。
話し合いの末、
翌年は、業者弁当を止めることでまとまった。
山肌が透けて見える 冬の山 寒そう!
当時、2人の息子がお世話になった『学童保育ルーム』は、
市から補助金を頂きながら、保護者によって自主運営されていた。
私は、そのルームの保護者会長を3年間努めた。
その時、数々の新しい驚きや貴重な発見があった。
多くを学んだ。
その経験の中から、後編は失敗談を綴る。
② せめて 夏休みくらい
会長として2年目を迎えていた。
5月の役員会で、1つの提案をした。
その案は、半年も前から温めていたものだ。
「素晴らしい考えだ!」。
密かに、自画自賛までしていた。
なので、私はいつも以上に熱く語りだした。
「夏休み中は、子ども達にお弁当を作って、
持たせなければならない。
給食がないのだから、仕方ありません。
だから、この時期のお母さんは、
毎朝出勤前にいつも以上に大忙しです。
それは我が家に限ったことではないと思います。
この忙しさを、何とかしてあげたいと思ったんです。
そこで、提案なんですが・・。」
私の突然の熱弁に、役員と指導員のメモするペンが止まった。
私は、いっそう声を張った。
「夏休み中の昼食は、弁当持参ではなくて、
業者へ弁当を発注するんです。
毎日、それを届けてもらうんです。
子ども達は、学校の給食と同様に、
みんな同じ献立の弁当を食べるんです。
お母さん達の負担軽減のために、是非実現したい。
当然、実現には、クリアしなければならないことが、沢山あります。
それを、1つ1つ越えて、夏休みを迎えたいと思っているんですが、
どうでしょうか?」。
私の提案後、しばらく静かな時間が過ぎた。
1年前より一緒にルーム運営をしてきた人達だ。
きっと理解してもらえると思っていた。
最初に、実行力にたけた男性役員が切り出した。
「まずは、そんな弁当を引き受けてくれる業者があるかどうかです。
うちの会社に出入りしている業者に、訊いてみますよ。
他にも、いくつか心当たりがあるので、あたってみます。」
「私の知り合いにも、
そんな関連会社に勤めている人がいますから、私も訊いて・・。」
その後、クリアすべき具体的な課題が次々と飛び交った。
1食の金額は・・、配送時間は・・、
食中毒対策は・・、集金方法は・・等々、
思いつくままに問題点が出され、整理されていった。
1つ1つの課題に対し、担当が割り当てられた。
迅速だった。
2週間後に臨時の役員会が設定された。
私の提案が受け入れられた。
それに向かって歩み始めたのだ。
嬉しかった。ほっとした。
2週間後、役員会には、
発注を受け入れると言う業者から、
試作弁当が届いた。
価格も手ごろだった。
搬入方法も万全だ。
その上、当日の個数変更にも応じると言う。
試食後、「これならば・・」と全員からゴーサインがでた。
全てが順調に進んだかに思えた。
後は、細部の確認と全保護者への通知方法が残った。
ところが、それから数日後のことだ。
夕方遅く、近くのスーパーで食料品の買い物をした。
そこで、同じルームのお母さんから声をかけられた。
2人の息子と同じ年齢の女の子がいた。
なので、子ども達が保育所通いの頃から顔馴染みだった。
いつも気さくに声をかけ合い、家族ぐるみで仲よくしていた。
「ルームの役員会で、
夏休みの弁当を業者に委託する話が、
進んでいるんですか。」
そんな声が聞こえてきたと、
いつもと変わらない明るい表情で訊かれた。
「少しでもお母さん方の負担を楽にできたらと思って、
検討しているんですけど・・。」
すると、何時になく真剣な表情に変わった。
そして、遠慮がちに言いだした。
「私たち母親のことを思って、
そんなことを考えてくれているのは、
ありがたいんだけど・・・。
正直な気持ちを言っていい?」。
何を言いたいのか見当がつかないまま、
うなずいた。
「せめて夏休みくらい、私は毎朝弁当を作ってあげたい。
そう思っているの。」
「せめて夏休みくらい・・」
その言葉が、何度か頭をかけ巡った。
私の発想の出発点と真逆な気がした。
「そうですか・・!」
私は口ごもった。
「だって、夫婦して働いて、
いつも辛い想いをさせているんですもの。
罪滅ぼしにはならいけど、親の務めと思って・・、
私は・・」。
心がさわいだ。
「そうですか・・。そうですね・・。」
全く思ってもみなかった声だった。
その後、余計なことを言ったかもと、
お母さんは恐縮しきりだったが、
「もう1度考えてみます。」
そう約束して別れた。
翌日、電話で女性の役員、指導員に尋ねた。
家内にも訊いてみた。
「親心として、よく分かる。」
みんなが、共感していた。
「でも、そんな想いは夏休みの弁当でなくても、
返せると思ったの。
だから、私は役員会で反対しなかったの。」
そんな声もあった。
私は、迷った。
熟慮が必要だった。
「まだ、引き返せる。」
でも、「提案を受け入れ、
具体的に行動している役員がいる。」
再確認の必要性だけは、痛感した。
数日後夜遅く、臨時役員会を持った。
そのお母さんの意見を全員に伝えた。
加えて、一方的な思いつきでの提案だったことを詫びた。
全員、私の想いを受けとめてくれた。
そして、どうするかだった。
結論は、『希望者には、
夏休みの業者弁当を提供すること』だった。
通所児童の約半数が毎日その弁当を食べ、
後は親の手作り弁当を持ってきた。
さて、翌年に向けてルーム運営の評価の時が来た。
多くの保護者から、様々な声が届いた。
その中に、夏休みの弁当へ多くの意見が寄せられた。
そのほとんどは、
「親の弁当か業者のものか、どちらか1つにしてほしい」
と言うものだった。
「余分なことをした。」
若干の自己嫌悪があった。
話し合いの末、
翌年は、業者弁当を止めることでまとまった。
山肌が透けて見える 冬の山 寒そう!