春を思わせる陽気が続いた。
まん延防止期間中だが、
「どこかへドライブにでも!」。
そんな気になった。
遠出を控え、洞爺湖まで車を走らせた。
自宅から緩い上り坂を少し行くと、道道「滝の町・伊達線」に出る。
そこから「伊達トンネル」と「北の湘南橋」を過ぎると、
正面に有珠山、右手に昭和新山が見える。
上り坂にさしかかると、
徐々に昭和新山が大きくなり、やがてその横を通過する。
そこが峠の頂点だ。
その後、若干曲がりくねった急坂を下ると、
青一色の洞爺湖全景が、一気に現れる。
ここまでわずか15分。
「洞爺湖は、すぐそこ!」を実感する。
車を走らせながら、ここが景勝地であることを再認識しつつ、
何故か、ふと昔と今に想いを馳せる。
① ここに熱帯植物園が・・
2,3年前になるだろうか、昭和新山の麓から、
有珠山ロープウエイに乗った。
その頂上駅からは、洞爺湖、有珠山の噴火跡、
周辺山々の絶景などが堪能できた。
小1時間程で、下りのゴンドラに乗る。
間もなく下の駅へ到着する時だ。
おみやげ店などに隠れていて、
地上からは見えない廃屋が数棟、眼下にあった。
そこに、おぼろ気であやふやだった熱帯植物園の痕跡を見た。
「やっぱり、ここに熱帯植物園があったんだ!」。
確か小学5年の見学だったと思う。
昭和新山の説明を聞いた後、そばにあった熱帯植物園に行った。
そこは、昭和新山の地熱を利用した温室だと聞いた。
言われるままに一列になって、
見たことのない樹木を見て回った。
動かない草木に興味などなかった。
なのに、目に止まり、心に焼き付いたものが2つあった。
1つは、バナナの木だ。
当時、高級品だったバナナは、
運動会の校庭で広げるお弁当でしか食べられなかった。
私は、それさえ叶わず、その味を知らなかった。
そのバナナが大きな木になっていたのだ。
木は4、5本あり、その全てに房になったバナナが幾つもあった。
私だけでなく、どの子の足もそこで止まった。
あのバナナが、木に実っていることが不思議でならなかった。
もう1つは、パイナップルだ。
パイナップルは缶詰でした見たことがなかった。
でも、そのラベルからパイナップルの外形は知っていた。
温室を進んでいくと、
案内表示がパイナップルとなった。
急に興味がわいた。
「バナナのように大きな木になっているに違いない」。
ところが、地面から出ていた太い茎と葉の上に、
缶のラベルと同じ色と形が、ズッシリと乗っかっていた。
私の驚きは、尋常ではなかった。
帰宅してすぐ、2つの驚きを家族に話した。
バナナにもパイナップルにも、みんな無関心だった。
なのに、洞爺湖の遊覧船や湖中にある中島のことを訊き返してきた。
それには、全然答えられない私だった。
② めざせ! 洞爺湖
中学3年の時、一気に仲良し5人組ができた。
その5人とは、高校を卒業するまで色んな所へ出かけた。
夏は、テントを背負ってキャンプへ。
冬は、寂れた温泉宿に泊まり、スキーへ。
その5人で初めて計画し実行したのが、
洞爺湖へのサイクリングだった。
私たちが暮らしていた室蘭市中島町から洞爺湖まで、
自転車でどれくらいかかったのか、覚えがない。
確か・・、日帰りだった気がする。
どんな自転車で行ったのかも覚えがない。
5人のうち、私ともう1人は、
自転車屋さんからその日だけ貸してもらったのを、
使ったことだけは間違いない。
夏休みが始まってすぐ、快晴の日だった。
サイクリングは初めての経験で、
5人にとってそれは、冒険旅行のようだった。
5台の自転車が1列になって、
国道37号線の道路脇を走った。
きっと伊達も通ったはずだが、町並みなどは記憶にない。
ただペダルをこぎ続けて疲れた体に、
行く先々での海風が柔らかく、心地よかった。
当時は『虻田』と呼んでいたが、
洞爺湖町に着くまでは、さほど起伏がなかった。
ところが、そこから国道を右折すると上り坂が険しくなった。
5人とも途中で音を上げ、自転車を降り、押して峠を目指した。
峠越えから下りになって、すぐだったと思う。
眼下に洞爺湖が広がった。
近くの道路脇に展望台のようなところがあった。
そろって自転車を止め、一斉に洞爺湖に駆け寄った。
誰も言葉が出なかった。
青空が、そのまま湖面になっていた。
中島のこんもりとした山が、
緑色のままツヤツヤしていた。
周辺の山々だけが、じっと息を潜めていた。
長い長いサイクリングの末に見た洞爺湖の思い出は、
そこまでしかない。
その後、湖畔で何をしたのか。
どうやって帰路に着いたのか。
曖昧である。
ただ、5人で見た洞爺湖のあの美しさは、
ずっと色あせることなく、今も忘れていない。
③ とうや湖ぐるっと彫刻公園
洞爺湖温泉街からはずっと離れた東側に、
小さな日帰り温泉『来夢人(キムンド)』がある。
5年以上も前になるが、タオルとシャンプーを持参して、
その源泉掛け流しの温泉に行ってみた。
湯船は小さいが、湯量は豊富だった。
泉質は体の芯まで温めてくれ、湯上がりは最高だった。
その心地よさのまま、外に出て『来夢人』の周りを散策した。
確かに洞爺八景の1つと言われるように、綺麗な眺めだった。
そこに、自然と調和するように、4つの彫刻があった。
後日、知ったが、4つとも1993年に設置されたもので、
『春~風光る』(熊谷紀子・作)、『夏~渚へ』(神田比呂子・作)、
『秋~終日』(秋山知子・作)、『冬~星降る夜』(小野寺紀子・作)という人物の像だった。
湖畔の白樺林を背景に、たたずむ4つの彫刻が、
初秋の光を受けていた。
しばらく時を止め、それを見ていた。
温泉の温もりも手伝っていただろうが、
心を耕し豊かにする素敵な時間が静かに過ぎた。
それが、洞爺湖の周りにある彫刻を知る
切っ掛けになった。
80年代、90年代に設置されたようだ。
『とうや湖ぐるっと彫刻公園』と言われ、
58基の彫刻などのアート作品が、
周囲40数キロの湖畔に置かれている。
まだ、その全てを見ていない。
でも、いくつかを知り、
人と自然が織りなすその様を見る度にいつも、
私は活気づくのだ。
特に、真夏の大空と洞爺湖を背にした
『漣舞ーリップル・ダンス』(関正司・作)と、
雪の中島を借景にした『波遊』(折原久左エ門・作)がいい。
春 みーつけた!
まん延防止期間中だが、
「どこかへドライブにでも!」。
そんな気になった。
遠出を控え、洞爺湖まで車を走らせた。
自宅から緩い上り坂を少し行くと、道道「滝の町・伊達線」に出る。
そこから「伊達トンネル」と「北の湘南橋」を過ぎると、
正面に有珠山、右手に昭和新山が見える。
上り坂にさしかかると、
徐々に昭和新山が大きくなり、やがてその横を通過する。
そこが峠の頂点だ。
その後、若干曲がりくねった急坂を下ると、
青一色の洞爺湖全景が、一気に現れる。
ここまでわずか15分。
「洞爺湖は、すぐそこ!」を実感する。
車を走らせながら、ここが景勝地であることを再認識しつつ、
何故か、ふと昔と今に想いを馳せる。
① ここに熱帯植物園が・・
2,3年前になるだろうか、昭和新山の麓から、
有珠山ロープウエイに乗った。
その頂上駅からは、洞爺湖、有珠山の噴火跡、
周辺山々の絶景などが堪能できた。
小1時間程で、下りのゴンドラに乗る。
間もなく下の駅へ到着する時だ。
おみやげ店などに隠れていて、
地上からは見えない廃屋が数棟、眼下にあった。
そこに、おぼろ気であやふやだった熱帯植物園の痕跡を見た。
「やっぱり、ここに熱帯植物園があったんだ!」。
確か小学5年の見学だったと思う。
昭和新山の説明を聞いた後、そばにあった熱帯植物園に行った。
そこは、昭和新山の地熱を利用した温室だと聞いた。
言われるままに一列になって、
見たことのない樹木を見て回った。
動かない草木に興味などなかった。
なのに、目に止まり、心に焼き付いたものが2つあった。
1つは、バナナの木だ。
当時、高級品だったバナナは、
運動会の校庭で広げるお弁当でしか食べられなかった。
私は、それさえ叶わず、その味を知らなかった。
そのバナナが大きな木になっていたのだ。
木は4、5本あり、その全てに房になったバナナが幾つもあった。
私だけでなく、どの子の足もそこで止まった。
あのバナナが、木に実っていることが不思議でならなかった。
もう1つは、パイナップルだ。
パイナップルは缶詰でした見たことがなかった。
でも、そのラベルからパイナップルの外形は知っていた。
温室を進んでいくと、
案内表示がパイナップルとなった。
急に興味がわいた。
「バナナのように大きな木になっているに違いない」。
ところが、地面から出ていた太い茎と葉の上に、
缶のラベルと同じ色と形が、ズッシリと乗っかっていた。
私の驚きは、尋常ではなかった。
帰宅してすぐ、2つの驚きを家族に話した。
バナナにもパイナップルにも、みんな無関心だった。
なのに、洞爺湖の遊覧船や湖中にある中島のことを訊き返してきた。
それには、全然答えられない私だった。
② めざせ! 洞爺湖
中学3年の時、一気に仲良し5人組ができた。
その5人とは、高校を卒業するまで色んな所へ出かけた。
夏は、テントを背負ってキャンプへ。
冬は、寂れた温泉宿に泊まり、スキーへ。
その5人で初めて計画し実行したのが、
洞爺湖へのサイクリングだった。
私たちが暮らしていた室蘭市中島町から洞爺湖まで、
自転車でどれくらいかかったのか、覚えがない。
確か・・、日帰りだった気がする。
どんな自転車で行ったのかも覚えがない。
5人のうち、私ともう1人は、
自転車屋さんからその日だけ貸してもらったのを、
使ったことだけは間違いない。
夏休みが始まってすぐ、快晴の日だった。
サイクリングは初めての経験で、
5人にとってそれは、冒険旅行のようだった。
5台の自転車が1列になって、
国道37号線の道路脇を走った。
きっと伊達も通ったはずだが、町並みなどは記憶にない。
ただペダルをこぎ続けて疲れた体に、
行く先々での海風が柔らかく、心地よかった。
当時は『虻田』と呼んでいたが、
洞爺湖町に着くまでは、さほど起伏がなかった。
ところが、そこから国道を右折すると上り坂が険しくなった。
5人とも途中で音を上げ、自転車を降り、押して峠を目指した。
峠越えから下りになって、すぐだったと思う。
眼下に洞爺湖が広がった。
近くの道路脇に展望台のようなところがあった。
そろって自転車を止め、一斉に洞爺湖に駆け寄った。
誰も言葉が出なかった。
青空が、そのまま湖面になっていた。
中島のこんもりとした山が、
緑色のままツヤツヤしていた。
周辺の山々だけが、じっと息を潜めていた。
長い長いサイクリングの末に見た洞爺湖の思い出は、
そこまでしかない。
その後、湖畔で何をしたのか。
どうやって帰路に着いたのか。
曖昧である。
ただ、5人で見た洞爺湖のあの美しさは、
ずっと色あせることなく、今も忘れていない。
③ とうや湖ぐるっと彫刻公園
洞爺湖温泉街からはずっと離れた東側に、
小さな日帰り温泉『来夢人(キムンド)』がある。
5年以上も前になるが、タオルとシャンプーを持参して、
その源泉掛け流しの温泉に行ってみた。
湯船は小さいが、湯量は豊富だった。
泉質は体の芯まで温めてくれ、湯上がりは最高だった。
その心地よさのまま、外に出て『来夢人』の周りを散策した。
確かに洞爺八景の1つと言われるように、綺麗な眺めだった。
そこに、自然と調和するように、4つの彫刻があった。
後日、知ったが、4つとも1993年に設置されたもので、
『春~風光る』(熊谷紀子・作)、『夏~渚へ』(神田比呂子・作)、
『秋~終日』(秋山知子・作)、『冬~星降る夜』(小野寺紀子・作)という人物の像だった。
湖畔の白樺林を背景に、たたずむ4つの彫刻が、
初秋の光を受けていた。
しばらく時を止め、それを見ていた。
温泉の温もりも手伝っていただろうが、
心を耕し豊かにする素敵な時間が静かに過ぎた。
それが、洞爺湖の周りにある彫刻を知る
切っ掛けになった。
80年代、90年代に設置されたようだ。
『とうや湖ぐるっと彫刻公園』と言われ、
58基の彫刻などのアート作品が、
周囲40数キロの湖畔に置かれている。
まだ、その全てを見ていない。
でも、いくつかを知り、
人と自然が織りなすその様を見る度にいつも、
私は活気づくのだ。
特に、真夏の大空と洞爺湖を背にした
『漣舞ーリップル・ダンス』(関正司・作)と、
雪の中島を借景にした『波遊』(折原久左エ門・作)がいい。
春 みーつけた!