その1
現職だったころのことだ。
赴任した区には、小学生の宿泊施設がT県にあった。
そこは、閑静な山村で、
峠道は小型車しか通れないような山深いところだった。
大都会の子ども達が2泊3日の体験学習をするには、
最適な場所と言ってもよかった。
そこでハイキングや、川をせき止めての魚つかみ、
うどん打ちにコンニャク作りなどをした。
すべてが静かな時間の中だった。
3日目の最後は、家族などへお土産を買う計画だ。
ところが、渓流釣りを相手にした店が2軒あるだけで、
7,80人の子どもが一斉に土産物を買うような店はなかった。
そこで、毎年、2軒の店が宿泊施設内で臨時の土産物店を開いてくれた。
子供らは、1000円の現金を握り、
思い思いのお土産を小1時間かけて買い求めた。
それをリュックにつめ、帰宅の途に着くのである。
ある年、トラブルが起きた。
帰宅した子が、家族のために買った箱詰めのお菓子が、
賞味期限切れのものだった。
それに気づいた母親は迷った末に、宿泊施設に電話した。
施設は、土産物店を出した地元店の電話番号を教えた。
仕方なくそこへ電話し,
お菓子の賞味期限が過ぎていることを伝えた。
お母さんは、お詫びと共に、
「今後は気をつけます」のひと言を期待していた。
ところが、電話口の店主は、サラリと言った。
「賞味期限が切れていても、大丈夫だと思いますよ」。
お母さんには返す言葉がなかった。
「山村での不自由な生活では、賞味期限に寛大なのだろう」。
そう思いつつもお母さんは、
「放って置いてはいけない!」と、
そこまでの経過を教育委員会に伝えた。
教育委員会は顔色を失った。
施設を通して、地元の店に改善を求めた。
後日、地元店主は手土産を持って、
わざわざ東京のお母さん宅へ謝罪に出向いた。
「こんな大ごとになるなんて!」。
店主の後ろ姿を見ながら、母親はそう思った。
その2
前頭葉の老化により感情の抑制ができなくなっていくと、
聞いたことがある。
まだまだ先のことと思いつつも、
『つまづかない』『ボケない』に加え『キレない』を、
心がけるようにしている。
さて、つい最近のことだ。
昼食で、家内がラーメンを出してくれた。
生麺もスープも有名ラーメン店が出している市販のもので、
好きな味だった。
「食べている途中だけど、このチャーシューね、
さっき買ってきたのに、4日前が賞味期限だったの!
買うときには全然気づかなくて・・。
ラーメンにのせてから分かったの。
それでも、いいでしょう・・」。
この頃、賞味期限切れを食べることに、抵抗感が薄れてきた。
だから、そのチャーシューを食べることは不快でなかった。
だが、4日も前に期限が過ぎているものを売っている店には、
若干の不信が芽生えた。
それよりも、そんな食品を売り続けてはいけないと思った。
「賞味期限切れに気づかないで買った私も悪いんだから・・」。
家内のそんな声を聞きながらだったが、
当地では数少ない大型スーパーへ電話をした。
当然、軽い忠告のつもり。
『キレる』心配など全くしていなかった。
受話器に、若い女性の声が出た。
私は、穏やかな声でゆっくりと言った。
相手に不快な思いをさせないよう、
私なりの気遣いだ。
「忙しいところすみませんが、苦情の電話をしました」。
てっきり苦情を担当する係がいて、その方に変わってから、
対応するものと思っていた。
ところが、その女性は早口ですぐに言った。
「ハイ、何でしょうか?」
驚きながら、それでもゆっくりと話した。
「実は、今日午前中ですが、そちらの店で買った焼き豚が、
4日も前が賞味期限だったんです」。
女性は、間髪を入れずに言った。
「そうですか。すみませんでした!」。
私は、次の言葉を待った。
きっと買った品物の詳しいことについて、
問いかけがあるだろうと予想していた。
しばらく間があった。
無言の時間が、流れた。
仕方なく、半信半疑のまま、ややきつい声で訊いた。
「それだけですか?」。
すぐに答えが返ってきた。
「ハイ!」。
もう、何も言えなかった。
再び、無言の時が流れた。
そして、受話器を置く音が聞こえた。
しばらくして、男性の声に変わった。
「賞味期限が過ぎた物をお売りしたようで、
申し訳ありませんでした。
今後、気をつけてまいります」。
「こんなときは、期限切れの品物は何か、
期限がいつになっているかなどを、
お訊きにならないのですか」。
穏やかに尋ねてみた。
「先の者が、お聞きしたものと思っておりました」。
「私が賞味期限の過ぎた焼き豚を買ったと言ったら、
そうですか、すみませんと、答えただけです」。
「そうでしたか。もう一度、教育をしておきます。
それから、お買い求めの品は交換させてもらいます」。
もう私の沸点は近かった。
「それは結構です。P社製造の焼き豚です。
他に期限切れがないか調べて、売るのはやめてはいかがですか。」
その返事を聞かずに、静かに受話器を置いた。
『たかが賞味期限 されど賞味期限』
と、粋がって電話してみたものの、
見事な返り討ちにあった気分だ。
こんな電話はいつものことなのだろう。
もう手も足も出ない。
「完敗だ!」。
まもなく 終演!
現職だったころのことだ。
赴任した区には、小学生の宿泊施設がT県にあった。
そこは、閑静な山村で、
峠道は小型車しか通れないような山深いところだった。
大都会の子ども達が2泊3日の体験学習をするには、
最適な場所と言ってもよかった。
そこでハイキングや、川をせき止めての魚つかみ、
うどん打ちにコンニャク作りなどをした。
すべてが静かな時間の中だった。
3日目の最後は、家族などへお土産を買う計画だ。
ところが、渓流釣りを相手にした店が2軒あるだけで、
7,80人の子どもが一斉に土産物を買うような店はなかった。
そこで、毎年、2軒の店が宿泊施設内で臨時の土産物店を開いてくれた。
子供らは、1000円の現金を握り、
思い思いのお土産を小1時間かけて買い求めた。
それをリュックにつめ、帰宅の途に着くのである。
ある年、トラブルが起きた。
帰宅した子が、家族のために買った箱詰めのお菓子が、
賞味期限切れのものだった。
それに気づいた母親は迷った末に、宿泊施設に電話した。
施設は、土産物店を出した地元店の電話番号を教えた。
仕方なくそこへ電話し,
お菓子の賞味期限が過ぎていることを伝えた。
お母さんは、お詫びと共に、
「今後は気をつけます」のひと言を期待していた。
ところが、電話口の店主は、サラリと言った。
「賞味期限が切れていても、大丈夫だと思いますよ」。
お母さんには返す言葉がなかった。
「山村での不自由な生活では、賞味期限に寛大なのだろう」。
そう思いつつもお母さんは、
「放って置いてはいけない!」と、
そこまでの経過を教育委員会に伝えた。
教育委員会は顔色を失った。
施設を通して、地元の店に改善を求めた。
後日、地元店主は手土産を持って、
わざわざ東京のお母さん宅へ謝罪に出向いた。
「こんな大ごとになるなんて!」。
店主の後ろ姿を見ながら、母親はそう思った。
その2
前頭葉の老化により感情の抑制ができなくなっていくと、
聞いたことがある。
まだまだ先のことと思いつつも、
『つまづかない』『ボケない』に加え『キレない』を、
心がけるようにしている。
さて、つい最近のことだ。
昼食で、家内がラーメンを出してくれた。
生麺もスープも有名ラーメン店が出している市販のもので、
好きな味だった。
「食べている途中だけど、このチャーシューね、
さっき買ってきたのに、4日前が賞味期限だったの!
買うときには全然気づかなくて・・。
ラーメンにのせてから分かったの。
それでも、いいでしょう・・」。
この頃、賞味期限切れを食べることに、抵抗感が薄れてきた。
だから、そのチャーシューを食べることは不快でなかった。
だが、4日も前に期限が過ぎているものを売っている店には、
若干の不信が芽生えた。
それよりも、そんな食品を売り続けてはいけないと思った。
「賞味期限切れに気づかないで買った私も悪いんだから・・」。
家内のそんな声を聞きながらだったが、
当地では数少ない大型スーパーへ電話をした。
当然、軽い忠告のつもり。
『キレる』心配など全くしていなかった。
受話器に、若い女性の声が出た。
私は、穏やかな声でゆっくりと言った。
相手に不快な思いをさせないよう、
私なりの気遣いだ。
「忙しいところすみませんが、苦情の電話をしました」。
てっきり苦情を担当する係がいて、その方に変わってから、
対応するものと思っていた。
ところが、その女性は早口ですぐに言った。
「ハイ、何でしょうか?」
驚きながら、それでもゆっくりと話した。
「実は、今日午前中ですが、そちらの店で買った焼き豚が、
4日も前が賞味期限だったんです」。
女性は、間髪を入れずに言った。
「そうですか。すみませんでした!」。
私は、次の言葉を待った。
きっと買った品物の詳しいことについて、
問いかけがあるだろうと予想していた。
しばらく間があった。
無言の時間が、流れた。
仕方なく、半信半疑のまま、ややきつい声で訊いた。
「それだけですか?」。
すぐに答えが返ってきた。
「ハイ!」。
もう、何も言えなかった。
再び、無言の時が流れた。
そして、受話器を置く音が聞こえた。
しばらくして、男性の声に変わった。
「賞味期限が過ぎた物をお売りしたようで、
申し訳ありませんでした。
今後、気をつけてまいります」。
「こんなときは、期限切れの品物は何か、
期限がいつになっているかなどを、
お訊きにならないのですか」。
穏やかに尋ねてみた。
「先の者が、お聞きしたものと思っておりました」。
「私が賞味期限の過ぎた焼き豚を買ったと言ったら、
そうですか、すみませんと、答えただけです」。
「そうでしたか。もう一度、教育をしておきます。
それから、お買い求めの品は交換させてもらいます」。
もう私の沸点は近かった。
「それは結構です。P社製造の焼き豚です。
他に期限切れがないか調べて、売るのはやめてはいかがですか。」
その返事を聞かずに、静かに受話器を置いた。
『たかが賞味期限 されど賞味期限』
と、粋がって電話してみたものの、
見事な返り討ちにあった気分だ。
こんな電話はいつものことなのだろう。
もう手も足も出ない。
「完敗だ!」。
まもなく 終演!