ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

誰かの役に立つ

2022-05-28 15:04:17 | 思い
 ▼ 1年を通して一番快適な季節と言っていいだろう。
朝ランも、爽やかな風が心地いい。
 それに加えて、山々の緑と次々と開花する春の花が、
私の走りを軽くする。

 先日、5キロを走り終えた矢先に、
自宅前を通った方から、いきなり訊かれた。
 「今年の伊達ハーフマラソンは、走ったんですか?」。

 同じようなことを、度々尋ねられる。
気にかけている方がいると思うと、それだけで嬉しくなる。
 返答は、いつも同じだ。
「まだ、高齢者が迷惑をかけるわけにはいかないから、
今年は遠慮しました」。

 どの方も納得したような、でもやや曇った顔をする。
だから、その後、決まって付け足す。
 「だけど、今年も洞爺湖オンラインマラソンがあるので、
それには参加します。
 スマホさえあれば、期間内の好きな時間に好きなコースで、
42,195キロ以上を走るんです。
 これなら私でも迷惑をかけませんから」。

 そのマラソンイベントに、千人以上が参加すると説明すると、
理解しがたい不思議な顔をしながらも、
どの人も「頑張って下さい」と言い残してくれる。

 そのオンラインマラソンの期限が迫っている。
残り10キロ余りで、ゴールである。
 最後は、洞爺湖の湖畔を走ることに・・・。

 さて、伊達に移り住んで10年になった。
ずっとランニングをしてきた。
 年齢とともに体力の衰えは、仕方ない。
でも、少しでも長く続けたい楽しみの1つである。

 そんな折り、2つの「誰かの役に立つ!」に触れた。


 ① 児童文化研究会の仲間で、
10歳年下の先生からショートメールが届いた。

 定年退職後勤務していた不登校児童生徒の支援教室を3月に辞め、
居住地の町議補選に無所属で立候補した。
 めでたく当選したとの知らせだった。

 急いでネット検索をしてみた。
30歳代と40歳代、そして65歳の彼で、2議席を争った。
 得票数は、2人に大差を付け、圧勝していた。

 当選後だったが、YouTubeで彼の訴えを聴いてみた。
現職時代から、誠実さがにじみ出ていた教師だった。
 そんな彼らしく、決しておごらない、
でも芯のある口調での訴えだった。
 それが、きっと有権者の支持につながったのだと思った。
嬉しかった。

 それにしても、大転身だ。
教職一筋から、人口減少下の町政という重たい任に、
進んで身を投じたのだ。

 何が、そこまで彼を突き動かしたのか、
私には見当もつかない。
 でも、決して私利私欲ではない。
彼なりの「誰かの役に立ちたい」という一念からの行動に違いない。
 ただただ心が騒いだ。

 ② 東京都中央区に在住する方のブログ『心の伊達市民』が、
毎日更新される。
 東京の今が感じられ、楽しみにしている。

 その方が、先日、友人らと『都心を歩く会』を行った。
その時の愛宕神社「出世の階段」の一節が、心に残った。
 転記する。

  *     *     *     *     *

 「出世の階段」を見上げて考えた。
「もう出世も関係無い」・・・と。
 引退すると特に義務となることが少くなるので、
「なんでもいい」とか「明日でも、来週でもいい」となる。
 そうしている内に「いい加減な男」になり、
周りから「嫌われて行く」のも知らずに平然としているようになる。

 現役の時は朝起きると既に戦闘モードに入っていて、
その日の予定が頭に浮かんだ。
 問題を抱えている時は気が重かったが、
逃れられないのでやるしかなかった。
 だからボケることなど、考えてもいなかった。

 人は生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ。
引退してみると、殆ど私は誰の役にも立っていない自分に気が付く。
 私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い。

 出掛けたきり戻らなければ、家族は困って探すだろう。
でも死んで居なくなった場合は、すぐに諦めるだろう。
 なぜかこの頃の私は暗い話になることが増えた。
軽いうつ病かな?

 コロナ騒動で単独行動が増えた結果、
「1人は気楽でいい」と感じるようになった。
 こうなると益々、「誰かの役に立つ」から遠ざかる。
今回、集まった同級生達は「誰かの役に立っている」のだろうか?

 今でも現役で頑張り、世の中のお役に立っている男、
老人会の会長で老人のお役に立っている男、
 写真クラブの役員でお役に立っている男、
会社のOB会でお役に立っている男、
 孫のお役に立っている男、
存在が家族のお役に立っている男など色々いる。
 私は「都心を歩く会」主宰で、
少しは彼らのお役に立っているだろうか?

  *     *     *     *     *
 
 ▼ 「心の伊達市民」さんの言葉が、1つ1つ刺さった。

 ・「いい加減な男」になり‥ 
 ・「嫌われて行く」のも知らずに平然として‥
 ・誰の役にも立っていない自分に気が付く‥
 ・私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い
 ・「1人は気楽でいい」と感じるようにな‥ると益々、
  「誰かの役に立つ」から遠ざかる

 最近の、私自身を見透かされたようで、ドキリとする。
「誰かの役に立つ」ことに、腰が重くなる私は、
それよりも私の楽しみを優先させている。
 朝ランもそうだ。週1のゴルフも・・・。
そして、読書や執筆が楽しさに追加される。

 でも、
『生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ』と、
「心の伊達市民」さんは言う。
 知人は、町議になり、
第2の人生でも『誰かの役に立つ』ためのポジションを奪い取った。

 私はどうだろうか。
若干、気恥ずかしい。
 でも、少しでもお役に立てたらと受けた自治会の仕事に、
誠実でいようと思う。
 そこで、「誰かの役に立つ」真似事ができれば、
それはそれでいいような・・気がする・・が。




  ヒノデツツジ 真っ赤! ~歴史の杜公園~
                    ※次回のブログ更新予定は 6月11日(土)です
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