『北の湘南』と言われる風光明媚な地に暮らし始めて10年になる。
全てが未知の所だったが、この10年には満足している。
都会のような刺激はないが、
コンパクトシティとしての手軽な暮らしやすさと共に、
手の届く所に自然の恵みがあるのがいい。
さて、このブログでは、この地で出会った方々との、
エピソードを『だての人名録』などと題していくつも綴ってきた。
今回は、その続編と言えるかどうか。
出会った方からの心に刻まれたひと言を記してみようと思う。
まずは、その1・・・。
1.路傍の家庭菜園にて
① ズッキーニ
先日、ご近所さんからのお裾分け野菜に、
ズッキーニが2,3本入っていた。
新鮮なうちにと、輪切りにしフライパンで焼き、
さっと醤油をかけ、夕飯の食卓にならんだ。
見た目は、肥大化したキュウリのようだが、
食感は、なすを思わせる。
そして、味はどの野菜とも違う。
「ズッキーニの美味しさ!」である。
次から次、箸が進んだ。
私が、この野菜を食べるようになったのは、
この10年である。
それ以前に、ズッキーニはあったのかも知れないが、
口にした記憶は曖昧である。
もう7,8年も前の初夏、
朝の散歩途中でのこと。
住宅街の一角を流れる狭い川の、
肥よくな河川敷を区分けし、家庭菜園が並んでいた。
勝手な想像だが、無許可の菜園のように思えた。
しかし、どの畑も手入れが行き届き、
野菜だけではなく、
季節の花も所々で綺麗に咲いていた。
つい足が止まった。
ある畑の片隅に、野菜にしては太い緑の茎から、
これまたしっかりとした枝が何本も横に伸び、
その先々には大ぶりの葉が付いていた。
それが野菜なのか花なのか、全く見当が付かず、
ただその力強い立ち姿に、興味が湧いた。
こんな時の私は、厚かましく、
遠慮を忘れてしまう。
つい、通りがかった同世代の男性に、
声をかけてしまった。
「おはようございます。
すみません。これ、野菜なんですか?」。
畑の片隅を指さし、尋ねた。
男性は、立ち止まり、
「それかい。ズッキーニだ。
ほら黄色の花の横から小さい実が出てきてるべ」
と言い、こう付け加えた。
「この頃、これを生産する人がいるけど、
横に大きくなって場所をとる割に、できる量が少ないんだ。
割に合わなくて、農家は大変かもなあ」。
教えてもらったズッキーニを、もう一度よく見た。
横に伸びた枝と葉が、確かに畑の片隅を目一杯独占していた。
作物生産者には、美味しさや品質だけじゃなく、
違う難しさがあることに、気づかされた。
② ニンニク
家内と一緒に朗読ボランティアをしている男性が、
朝の散歩途中に、玄関チャイムを鳴らした。
彼は、掘ったばかりのニンニク20個余りを袋に入れ、
家内に渡した。
「網の袋に入れ替えて、物置にでも吊して置くと、
美味しくなります」と言い、帰っていた。
ニンニクの味を知ったのは、
教職に就いてすぐのことだった。
同僚3人で中華料理店で夕食を囲んだ。
その時、初めて餃子を食べた。
その味がいっぺんに好きになった。
野菜や挽肉の美味しさを、ニンニクが引き立てていることを知った。
そして、もうすぐ40代という頃、
レストラン風のカウンターで、何度か飲む機会があった。
どうして締めにペペロンチーノを注文したか、
いきさつは忘れたが、一度で大好きになった。
この味もニンニクだと知り、驚いた。
そのニンニクを伊達で、しかも家庭菜園で、
栽培していることを知ったのは、3年前のことだ。
散歩の帰り道、休耕地の一部を利用した家庭菜園で、
作業をしている男性に出会った。
ブロッコリーやキャベツ、長ネギ、ジャガイモ、カボチャなどが
2、3畝ずつ整然と並んでいた。
雑草もなく、ていねいな作業ぶりがすぐに分かった。
同世代のその男性の足下に、
抜き取ったばかりの細長い葉のついた根が、山盛りになっていた。
根の形を見ると、ニンニクのよう。
でも、ニンニクの葉を知らなかった私は、半信半疑。
思い切って、訊いてみることにした。
「作業中、すみません。それってニンニクですか?」
男性は、作業の手を休めて、応じてくれた。
「そうだよ。今年の収穫はこれだけ」。
「伊達でも、ニンニクができるんですね。
すみません。なにも知らないので、教えて下さい。
今年の収穫量は、多い方なんですか?」。
「まあ、今年はうまくいった方かな。
毎年、同じように堆肥しても、収穫量は違う。
まず、ニンニクは、秋に植えて、越冬させるから、
うまくいく年も全くダメな年もあるんだ」。
「ニンニクは、雪の下で冬を越すんですか!」。
驚く私に男性は続ける。
「雪が解けたら、早く芽を出してほしいからって、
浅く埋めると、雪の下でシバれて発芽しなくなることもあるし・・。
反対に、それを恐れて深く埋めすぎると、
芽が出るのが遅くなって、いいニンニクができなくなる。
毎年、これでいいだろうかと迷いながら埋めるんだけど、
なかなか難しいものだ」。
「じゃ、抜き取るまで今年の善し悪しは、
ハッキリしない訳ですね?」。
「まあ、そういうことだけど・・・。
俺たちは、自分の分だけだからいいよ。
でも、農家さんはそうはいかない。大変だよね!」。
今年も、物産館やスーパーの地元野菜売り場に、ニンニクが並びはじめた。
栽培の難しさを知ったあの日以来、ニンニクにはすぐ目が止まるようになった。
ナナカマドに 秋の気配
全てが未知の所だったが、この10年には満足している。
都会のような刺激はないが、
コンパクトシティとしての手軽な暮らしやすさと共に、
手の届く所に自然の恵みがあるのがいい。
さて、このブログでは、この地で出会った方々との、
エピソードを『だての人名録』などと題していくつも綴ってきた。
今回は、その続編と言えるかどうか。
出会った方からの心に刻まれたひと言を記してみようと思う。
まずは、その1・・・。
1.路傍の家庭菜園にて
① ズッキーニ
先日、ご近所さんからのお裾分け野菜に、
ズッキーニが2,3本入っていた。
新鮮なうちにと、輪切りにしフライパンで焼き、
さっと醤油をかけ、夕飯の食卓にならんだ。
見た目は、肥大化したキュウリのようだが、
食感は、なすを思わせる。
そして、味はどの野菜とも違う。
「ズッキーニの美味しさ!」である。
次から次、箸が進んだ。
私が、この野菜を食べるようになったのは、
この10年である。
それ以前に、ズッキーニはあったのかも知れないが、
口にした記憶は曖昧である。
もう7,8年も前の初夏、
朝の散歩途中でのこと。
住宅街の一角を流れる狭い川の、
肥よくな河川敷を区分けし、家庭菜園が並んでいた。
勝手な想像だが、無許可の菜園のように思えた。
しかし、どの畑も手入れが行き届き、
野菜だけではなく、
季節の花も所々で綺麗に咲いていた。
つい足が止まった。
ある畑の片隅に、野菜にしては太い緑の茎から、
これまたしっかりとした枝が何本も横に伸び、
その先々には大ぶりの葉が付いていた。
それが野菜なのか花なのか、全く見当が付かず、
ただその力強い立ち姿に、興味が湧いた。
こんな時の私は、厚かましく、
遠慮を忘れてしまう。
つい、通りがかった同世代の男性に、
声をかけてしまった。
「おはようございます。
すみません。これ、野菜なんですか?」。
畑の片隅を指さし、尋ねた。
男性は、立ち止まり、
「それかい。ズッキーニだ。
ほら黄色の花の横から小さい実が出てきてるべ」
と言い、こう付け加えた。
「この頃、これを生産する人がいるけど、
横に大きくなって場所をとる割に、できる量が少ないんだ。
割に合わなくて、農家は大変かもなあ」。
教えてもらったズッキーニを、もう一度よく見た。
横に伸びた枝と葉が、確かに畑の片隅を目一杯独占していた。
作物生産者には、美味しさや品質だけじゃなく、
違う難しさがあることに、気づかされた。
② ニンニク
家内と一緒に朗読ボランティアをしている男性が、
朝の散歩途中に、玄関チャイムを鳴らした。
彼は、掘ったばかりのニンニク20個余りを袋に入れ、
家内に渡した。
「網の袋に入れ替えて、物置にでも吊して置くと、
美味しくなります」と言い、帰っていた。
ニンニクの味を知ったのは、
教職に就いてすぐのことだった。
同僚3人で中華料理店で夕食を囲んだ。
その時、初めて餃子を食べた。
その味がいっぺんに好きになった。
野菜や挽肉の美味しさを、ニンニクが引き立てていることを知った。
そして、もうすぐ40代という頃、
レストラン風のカウンターで、何度か飲む機会があった。
どうして締めにペペロンチーノを注文したか、
いきさつは忘れたが、一度で大好きになった。
この味もニンニクだと知り、驚いた。
そのニンニクを伊達で、しかも家庭菜園で、
栽培していることを知ったのは、3年前のことだ。
散歩の帰り道、休耕地の一部を利用した家庭菜園で、
作業をしている男性に出会った。
ブロッコリーやキャベツ、長ネギ、ジャガイモ、カボチャなどが
2、3畝ずつ整然と並んでいた。
雑草もなく、ていねいな作業ぶりがすぐに分かった。
同世代のその男性の足下に、
抜き取ったばかりの細長い葉のついた根が、山盛りになっていた。
根の形を見ると、ニンニクのよう。
でも、ニンニクの葉を知らなかった私は、半信半疑。
思い切って、訊いてみることにした。
「作業中、すみません。それってニンニクですか?」
男性は、作業の手を休めて、応じてくれた。
「そうだよ。今年の収穫はこれだけ」。
「伊達でも、ニンニクができるんですね。
すみません。なにも知らないので、教えて下さい。
今年の収穫量は、多い方なんですか?」。
「まあ、今年はうまくいった方かな。
毎年、同じように堆肥しても、収穫量は違う。
まず、ニンニクは、秋に植えて、越冬させるから、
うまくいく年も全くダメな年もあるんだ」。
「ニンニクは、雪の下で冬を越すんですか!」。
驚く私に男性は続ける。
「雪が解けたら、早く芽を出してほしいからって、
浅く埋めると、雪の下でシバれて発芽しなくなることもあるし・・。
反対に、それを恐れて深く埋めすぎると、
芽が出るのが遅くなって、いいニンニクができなくなる。
毎年、これでいいだろうかと迷いながら埋めるんだけど、
なかなか難しいものだ」。
「じゃ、抜き取るまで今年の善し悪しは、
ハッキリしない訳ですね?」。
「まあ、そういうことだけど・・・。
俺たちは、自分の分だけだからいいよ。
でも、農家さんはそうはいかない。大変だよね!」。
今年も、物産館やスーパーの地元野菜売り場に、ニンニクが並びはじめた。
栽培の難しさを知ったあの日以来、ニンニクにはすぐ目が止まるようになった。
ナナカマドに 秋の気配