nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

南海電鉄~高師浜線

2011-09-02 20:41:00 | 国内の鉄道
南海電鉄・汐見橋線の次に訪れたのは、南海本線羽衣(はごろも)から分岐するミニ支線・高師浜(たかしのはま)線です。
およそ半世紀前、大阪在住の叔父に「タカシ君、タカシの浜に海水浴に連れて行ったるで」とからかわれ行ったことがありました。そんな馬鹿な場所はないと思ったのですが、「隆の浜」じゃなくて「高師浜」だったのですね。万葉の時代から歌にも詠まれた由緒ある高師浜。おぼろげな記憶では、高師浜ホームの脇まで砂浜だったのですが、今はどうなっているのでしょう?

羽衣で乗り換えるのですが、下りホームから高師浜線ホームまでは異常に距離がありました。いったん難波方面の上りホームにでて、和歌山方面へ延々と進みます。
「高師浜線なんて、物好きに乗らんでもええがな」と言われているみたいです。やっとのことで高師浜線ホームにたどり着いたときは約20分に1本の電車は発車が迫っていました。

汐見橋線と同じく、ワンマン電車2両編成で、車内も空いていましたが、住宅地の路線らしく明るい雰囲気。汐見橋線のようなわびしさはありませんでした。

発車すると右にカーブして高架線になります。住宅地の中をゴトゴト進むのかと思ったら、さっそうとしています。

遠くに工場地帯が見えます。地図を見ると、海岸は埋め立てられて、浜辺などどこにもないのです。
伽羅橋(きゃらばし)という妙な名前の駅に停まったら、今度は左へカーブして、あっけなく終点・高師浜。所要時間わずか3分でした。

まわりは完全な住宅地。砂浜などどこにもありません。しかも高架です。

地上に降りてみると、無人駅のようですが、しっかり自動改札機がありました。田舎の駅によくあるようなタッチだけして、扉がない簡易式のものではありません。

ところで、この日は南海電車と阪堺線に乗り放題の「堺・住吉まん福チケット」という磁気カードを持っていたのですが、南海電車は浜寺公園より南は圏外です。したがって、150円精算しなくてはなりません。「まん福チケット」は磁気カードですから、自動精算機に挿入すれば、精算できるものだと何の考えもなく思ったのですが、受け付けてくれません。
じゃあ、しょうがない強行突破しようか、いや不正はいけませんから賽銭みたいに150円置けばドアあけてくれるかなと思ったのですが、頑としてドアが閉じて出られません。
「どないしてくれんねん。ほんま、どついたろか」と改札機をどついたところで、どうにもなりません。
よく見ると、「お困りのときはブザーを押してください」と小さく書いてあったので、ブザーを押してみました。すると駅員の声がします。何だ、いるんなら出てこい!と思ったら、羽衣駅の駅員ですと仰いました。

事情を説明すると、遠隔操作で精算機を稼働させ、150円入れてくださいとの指示。素直に従うと、精算機から精算済みチケットが出てきて、それを自動改札に入れると、無事外へ出してくれました。南海電鉄大したものですなあ。JRだったら、簡易式ですから、精算しないで出てしまう人も多いでしょう。無人でもしっかり取るものは取る。さすが商売上手です(笑)

ところで、高師浜駅ですが、古い駅舎なのに洒落ています。南海の駅には浜寺公園駅みたいに有形文化財の駅舎がありますが、この駅も風格があり立派です。

玄関の上にはステンドグラスまであるのですよ。

波頭にかもめでしょうか?海水浴場の駅だった名残のようですね。まわりは、住宅地でコンビニひとつないようです。めぼしい場所はないのかな、と思ったら、歩いて数分のところに府立臨海スポーツセンターがあると看板があったのでぶらぶらでかけてみました。

これが海水浴場の代わりなのでしょうか?大きな施設でしたが、レストランとかカフェーは見つからず、あきらめて駅に戻って次の目的地を目指しました。

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2 コメント

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Unknown (櫻谷)
2011-09-03 15:02:53
高師浜駅・・・本当に懐かしいより、過去ですね。
駅を降りたら直ぐに海でした。昔(若いころ)は海水浴に行きました。当時の駅は小さく、貧弱な駅でした。君が駅を見てがっくりしていたのをハッキリ覚えています。今は想像もつかないでしょう。
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Unknown (k_shiroki)
2011-10-19 17:11:02
 先生、おじゃまします。
 汐見橋線の遺構もそうですが、この浜寺公園他のクラシックな駅舎は辰野金吾博士の設計によるもののようで、高師浜駅舎は高架工事の際に取り壊される予定でしたが地元の熱意によって移築されて現役を保っています。
 南海というのは不思議な体質を持った会社で、古いものを大切にするというか、古いものを古いまま存置する会社です。その体質は大英帝国を思わせるものがあります。
 生活圏が反対側なので南海に乗る機会は少ないですが、昭和の面影がそこここに残っています。
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