徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

京町の坂 ~ 新坂 ~

2006-06-12 17:59:29 | 熊本
 わが町、京町には坂が多い。高台にあるので当然ではあるが、主な坂には、その名称と由緒が記された石の標識や案内板が立っている。ふだん何気なく通り過ぎる坂も、立ち止まってその案内文をじっくり読んでみると、いにしえの、辺りの風景と行き交う人々の様子がイメージできて楽しい。



 明治41年(1908)2月、漱石は、九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)のインタビューに答えて熊本の印象を次のように語っている。

 私は7、8年前松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。


今日の新坂