僕の愛読書は夏目漱石の「草枕」と言っていいだろう。と言っても何度読んでもよくわからないところが多いので読み直す回数が多いと言った方が正しいかもしれない。それはともかく、「草枕」の魅力の一つは随所に長唄や民謡や謡曲などが散りばめられていることがあげられる。第二章にこんな一節がある。
--やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。
馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
と、今度は斜に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。--
この句自体はどうやら正岡子規の句をもじったものらしいが、「鈴鹿馬子唄」が聞こえてきた情景を描いている。ただ、馬子が本当に唄っていたのかどうかはわからない。第七章の「那古井の宿」の浴場で、子供の頃、酒屋の娘が「旅の衣は篠懸の…」と長唄「勧進帳」のお浚いをしていたことを回想する場面があるが、それと同じように「鈴鹿馬子唄」も過去の出来事の回想だったのかもしれない。歴史研究家で作家であり、漱石の孫娘婿でもあった半藤一利氏(2021年没)が「草枕は一種のファンタジー」とおっしゃるのも頷ける。
ところで、熊本民謡「田原坂」は「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」という歌詞から、「鈴鹿馬子唄」の「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」や「箱根馬子唄」の「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」という歌詞との類似性が指摘されることがある。「鈴鹿馬子唄」と「箱根馬子唄」ともに江戸時代から唄われていて、「田原坂」は明治10年の西南戦争後だいぶ経ってから作られた唄といわれているので、作者(不詳)は二つの馬子唄の影響を受けたことは大いに考えられる。ただ、民謡にはそういう例は多いらしい。
鳥越の峠の茶屋へ向かう道
--やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。
馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
と、今度は斜に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。--
この句自体はどうやら正岡子規の句をもじったものらしいが、「鈴鹿馬子唄」が聞こえてきた情景を描いている。ただ、馬子が本当に唄っていたのかどうかはわからない。第七章の「那古井の宿」の浴場で、子供の頃、酒屋の娘が「旅の衣は篠懸の…」と長唄「勧進帳」のお浚いをしていたことを回想する場面があるが、それと同じように「鈴鹿馬子唄」も過去の出来事の回想だったのかもしれない。歴史研究家で作家であり、漱石の孫娘婿でもあった半藤一利氏(2021年没)が「草枕は一種のファンタジー」とおっしゃるのも頷ける。
ところで、熊本民謡「田原坂」は「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」という歌詞から、「鈴鹿馬子唄」の「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」や「箱根馬子唄」の「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」という歌詞との類似性が指摘されることがある。「鈴鹿馬子唄」と「箱根馬子唄」ともに江戸時代から唄われていて、「田原坂」は明治10年の西南戦争後だいぶ経ってから作られた唄といわれているので、作者(不詳)は二つの馬子唄の影響を受けたことは大いに考えられる。ただ、民謡にはそういう例は多いらしい。
鳥越の峠の茶屋へ向かう道
舞 踊:植木町民謡田原坂保存会
唄 :本條秀美
三味線:本條秀太郎
唄 :本條秀美
三味線:本條秀太郎