徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「芸どころ熊本」とあやこ姐さん

2025-01-28 21:40:24 | 音楽芸能
 このところ眼科や胃腸科など、新町・古町の病院へ行くことが多くなり、必ず新町の福田病院あたりを通る。現在、福田病院の寿心亭があるところは、かつて老舗料亭・新茶屋があった。通る度に昔の趣のある風景を思い出す。
 僕が初めて料亭と名のつく場所に行ったのは、もう50数年も前の大学を出たばかりの頃。父がまだ教員現役で、同勤の先生たちとの宴に連れて行ってもらった。どういう趣旨の宴だったのか思い出せない。熊本に帰って間もなかったので行った料亭もどこだったのか憶えていない。ただ、父があやこ姐さんという芸妓さんを呼んだことだけは憶えている。どうも学校関係の宴会にはあやこ姐さんを呼ぶのがお決まりになっていたようだ。僕があやこ姐さんにお会いしたのは、後にも先にもその時だけで、どんな芸を披露されたのかも憶えていない。後に「熊本最後の芸妓 あやこ姐さん」としてテレビで紹介されたり、上村元三さんがFacebookで紹介されたのを拝見して、有名な方なんだと認識した次第である。ご健在であれば90歳を超えておられるはずだが、あやこ姐さんしか踊れない踊りがあるという話も聞いたことがあり、かつて料亭文化華やかなりし頃の「芸どころ熊本」の至芸を、若い人たちに受け継いでいってもらいたいものである。


かつての料亭・新茶屋(現福田病院内・寿心亭)前を芸妓さんを乗せて走る厚生車(輪タク)

   ▼あやこ姐さんも踊ったであろう「五十四万石」


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4 コメント

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FUSAさまへ (くりまんじゅう)
2025-01-29 11:19:03
あやこ姐さんはきっと 夢千代さんみたいなきれいな芸妓さんだったでしょうね。

↑自転車タクシーでしょうか ガソリンも要らずエコですね。
そのむかし バイク横にくっつけた屋根のない座席に若い娘が座り
当時のイカス兄ちゃんが ぶいぶい言わせてバイクの運転をしていました。

FUSAさま昨日は 52回目の記念日でしたね。
元気でまた 来年の記念日を迎えましょうね。
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Re:くりまんじゅう様 (FUSA)
2025-01-29 12:00:20
大変失礼いたしました!
こちらにコメントいただいていたのですね。
ありがとうございます!
仰るように、まずは53回目を無事に迎えられるよう頑張りましょうね!

私がお会いした時のあやこ姐さんは、40歳を過ぎた頃だったと思いますが、それまで抱いていた芸妓さんのイメージとは異なり、随分しっかりした女性だなという印象が残っています。私以外は父を含め、年配の教師ばかりだったわけですが、臆することなく会話しておられました。大学を出たばかりの私にも激励の言葉をかけていただいた記憶があります。

輪タクも幼い頃に見た記憶がありますが、サイドカーも一時期流行りましたね。「サイドカーに犬」なんていう竹内結子主演の映画も見た覚えがあります(^^♪
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Unknown (小父さん)
2025-01-30 12:28:32
>父がまだ教員現役で、同勤の先生たちとの宴に連れて行ってもらった。

うわ~、お父上もなかなか粋でいらっしゃったんですね。

>ただ、父があやこ姐さんという芸妓さんを呼んだことだけは憶えている。

熊本最後の芸妓さんだったら、お代も高かったでしょうね(笑)

>芸妓さんを乗せて走る厚生車(輪タク)

こんな光景は初めて観ました。
籠から何代目くらいのタクシーなんでしょう?

「五十四万石」の舞に見入ってしまいました。
歌詞と呼ぶんでしょうか?、詩もいいですね。
最後にこちらで何回も拝見した「宇土櫓」も出てきましたね。

有難うございました。
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Re:小父さん様 (FUSA)
2025-01-30 14:59:05
父は、私が学生時代は運動部生活で遊ぶ余裕もなかっただろうと、社会教育のつもりで連れて行ったのかもしれません(^^♪

薄給の教員の宴ですから、芸妓さんの花代もそんなに高くなかったと思いますよ。当時はあやこ姐さんもまだ40歳くらいでしたからね。

輪タクが流行ったのは戦後のごく限られた一時期だったそうです。私が見たのはたしか小学校の頃だったと思います。

「五十四万石」の歌詞は野口雨情の作詞なんですが、やっぱり時代を感じさせて「おや?」と思う箇所もあります(笑)
作った当時は熊本城天守閣もまだ再建されていませんでしたので、残っている宇土櫓を唄うしかなかったんですね。
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