太陽と月になった兄弟/秋野靱子 再話:絵/福音館書店/1994年
この世に太陽も月もなく、人々は空の薄明りをたよりにつつましく暮らしていた昔。
村に暮らしていたおじいさんには、兄がアリ、弟がヤシという双子の兄弟がいました。兄のヤシは狩りの名人、弟のヤシは、魚をとるのがうまく、いつも一緒でした。
あるとき、二人は岩場に倒れていたリャマ飼いの少年を助けます。それから村にはなくてはならない若者になった二人。
ところがある日、西から東から、南から北から黒雲がごうごうとおしよせ、おおつぶのひょうがふらせると、あかるい空は灰色におおってしまいます。草も作物も枯れ、リャマもアルパカもばたばた死んでいきました。
村の人が神さまにおいのりしても、空はいつまでも変わりません。二人の兄弟は空が閉ざされたわけをさぐろうとしますが、なかなかてがかりがありません。
アンデスの「ピューマの岩」にたどりついたとき、灰色のもののむこうに、とてつもなくおそろしい魔物がひそんでいるようだと気がつきます。
空にのぼって、魔物をひきおろそうと、二人は村中の矢をあつめ魔物にいどみます。
空にのぼるため、アリが矢をはなつとヤシがその矢をねらってすぐ矢をはなちます。
二人が射た矢は、つぎつぎにまえの矢にささって、一本の綱となって天に届きます。
2ページを縦長に使い、矢が天に届くさまは壮観です。そしてはげましあってのぼる二人。迫力いっぱいです。
やがてヤシは月に、アリは太陽になって、すべてのものをよみがえらせます。
太陽と月の誕生の昔話もいろいろありますが、二人の兄弟に自己犠牲の悲壮感がなく、素直に楽しめました。
秋野さんは1990年ボリビア、ペルーへ民話の取材旅行をされたとありましたが、インディオの暮らしぶりがつたわってくる絵も見ごたえがありました。
みえない さんぽ ーこの あしあと だれの?ー/ゲルダ・ミュ-ラ-/評論社/2002年
最初のページに「あしあとを おいかけよう・・」とあるだけで、そのあとは一切、文字はでてきません。
足あとは部屋の中から外へ。外は雪です。
小鳥の足跡と小鳥。
囲いの中には馬。というのは牧場? 耕作用の馬かも。農業をしている?
雪の中の小川をとおると、そこには大きな木。
引き返した途中には、いけがあってカモが泳いでいます。
足あとは、家のドアへ。そして中へ。
はじめから終わりまで足あとだけ。最後のページには男の子とわんちゃんがいますが・・・。
作者は、おはなしをつくってみようといいます。
はじめよくわからず、再度見ると、仕掛けがわかってきました。
寝室の場面からはじまりますが、そばにある椅子には上着、ズボン、靴下が乱雑に置かれています。しかし次のページを見ると、椅子の上はかたずいていますから、着替えをしたことがわかります。
絵の変化は、そのほかにもいろいろでてきます。もうひとつあげると、ドアをでるとき薪は三本ですが、最後の方では、大分積み重なっていますから、単に散歩したのではなく、薪をとってきたのがわかります。
文章がないので、読み聞かせは無理でしょう。親子で話しながら見ていく楽しさを味わう絵本でしょうか。
しかし、文章も登場人物もいないという絵本は、はじめてでした。