よろこびの木/アストリッド・リンドグレーン・文 スヴェン・オットー・S・絵 石井 登志子・訳/徳間書店/2001年
父と母が病気で亡くなった八歳のマーリンがやってきのは、「まずしい人たちの小屋」でした。
この小屋は、働けなくなった年寄り、ひどく貧しい人、病気や半分ほうけた人、ひきとりてのないみなしごなどが暮らしていました。
ちいさなマーリンは、物乞いをしながら、小屋に住むみんなのちいさなお手伝いさんになろうとします。
しかし他の人のなぐさめにはなっても、自分自身をなぐさめることはなりません。なにかうつくしいものがないと生きていく気がしないのに、ここにはなにもなかったのです。
ある日、物乞いでおとずれた牧師館で、牧師さんのちいさな子どもたちに、おはなしをよんできかせていた声が、聞こえてきます。
マーリンがうつくしい言葉と感じたのは
「わたしの菩提樹がしらべをかなで わたしのナイチンゲールがうたう」というものでした。
この輝くような言葉のおかげで、小屋のまずしさやみじめさがまったくきにならなくなります。
小屋の中では、かうあてのないか望みにあけくれていました。
マーリンは考えます。「わたしの菩提樹がしらべをかなで わたしのナイチンゲールはうたっているかしら」
言葉だけでは満足できなくなったマーリンは、じゃがいも畑に種をまいて菩提樹がはえてこないかやってみようと思います。
しかし、今は菩提樹の木の種が手に入る季節ではありません。そこで、マリーンはエンドウ豆の種を植えます。神さまも、「しんじて、ねがっていれば、きっとかなう」と考えたのです。
奇跡がおこり、本当に一本の菩提樹が、はえていたのでした。しかし、木からは、そよとも音がしません。
小屋のみんなは、ナイチンゲールのうたをきこうとしてやってきますが、「調べをかなでもしない菩提樹は、あした切り倒してやる」とハラペコ・オラはいいだします。
この小屋の住人の名前が唯一の救いでしょうか。
ハラペコ・オラは黒いソ-セージを10個食べてもおなかがいっぱいになりません。
村中で一番醜くて、子どもたちからこわがられているのはヘンチキリン。
いつも杖をもっているのはチョコチョコばあさん。
マーリンは自分の魂を菩提樹にあげられたらとおもいつきます。そして・・・。
菩提樹が心地よいしらべをかなで、ナイチンゲールがあれやかにうたいますが、マリーンはにどともどることはありませんでした。
むかしむかしのスウェーデンが舞台です。
「小屋の中は、なにもかもがうつくしく、たのしくなります」と、結びにあります。
なにか、マーリンが自分も幸せになったというのが残って、自己犠牲や献身というのは、あまり感じませんでした。
エンドウ豆をうえて、菩提樹がはえ、魂を菩提樹にあげたら、しらべを奏で、ナイチンゲールがとんでくるというのは宗教的奇跡でしょうが、日本人にはわかりにくいかもしれません。