どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

こねこのおひげちゃん

2017年12月13日 | 絵本(外国)


   こねこのおひげちゃん/サムイル・マルシャーク・文 レーベデフ・絵 うちだ りさこ・訳/岩波の子どもの本/1978年



 クレヨンで描いたのでしょうか、あわくやさしい感じです。

 マルシャークで思い出すのは「森は生きている」。

 四歳の女の子とねこ。

 おもいどおりにならないねこですが、やさしく見守っている女の子。

 文章が詩のようで、言葉の響きを楽しむ絵本でしょうか。

 あるところに、女の子がいてね。なんてなまえ?
   しっている人は
   しってたさ
 ども きみたちは しらないさ
 その子は いくつ?
   としのぶんだけ
   としとっているさ
   40さいには まだ とおい
 ほんとは ただの 4つ
 女の子にうちにいたのはね。なに? なにがいたの?
   はいいろちゃん
   おひげちゃん
   しまもようちゃん
 それ いったいなあに? こねこだよ


 女の子がおかあさんのように、こねこに話しかけています。

 なんて ばかちゃん こねこちゃん!

 何回か繰り返されるのですが、とても愛情がこもっています。


自転車ものがたり

2017年12月13日 | 絵本(日本)


    自転車ものがたり/高頭祥八:文・絵/福音館書店/1998年


 毎日お世話になりながら意外と知らないのが自転車。

 5000年前にあった競争用の戦車は二輪で、馬が引いています。

 自転車が登場したのが、蒸気自動車が走ってから50年ちかくもたってからときくとびっくりです。

 現在の自転車の部品が1400個というのも、そんなにあったのかと驚かされます。

 今の形になるまでの歴史がコンパクトにまとめられ、マウンテンバイクから人力飛行機、かわった自転車も登場します。

 自転車の初期のものにはチエーンがなく、足で漕ぐといったもの。車輪も前が大きく、後輪はちいさな車輪で不安定なものです。

 一輪車は1880年、イタリアでつくられています。


百まいのきもの

2017年12月12日 | 絵本(外国)


   百まいのきもの/文:エリノア・エスティーズ 絵:ルイス・スロボドキン 訳:石井 桃子/岩波子どもの本/1954年


 友だちもなく,ひとりぼっちの少女,ワンダ・ペトロンスキー。
 毎日同じ,色あせた青い服を着ているのに,家には「百まいのきもの」があると言いだしたワンダー。
 きっかけは、セシルが着ていた素敵なきものでした。

 みんながセシルのことをほめて、ガヤガヤしゃべっているときのことでした。
 ワンダーがだしぬけに「あたし、百まいも、きものもっているの」といいだします。

 百まいもきものをもっていそうもないワンダーは、それから何かといじめられます。

 いじめるのはペギーが中心でしたが、小さな子がいじめられているといつもかばい、しんからいじわるい子ではありませんでした。

 ペギーと同級生のマディーもワンダーほどではありませんが、貧乏でした。はじめはペギーに同調していたマディーですが、ペギーが、ワンダーをからかうのをやめてくれないかしらと思うようになります。

 マディーは勇気をふるって、ペギーに手紙を書こうと思いますが、小さく破ってしまいます。

 ところが、みんながワンダーを見直すことになったのは図画のコンクールでした・・・・。

 発行が1954年で、「絵本ナビ」に感想が多くのっていてもおかしくない内容ですが、一件でびっくりしました。

 いじめるがわのマディーの心理がよくわかる内容です。絵は補助的で、長い文章を読まなければならないので、とっつきにくいのかもしれません。

 いじめが原因で死をえらぶニュースに接すると暗澹たる思いにかられますが、いじめられる側に身を置いて考えてみてと思っても、単純にいかないのが、いじめの問題かもしれません。 

 物語らしく マディーとペギーは、引っ越ししたワンダーから素敵な絵をもらうのが救いです。


はなのすきなうし

2017年12月11日 | 絵本(外国)


   はなのすきなうし/作: マンロー・リーフ 絵: ロバート・ローソン 訳: 光吉 夏弥/岩波子どもの本/1954年


 語りで聞いたことがあります。そのときは理解できませんでしたが、語り手の印象がつよくずっと記憶に残っていました。

 原著は1936年に発行され「THE STORY OF FERDINAND」とあります。

 1954年に翻訳され、2000年で44刷と、これも息が長い絵本。

 子どもが自分で読むことを前提にしているためか、カナや漢字は一切ありません。出版年を反映してか絵はモノクロです。

 牛のフェルジナンドは、他の子牛たち毎日飛んだり跳ねたり駆けまわったり頭を突っつき合ったりする中で、いつもひとり草の上に座って、しずかに花のにおいをかいでいるのが好きな牛でした。
 おかあさんは、いつもひとりでいるフェルジナンドのことが心配でしたが、本人がさびしがっていないことがわかっていたので、すきなようにしておいてやりました。

 としがたつにつれてフェルジナンドはどんどん大きな強い牛になりました。

 ある日、変な帽子をかぶった五人の男がやってきます。闘牛にだす一番の大きな、一番強い、一番足の速い、乱暴な牛を探しにきたのです。

 フェルジナンドはいつものようにすきなコルクの木の下にすわりにいきます。ところが腰をおろしたのは、おおきなくまんばちの上。お尻をいやというほど刺され、頭をふりたて、地面をけちらかせ暴れまわります。
 これを見た牛買いたちは、とびきり ものすごい牛を見つけたと大喜びし、フェルジナンドを闘牛場へと連れて行きます。

 闘牛場で、みんながフェルジナンドが猛烈につっかかって角で突きまくると思って期待していると、フェルジナンドは、観客席の女の人が花をさしているのをみて、ゆうゆうと、花のにおいをかぎはじめます。

 闘牛士たちが、いくらやっきになってもたたかおうとも、あばれようともしないフェルジナンドです。

 
 フェルジナンドのおかあさんは、おなじようにしなさいというのではなく、みんな違っていいと個性を尊重している理解あるおかあさんです。

 文化の違いでしょうが、闘牛に夢中になるというのはなかなか理解できません。

 このなかに、長い剣、槍は牛を怒らせ、闘牛士の剣はとどめを刺すためのものというのがでてきますがフェルジナンドのとった行動は、その対極にありました。


若返りの臼

2017年12月10日 | 創作(外国)

    ふしぎなオルガン/リヒャルト・レアンダー・作 国松孝二・訳/岩波少年文庫/2010年新版


 レアンダー(1830-1889)の「ふしぎなオルガン」は、語られるのも多い話ですが、「若返りの臼」は、なにか考えさせられる話です。

 若返りのもとは、水ならぬ臼です。

 この臼にはいると、しわくちゃで、こしのまがった髪の毛も歯もぬけたようなおばあさんが、リンゴのように赤い綺麗な女の子に若返ってでてきます。

 臼にひかれたら骨まで粉々にされてしまうのではないかと思っていると、作者はちゃんと答えを出しています。
 若返って出てきた人は「ぐっすり眠り、朝、目を覚ますと部屋の中に、朝日がさしこんでいて、外には小鳥がさえずり、木がサラサラとゆれている。そこで、もういちど、ベッドの中で、思いきり背伸びをする、まあ、その気もちににているわ。」

 臼のことを聞いたひとりのおばあさんが、自分もと でかけていきます。

 臼ひき場には、一人の職人がいて、若返るためには、書付に署名しなければだめといいます。

 この書類には、おばあさんがこれまでの人生であったことが、ことこまかく書いてあって、若返っても、きちんと同じ順番で繰り返すことを約束する書類でした。

 おばあさんは、書きつけに書いてあるのを、いくらかでも、せめて三つだけでも削ることできないか交渉しますが、職人のこたえはつれないものです。
 「このままやるか、やめるか二つに一つだ。」

 おばあさんはためいきをついて「冗談じゃない。そんなら臼でひいてもらっても、何の足しにもならんわ」と、そのまま家に帰ります・・・。

 おばあさんの人生には、いいこと、ワクワクするようなことが何一つなく、同じ人生を歩むのだったら若返る必要はないと思ったのでしょうか。

 どうもこの臼、女性専用なのか男の話はどこにもでてきません。男の若返りは必要なさそうですよ。


サルの生き肝、またはサルの心臓

2017年12月09日 | 昔話(日本・外国)

 この話もいくつかのバリエーションがあるが、治病の薬として、猿の生肝を取りに竜王から遣わされた海月が、猿を騙して帰る途中、その目的を洩らしたため、猿に生肝を樹の上に置き忘れたと騙されて逃げられるという話。

 古代インドの説話集パンチャタントラにも類話が見えるという。
 
サルの心臓(オクスフォード世界の民話と伝説10 アフリカ編/キャスリーン・アーノット 矢崎源九郎・訳/講談社/1978年改訂)

 東アフリカ、スワヘリ族の話であるが、ここでは生肝が心臓になっている。

 サルが木の実を海にほうりこんでサメの餌にしてあげ、サルとサメは仲良くなり、かわりに海の自分の家に招待する。
 ところが途中でサメの王さまが死にそうで、病気をなおすためにはサルの心臓が必要だということを話してしまう。
 驚いたサルは、陸の木の上に心臓をおいてあると嘘をつき、難を逃れる。

 親切にしてあげたのに、心臓が欲しいと言われたサルはどれだけ驚いたことか。

 
サルの心臓(アンドルー・ラング世界童話集12 ふじいろの童話集/西村醇子監修/東京創元社/2009年初版)

 同じ「サルの心臓」でも、ラングの世界童話集では、二つの話があわさっているようで、大分長い話になっている。
 サルがサメにイチジクの実を木の枝から落としてあげるが、このときのサメの言い分が「50年ものあいだ魚ばっかり食べているといいかげん、ちがうものが食いたくなる。塩っ辛い味にはもうほとほとあきてしまったよ」ともっともらしい。
 

サルのきも(子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業乃日本社/1964年初版)

 タイの話ですが、オチが楽しい。
 ワニが、奥さんの病気を直すため、サルの生き肝をいただこうとして、サルを川にさそいこむ。しかし、サルはきもを忘れてきたといって、山へもどっていくが、イチジクをもってきて、これが生き肝だよと言ってワニにわたす。そのイチジクを食べるとワニの奥さんの病気がけろりと治ってしまう。
 
 信じる者は救われるというが、イチジクを食べると病気が治るというオチは、ほかの国にはみられないようだ。

くらげ骨なし(ちゃあちゃんのむかしばなし/中脇初枝・再話 奈路道程・絵/福音館書店/2016年)

 同様の話が日本各地でもみられます。
 高知県の話で、くらげに骨がないという由来話にもなっています。

 竜宮のお姫さまが病気になって、直すためにはサルの生き胆より薬がなく、くらげがサルを連れにでかけます。
 竜宮につれていかれたサルが、生き胆を岩の上に干してきたといって、陸へあがって、木の上にのぼります。
 サルを陸までつれていったのはくらげ。くらげがサルに逃げられ、命の代わりに骨を抜かれてしまいます。

 いずれも川や海が舞台というのが共通しています。     


せんろはつづくよ

2017年12月08日 | 絵本(外国)


     せんろはつづくよ/作:マーガレット・ワイズ・ブラウン・文 ジーン・シャロー・絵 与田 凖一・訳/岩波書店/1979年


 最新式の機関車が「ぱふぱふ ぱふぱふ」、古い小さな機関車が「ちゃぐちゃぐ ちゃぐちゃぐ」と、むかうさきは西です。

 丘をくだり、トンネルをくぐりぬけ、鉄橋をわたります。
 雨の中、雪の中。
 夜も昼も。
 風も、砂嵐も。

 そして山を越えると・・・。

 白黒とカラーのページが交互にでてきます。地味な絵本ですが、思わず「線路はつづくよ」の歌をおもいだしました。

 まっすぐな線路を見ると、先に何があるか想像します。何か新しいことがまっているようです。

 「シュッポシュッポ」でなく「ぱふぱふ」「ちゃぐちゃぐ」です。

 列車はトロッコ風で、のっている人物が傘をさしていたり、眠ったり、さらにウシやアヒルが眠ったりと、めだたないところにも注目です。


太陽へとぶ矢

2017年12月07日 | 絵本(昔話・外国)


    太陽へとぶ矢/ジェラルド・マクダーモット:作・絵 神宮 輝夫・訳/ほるぷ出版/1975年


 もう40年以上も前の絵本ですが、グラフィック手法で描かれた絵がとても印象に残ります。これから40年たっても斬新な感じがしそうです。

 インデアンにつたわる神話をもとにしたもので、スト-リーはとてもシンプルです。

 昔、太陽の神が、命の力を一本の矢に変え、大地にむけけとばしました。命はある村のひとりの娘に当たりました。
 娘は男の子を生み、男の子はすくすくと育ちましたが、子どもたちから「おやなしこ」といじめられ、男の子は、父親を探しに出かけます。

 とうもろこしづくり、つぼづくり、やづくりの男にあって・・・。

 やづくりの男は、ひとめみて、男の子が太陽の神のむすことわかり、男のを矢にして、つるをひきしぼって、天にはなちます。

 太陽は本当に自分の息子かどうか、らいおん、へび、はち、いなずまのへやを順番にとおりぬけるように試練をあたえます。

 部屋を通り抜ける場面では、一切の文章がありません。絵をもとに想像するだけです。

 男の子は、再び矢にかわって、大地にもどります。

 抽象的な絵が特徴ですから、こどもたちがどんなふうにうけとめるか知りたい絵本でもあります。

 男の子は、村人から、よろこんでむかえられ、いのちの おどりを おどったというところでおわります。

 見たのは1999年の第31刷で、これにはいろいろ批判があって、「太陽の神になった」というあたりがかわっているかもしれません。


おしりをふく話

2017年12月06日 | 絵本(日本)


    おしりをふく話/斎藤たま・文 なかの ひろたか・絵/福音館書店/2016年


 人工知能や自動車の自動運転、スマホで家電を動かし、ネットで膨大の情報があふれている時代。でも、すこし遡れば、今の子どもに想像できないことも。

 今は、どこの家でもトイレにはトイレットペーパーがあり、ウオッシュレットが普通。

 しかし私の小学校時代は和式のトイレが普通(今はどうでしょうか)。

 100年もさかのぼれば、紙が貴重だった時代には、新聞紙や雑誌などで尻をふいたときも。

 その前は、葉っぱをつかったことも。フキの葉やクズの葉がよくつかわれたことも。

 前に、お寺で木でおしりをぬぐったことが、絵本にありましたが、杉や竹をつかったことも。

 すごく痛そうですが、こうしたことが当たり前だったというのは、今の子には想像できないことでしょう。

 カルチャーショックをおぼえるようなことばかりです。

 そしてトイレのことも。
  
 昔、便所にいく回数は一日3回ほどあったのは、稗や麦、粟や黍を多く食べ、消化されずにでてくる部分が多かったというのに納得しました。

 今は、なんでも買うのがあたりまえですが、昔は買うという考えはなく、自然のものを使い、不要になればまた自然に返すという究極のエコでした。


コッケモーモー!

2017年12月04日 | 絵本(外国)


   コッケモーモー/作:ジュリエット・ダラス=コンテ アリソン・バートレット・絵 訳:たなか あきこ・訳/徳間書店/2001年

 リズム感があって、読み聞かせでも子どもの心をとらえているようです。保育園とおもっていると小学校一年生でも好評のようです。


 なきかたを忘れたおんどりが、「コッケモーモー!」とないて、うしさんから どうしたの?

 「コッケガーガー!」とないて、あひるさんからは おかしいの といわれ

 「コッケブーブー」とないて、ぶたさんから ちがうだろ といわれ

 「コッケメーメー」とないて、ひつじたちからは ちがうちがう とダメ出し。

 それでも みんなを、きつねから まもってあげて・・・。

 どうぶつたちの顔が優しい感じで、特に寝顔が素敵です。

 絵本ではなく語ってみたらどんな反応とおもって、さっそく保育園で語ってみたら、鳴き声のところで大笑い、きつねがでてくるのは、ちゃんと先取りしてくれました。

 しかし牛、アヒル、豚、羊など、もしかして子どもたちが動物園でみたりしているだけとしたら悲しくなります。


時計つくりのジョニー

2017年12月03日 | 絵本(外国)


   時計つくりのジョニー/作:エドワード・アーディゾーニ・作 あべ きみこ・訳/こぐま社/1998年



 ジョニーは、ジェーンおばさんからもらった「大時計のつくりかた」を何十回も読み直し、大時計をつくろうと思います。ところがお母さんも、お父さんも、先生も、大時計なんかつくれないでしょとつれない態度。

 先生がおばかさんとよんだので、子どもたちもいじめる始末。それでも女の子スザンナは、いじめっ子のなかまにはいらず、「大時計、ぜったいできるわよ」と励ましてくれます。

 ジョニーは、とても手先が器用で、かなづちで釘を打ったり、のこぎりで木を切ったりして、ものを作るのが大好きでした。大時計の箱を木でつくりはじめますが、木を切ったりかなづちで釘うちはじめると、お母さん、お父さんは「ジョニーが また ばかなこともやっている」と、おてつだいをいいつけたりして、ずいぶんと時間がかかりました。

 それでもようやく箱ができあがり、文字盤はボール紙をまるく切り抜いて数字をかき、長針、短針は錫箔から切り抜いてつくりました。

 それからが大変です。大中小の歯車、その歯車をとおす軸、おもり、鎖、振り子が必要です。

 自分では作れないので店で買わなければいけないのですが、金物屋や自動車修理工場では手に入れらません。
 お父さんに頼んでも「だめだ」というだけ。お母さんも相手にしません。

 それでもスザンナに相談すると「鍛冶屋のジョーさんに きいたらどう」といわれ、鍛冶屋のジョーさんのところへ。職人のジョーさんは、ものづくりに理解があって、ジョニーに手伝わせて必要なものを用意してくれます。

 途中部品の入った買い物袋をいじめっ子のひったくりされますが、スザンナの励ましで、買い物袋を見つけ、さっそく歯車などを時計につけていきます。

 苦労したのは振り子。遅かったり、早すぎたりとうまくいきません。それでも振り玉を調節するとチクタクチクタクと正しく時を刻み始めます。

 大時計は表紙に描かれているように、柱時計よりもっと大きな時計。

 はじめは親がジョニーを理解しようとせず、先生もまったく相手にしません。そしていじめっ子まで。同じようなことが身近でもありそうです。(でも最後の方では素敵な場面が続きます)

 それでもジョニーが初志貫徹できたのは、スザンナの励ましと子どもの言うことでも、ちゃんと受け止めてくれたジョーさんがいたからです。
 かならずできると頑張ったジョニーに、自分を重ねて共感する子も多いようです。

 子どもの頃、自分が打ち込めることをみつけられるのは大事なことで、大人の役割は、子どもの可能性を信じてあげることでしょうか。失敗しても夢を壊すことだけは避けたいものです。

 絵も落ち着いた素朴な感じ。吹き出しのセリフも漫画風で、親しみやすいかもしれません。


地面の下をのぞいてみれば

2017年12月02日 | 絵本(自然)


       地面の下をのぞいてみれば/カレン・ラッチャナ・ケニー・文 ステーブン・ウッド・絵/六曜社/2017年

 いつも不思議に思っているのが、太陽、地球、月の位置が正確に計算され日食の時期や見える時間が示されたり、彗星の現れる時期がわかること。

 宇宙のことが話題になる一方、意外と地球の内部は取り上げられることが少ないのではないでしょうか。

 絵本図鑑となずけられたこの絵本は、地面のすぐ下から、地球の中心部までの構造がコンパクトにまとめられています。

 小さじいっぱいの土には10億以上のバクテリアがすんでいるとあってまずおどろかされます。

 生きものたちで大にぎわいの地面の下から、地球を構成するプレート、火山の仕組み、内核、外核、マントル、地殻まで。

 さらに地球の北極は磁石のS極、南極はN極というのですが、英語で言えば逆になっているというのも不思議です。

 雨が土のなかへすいこまれていくのは重力のせいなんですね。


ゼップのよめえらび

2017年12月01日 | 創作(外国)

     ふしぎなオルガン/リヒャルト・レアンダー・作 国松孝二・訳/岩波少年文庫/1989年初版


 五年前から痛風でねているばあさんの心配事は、息子が独り者で、自分の生きている間はよめさんをみられないだろろうということ。

 縁日にでかけていってよめさんにはこれがいいと考える女の子が何をしているのか、よくみておっかさんにはなしておくれとゼップをおくりだします。

 ゼップがみてきた女の子にたいするおっかさんの痛烈な批評。

 ウルゼル「教会からかえってきたところで、きれいな衣装を着て、あたらしい耳輪をつけていました」

 >いくども教会にいっているうちに、じき神さまのことをわすれちまうだろう。水車のガタンガタンまわる音が水車屋にきこえなくなるのとおなじわけでね

 ケーテ「台所で、ありったけのつぼやおさらをガタガタやっていました。ゆびはまっ白」
 >うまいもの好き、食道楽 食べるものにはやかましい パンをやいたりジャムつくり 子ども家畜はそっちのけ

 ベルベル「庭で花のかんむりを三つつくって、どれをかぶっていったらよいか まよっていました」
 >銀の伊達者と 金の小娘 銅の夫婦で 鉄のわざわい

 グレーテ「角先に立って、びんぼうな人たちに、バターパンをやってました」
 >きょう世間の人に、みてくれがさしことをする女は、その次には、きっと、だれにも見せられないことをするものだよ

 アンネ「何もしてませんでした」
 >若い男の話の種になるようなことを、なにひとつ女の子は、一ばんいいおかみさんになるものだ

 おっかさんは、アンネをよめにもらうようゼップにすすめます。

 女性がさんざんにいわれますが、それでは男はどうなんでしょう。おっかさん、息子に甘すぎますよ!