三枚の金貨/魔女のおくりもの かめのシェルオーバーのお話2/ルース・エインワース・作 河本祥子・訳/岩波少年文庫/1997年初版
ルース・エインワース(1908~1984) の「こすずめのぼうけん」は、よく語られているお話ですが、「三枚の金貨」をふくめ、もっとしられてもいいお話がいっぱいあります。
創作ですが昔話らしい物語です。
ヒツジ飼いの若者とガチョウ番の娘が愛し合い、娘の父親に結婚したいとたずねると、「金貨三枚と住む家をみせてくれたら結婚をゆるす」といわれます。
若者は両親を亡くし、かわりに育ててくれた老人のヒツジ飼いと一緒にすんでいました。
老人から、町にいってできるだけよい仕事について、金貨をかせぐようにいわれた若者は、さっそく町にでかけていきます。
旅の一日目、漁師のわなにかかった一羽の野生のガチョウを助けます。
二日目、巣から落ちたリスの赤ん坊を助けます。
三日目、水たまりでおぼれたテントウ虫を助けます。
ガチョウからはまっ白な羽を一枚、母リスからはモミの松かさをもらい、葉っぱのついた花のまんなかにとまったテントウム虫を上着のボタン穴にさして町につきます。
助けたものから助けられるのは昔話のパターン。
ガチョウの羽は、けちんぼの学者から、とてもできそうにない清書を。
リスからもらった松かさは、一週間も寝ないで、かじ屋の炉を燃やし続けけるのを。
そして、テントウ虫は、急に病気になった劇団の役者のセリフのプロンプターになって若者をたすけます。この劇団は、王さまとお妃さまの前で公演をすると広告していて、長いセリフをおぼえる必要があったのでした。
こうして若者は、三枚の金貨と、王さまからもらったもう一枚の金貨を手に入れます。そして金貨の一枚で花嫁の結婚指輪、上等のレースでできたベールを買い、ガチョウ番の娘と結婚します。
簡単にあらすじを書きましたが、結構長く楽しめます。
清書の仕事や、劇団の役者を急きょすることになるなど、より現代にちかいものが素材になっているのが創作らしいところ。
金貨が三枚、助けるものが三つと、これも昔話のパターンです。
金貨が三枚というのは少なすぎる感じもしますが、今でいえば、いくらぐらいの価値だったのでしょう。
ドラキュラーってこわいの?/作・絵:せな けいこ:作・絵/小峰書店/2008年
ワインを血と間違えて飲んで眠ったドラキュラーが、うさぎに風船にとじこめられ、いったさきは雷の子がいる雲の上。
ドのつくものなら、ドロップ、ドラヤキ、ドーナッツ・・・。
きっとおいしいぞ と
おへそをとられて泣き出すドラキュラー
血を吸うおそろしいドラキュラーも、形無し。
せなさんの楽しい楽しい絵本です。
こりゃたしかにご愁傷様です。
ドラキュラーどの、赤いからといってやみくもにとびつくのは考えものですよ!
ふしぎな ふえ/八百板 洋子・再話 植垣 歩子・絵/福音館書店/2011年
毎日、やぎ飼番の男の子がやぎを山に連れていきますが、やぎはいつもよろよろになって戻ってきます。やぎの持ち主のおこりんぼのおじいさんは、ちゃんと草をたべさせているか、男の子のあとをこっそりつけていきました。すると、山の上で男の子が笛を吹き出すと、やぎはみんな踊り出したのです。
木のかげから飛び出したおじいさんも笛の音を聞くと踊り出します。迎えにきたおばあさんも息子夫婦も孫娘も。
村につくとパン屋、仕立て屋、こども、うしも、にわとり、いぬ、ねこもまあるい輪になって踊りだします。屋根の上では、煙突掃除の二人も。
ピーロラッラ ピーロラッラ ピーロラッラッラー
ピーロパッパ ピーロパッパ ピーロパッパッパー
村の広場で動物も魚も、みんな立ち上がって踊っています。
ブルガリアの昔話の再話ですが、どうなるかと思っていると、裏表紙には、汗を流したみんなが、疲れて座り込んでいます。
広場でみんなが踊る様子の楽しさは、絵本ならではのもの。
カラフルな衣装やエプロンにも注目です。
100/ちいさなかがくのとも/名久井 直子・作/井上 佐由紀・写真/福音館書店/2016年12号
三歳ぐらいからとありますが、年齢が高くても数の概念を理解するにはよさそうです。
「100」というのはタイトル。
積木が一個あって、次のページには積木が百個
金魚が一ひき、つぎのページは金魚が100ひき。
楽しいのは金太郎あめ。長くつながっている飴をきると100個
そのほかにも100個で表現するものが。
片手で5、両手で10、手と足の指をつかっても全部で20。
小さい子にとっては、たしかに100というのは、大きい数字。
”100”というのは “いっぱい”ってことでしょうか。
表裏を見開きにすると風船が100個もあるのは壮観。
写真で親しみやすく、月刊誌で価格も手ごろです。
不定期に参加させていただいている老人保健施設でのお話し会。
2018.5
いつもは女性の方が中心ですが、今回はめずらしく男性の方も4名。今月誕生日の方は90歳ということでした。
何年も歌ってなくても、童謡は思い出せるから不思議です。
1 童謡(茶摘み、鯉のぼり)
2 ミョウガ宿(読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話 上 筑摩書房)
3 一匹足りない(猫の人形を利用しながら)
4 手遊び
5 豆っこ太郎(紙芝居)
2018.2
入館時、おでこで体温チエック。集団だといろいろなところへ気を配らなければいけないので大変です。
ちなみにインフルエンザで1月はお休みでした。
1 つるかめ(語り かたれやまんば)
2 ヨゼフのコート
3 ももたろう(手遊び)
4 やまんばと三人兄弟(紙芝居)
ハーモニカや手遊び、歌をまじえてのおはなし会でした。
2017.10
1 ねずみ経(語り)
2 カラスの親子(指人形)
3 不思議なうろこ玉(紙芝居)
4 ひと山こえて
5 歌(もみじ、ゆうひ、むすんでひらいて、ふるさと)
歌はハーモニカの演奏で。
何年も歌っていなくても、すぐに思い出せるのは不思議。みなさんも一緒に歌ってくれました。
2015.5.14
今回は、藤田浩子さんの「橋役人」を語らせてもらいました。時間は6分ほどですが途中なにかうまくいきませんでした。聞いていただいた方には申し訳ないところ。
この話は、ほかのグループの勉強会で男性が語っているのを聞いたものですが、福島弁にこだわると十分な咀嚼ができない。
今回のお話会では、手遊びのほか、「ぼたんもちをくったほとけさま」(紙芝居)、腹話術でクイズ形式に答えてもらう趣向もあって、バラエテイにとんだものでした。
程度はよくわかりませんが失語症ぎみの人がクイズに答えてくれたり、痴呆(説明されないとわからないのですが)の人の反応がよかったり、ほんのちょっとでもお手伝いできれば、やりがいもあるところです。
2015.2.19
昨日の寒さとは一変。2月にしては、まあまあの陽気。春ももうそこまできているようです。
1 手遊び
2 節分の鬼
3 ヨセフのコート
4 手遊び
5 まほうのこなぐすり(紙芝居)
去年から持ち越しの「節分の鬼」を話しました。
初めての方もいらして、反応も良かったのですが、またまた途中とんでしまって、残念でした。
やはりいくら本番を積み重ねても、緊張します。
聞く方は大分先輩の方。昔話もどこかで聞いているはずなので、反対に聞く機会がもてたらいいなと感じました。
猫とねずみのともぐらし/作:町田 康 絵:寺門孝之/フェリシモ出版/2010年
猫はねずみをなぜ追うようになったのか?
むかし、いっしょに暮らしていた猫とねずみは、厳しい冬に備えて、おいしい油の入った壷を教会の祭壇の下おいておきました。
ところが、冬にならないうちに、猫はこっそりおいしい油をひとりでなめてしまったのです。
それを知ってねずみは「冬になって私たちの食べるものがなくなってしまったではないか」ときびしくせまります。
猫がなんとか言い訳を考えていると、やってきたのは白馬に乗った王子さま。
猫は王子さまに食べ物を恵んでくれるようお願いしますが、王子は「魔法使いにひどい目にあわされているかもしれない王女を探すにいく」と、森の方へ走りさります。
次にやってきたのは王女さま。王女さまも「結婚相手の王子が魔法使いにカエルにされているかもしれない王子を探すにいく」と、いってしまいます。
次は、まずしそうな兄と妹。猫は声をかけるのを諦めます。
次はとびっきりの救い主。なにしろ聖母マリアさまです。でも「いま忙しい」というと、もの凄い早さで、森の中へ。
お腹がすきすぎて、その場から動けなくなった猫とねずみの前にあらわれたは魔法使い。
「そんなに怖がらなくてもいい。私はいい魔法使いです。よござんす。私が魔法で解決してあげましょう。あなた方を王子様とお姫様にしてあげましょう。結婚してお城で一生、楽しく暮らすことができますよ」
ねずみが油をなめてしまったのなら、猫に狙われるのはわかりますが、逆に猫が油をなめているので、ねずみを狙う理由がないはずとおもっていると、最後は大どんでん返し。
なにしろ、魔法使いがまだ新米で、王子とお姫さまではなく、猫とねずみが入れ替わったのでした。
「赤ずきん」や「ヘンゼルとグレーテル」らしい人物がなにげなく登場します。
油をなめている猫の場面で、困った顔をしている神さまが描かれているのですが、まるで横たわる涅槃像のよう。
よろこびの木/アストリッド・リンドグレーン・文 スヴェン・オットー・S・絵 石井 登志子・訳/徳間書店/2001年
父と母が病気で亡くなった八歳のマーリンがやってきのは、「まずしい人たちの小屋」でした。
この小屋は、働けなくなった年寄り、ひどく貧しい人、病気や半分ほうけた人、ひきとりてのないみなしごなどが暮らしていました。
ちいさなマーリンは、物乞いをしながら、小屋に住むみんなのちいさなお手伝いさんになろうとします。
しかし他の人のなぐさめにはなっても、自分自身をなぐさめることはなりません。なにかうつくしいものがないと生きていく気がしないのに、ここにはなにもなかったのです。
ある日、物乞いでおとずれた牧師館で、牧師さんのちいさな子どもたちに、おはなしをよんできかせていた声が、聞こえてきます。
マーリンがうつくしい言葉と感じたのは
「わたしの菩提樹がしらべをかなで わたしのナイチンゲールがうたう」というものでした。
この輝くような言葉のおかげで、小屋のまずしさやみじめさがまったくきにならなくなります。
小屋の中では、かうあてのないか望みにあけくれていました。
マーリンは考えます。「わたしの菩提樹がしらべをかなで わたしのナイチンゲールはうたっているかしら」
言葉だけでは満足できなくなったマーリンは、じゃがいも畑に種をまいて菩提樹がはえてこないかやってみようと思います。
しかし、今は菩提樹の木の種が手に入る季節ではありません。そこで、マリーンはエンドウ豆の種を植えます。神さまも、「しんじて、ねがっていれば、きっとかなう」と考えたのです。
奇跡がおこり、本当に一本の菩提樹が、はえていたのでした。しかし、木からは、そよとも音がしません。
小屋のみんなは、ナイチンゲールのうたをきこうとしてやってきますが、「調べをかなでもしない菩提樹は、あした切り倒してやる」とハラペコ・オラはいいだします。
この小屋の住人の名前が唯一の救いでしょうか。
ハラペコ・オラは黒いソ-セージを10個食べてもおなかがいっぱいになりません。
村中で一番醜くて、子どもたちからこわがられているのはヘンチキリン。
いつも杖をもっているのはチョコチョコばあさん。
マーリンは自分の魂を菩提樹にあげられたらとおもいつきます。そして・・・。
菩提樹が心地よいしらべをかなで、ナイチンゲールがあれやかにうたいますが、マリーンはにどともどることはありませんでした。
むかしむかしのスウェーデンが舞台です。
「小屋の中は、なにもかもがうつくしく、たのしくなります」と、結びにあります。
なにか、マーリンが自分も幸せになったというのが残って、自己犠牲や献身というのは、あまり感じませんでした。
エンドウ豆をうえて、菩提樹がはえ、魂を菩提樹にあげたら、しらべを奏で、ナイチンゲールがとんでくるというのは宗教的奇跡でしょうが、日本人にはわかりにくいかもしれません。
ききみみずきん/木下 順二・作 初山 滋・絵/岩波の子どもの本/1956年
岩波の子どもの本シリーズには出版年が古いものが多くありますが、それだけ読み継がれているということでしょうか。
この本には「ききみみずきん」と「うりこひめとあまんじゃく」の二話がはいっていますが、初版は1956年と、いまから60年以上前です。
・ききみみずきん
藤六は百姓ですが、百姓だけでは暮らしていけないので、荷物運びの仕事もしていました。
ある日、仕事に出かけようとすると、外が雨なので、病気の母親から父親の形見の頭巾をもっていくようにいわれます。
嫁入りダンスを背負って隣村の村境の大きな木のそばで休んでいると、突然、女の子の声がきこえてきます。長者の娘が病気で死にそうになっているが、長者の庭のくすの木を元気にしてやると娘はたすかる そしてくすの木を元気にするには、長者の庭のいろんな木にきいてみなけりゃわからないというのです。
うたぐりぶかそうな長者をなんとか説得して、裏山の木の石を取り除いて、娘を救うことができます。
ずきんをかぶると鳥や草木の言葉がわかるのですが、母親は、「おとうさんは きっとこんなこと しらなかったんだよ。おまえが ひとさまにしんせつで、よくはたらくから、このふるずきんが、きっと こんなふしぎなずきんに なったんだよ」といいます。
はじめから不思議な力があったというのではなく、よく働く息子への贈り物だったというのが印象に残る話です。
藤六が取り除いた石は、じつは長者が、自分の田んぼにだけ水がたくさんいくためのしかけだった というのも、よくばりと意地悪な長者に対する痛烈な批判になっています。
藤六とおっかさんが、ずきんをかぶって、二人で鳥の歌をきく最後も、ほっこりする終わり方です。
昔話は、直接的で、余分なものはあまりでてきませんが、木下さんのは、じっくり展開していて、読みごたえがありました。
鳥が着物を着て擬人化されている初山さんの絵も、この話によくあっています。
・うりこひめとあまんじゃく
機織りの音がずーっとつづきます。
きこばた とんとん
からんこ からんこ
きちんこたんの きんぎりや
くだこあなくて からりんこ
うりこひめのかわりに、機を織るあまんじゃく
どじばた どじばた
どだばたん どだばたん
どっちゃらい ばっちゃらい
とりたちの なきごえ
があ があ があ
びーろろろ
けけろう けえ
このリズムが繰り返し続きます。
あまんじゃくは、まるで宇宙人のようで、うりこひめは女性ですが大五郎カットです。
やったねカメレオンくん/作:ウェニィー・ハディシィ・文 エイドリエンヌ・ケナウェイ・絵 久山 太市・訳/評論社/1993年
高い木の上で、あさごはんのハエをちょいとつまむカメレオンくんは、いつもヒョウにじゃまされ、地面にドッシン。
夕方、カメレオンが川で水をのんでいると、ワニが大きな口をあけ、のこぎりみたいな歯をギラリ。
カメレオンは「ぼくをいじめるのをやめないと、犬みたいに、ロープでつないでやるからな!」とカンカン。
ハタオリドリにつる草でロープを編んでもらったカメレオンくんの作戦は?
ハタオリドリは、草などを編み枝から垂れ下がる袋状の巣を作ることから、機織鳥と呼ばれるといいます。
カメレオンくん、ロープをヒョウとワニの首にかけてお互いにひっぱりっこさせる作戦です。
ヒョウとワニの引っ張りごっこは一進一退。勝負はなかなかつかず、お互いにヘトヘト。
ヒョウとワニの疲れ切った表情とカメレオンの得意そうな顔。
小さいものが知恵でわたりあうのが痛快で、みていてもわかりやすい。
あなはほるもの おっこちるとこ/ルース・クラウス・文 モーリス・センダック・絵 わたなべ しげお・訳/岩波の子どもの本/1979年
原著は1952年で、絵はモノクロ。
「〇〇」は「〇〇」のためにあるというのが、ちいちゃい こどもたちが 説明してくれます。
・マッシュ・ポテトは だれでも すきなだけ たべられるもの
からはじまって、最後は
・ほんは みるもの
・かおは いろんな かおを するためにあるの
・ては、つなぐためにあるの
・だきあうために うでが あるのよ
・どろんこは とびこんで すべりこんで おっころりんの しゃーんしゃんて やるところ
・なみは、てをふってバイバイするもの
・おにいさんは ぼくを たすけてくれるひと
・とけいは ちくたく おとを きくもの
・かいだんは すわるところ
などなど
あっとおどろく表現もあって、自分の固定観念を打ち破ってくれます。
だきあうために うでがあるのに、相手を叩きのめすためにもつかうのが大人。
次からつぎへとでてくるこどもの表情も楽しい絵本です。
保育園や幼稚園のこども、先生への謝辞がありますから、聞き取ったものでしょうか。
今の子どもに聞いたら、別の説明が聞けそうです。項目が多いので50音順になっていたらもっとよかったかもしれません。
アフリカの民話集 しあわせのなる木/島岡由美子・文/未来社/2017年
”ど”がつくほど貧乏なチンジャカ。
食うや食わずの生活で、おくさんや子どもは、どなりちらし、牛やロバもひどくむちでたたいて働かせていました。
チンジャカは、シャターニの森の奥に「しあわせのなる木」があるという噂を聞いて、木をさがしにでかけます。
途中、ひとりのおばあさんにあって、森に入ったら二度と出てこられないと忠告をうけますが、「しあわせのなる木」だったら、森のすぐそこにあると聞いて、歩き出すとすぐに、木の上で動物たちが歌っています。
こんにちわ! こんにちわ!
おげんきですか? とっても元気です
しあわせ、しあわせ、しあわせのなる木
ライオン、サイ、ゾウにカバ、みんな友だち、みんななかよし
ラッタラッタラーン♭
聞いていたチイジャカも、幸せな気持ちになって、自分も歌いました。
歌を聞いてから自分も楽しくなって、それからはいいことずくめ。
牛やロバにも「みんな友だち、みんななかよし ラッタラッタラーン♭」という歌をきかせてやると、ごきげんよく働くようになり、畑もよくたがされ、作物もたくさんなります。
おくさんはおいしい食事をつくってくれ、子どもも水汲みや薪割りを文句ひとついわずに手伝うようになります。
「しあわせのなる木」は、いつだって、みんなのそばにはえていいますと結ばれています。
歌は気持ちを解放してくれますから、楽しい歌をうたったら、たしかに、いいことが起こりそう。前向きに考えるのが一番ということでしょう。
いいことだけでなく、悲しい時や嬉しいときも歌で癒されますね。
ライオンのおもさ はかれる?/ロバート・E・ウェルズ せな あいこ・訳/評論社/1999年
小学校時代、こんな導入だと理科、物理がすきになれそうな絵本です。
一頭のライオンでも10頭のライオンでも、てこの原理をつかえば、小さい子でも持ち上げることができます。
パンダのように重くて引っ張るのが無理そうでも車輪をつかえば、かるがる。
高いところに引っ張り上げるのが無理そうでも、滑車をつかえば、かるがる。
動物がいっぱいでてきて、楽しみながら物理の原理を理解できるかも知れません。
しかし、てこの原理を説明するのに、作用点、支点、力点がでてくるなど、やや理屈っぽいのが難点で、もう少し考えさせてくれてもよさそう。
太陽と月になった兄弟/秋野靱子 再話:絵/福音館書店/1994年
この世に太陽も月もなく、人々は空の薄明りをたよりにつつましく暮らしていた昔。
村に暮らしていたおじいさんには、兄がアリ、弟がヤシという双子の兄弟がいました。兄のヤシは狩りの名人、弟のヤシは、魚をとるのがうまく、いつも一緒でした。
あるとき、二人は岩場に倒れていたリャマ飼いの少年を助けます。それから村にはなくてはならない若者になった二人。
ところがある日、西から東から、南から北から黒雲がごうごうとおしよせ、おおつぶのひょうがふらせると、あかるい空は灰色におおってしまいます。草も作物も枯れ、リャマもアルパカもばたばた死んでいきました。
村の人が神さまにおいのりしても、空はいつまでも変わりません。二人の兄弟は空が閉ざされたわけをさぐろうとしますが、なかなかてがかりがありません。
アンデスの「ピューマの岩」にたどりついたとき、灰色のもののむこうに、とてつもなくおそろしい魔物がひそんでいるようだと気がつきます。
空にのぼって、魔物をひきおろそうと、二人は村中の矢をあつめ魔物にいどみます。
空にのぼるため、アリが矢をはなつとヤシがその矢をねらってすぐ矢をはなちます。
二人が射た矢は、つぎつぎにまえの矢にささって、一本の綱となって天に届きます。
2ページを縦長に使い、矢が天に届くさまは壮観です。そしてはげましあってのぼる二人。迫力いっぱいです。
やがてヤシは月に、アリは太陽になって、すべてのものをよみがえらせます。
太陽と月の誕生の昔話もいろいろありますが、二人の兄弟に自己犠牲の悲壮感がなく、素直に楽しめました。
秋野さんは1990年ボリビア、ペルーへ民話の取材旅行をされたとありましたが、インディオの暮らしぶりがつたわってくる絵も見ごたえがありました。
みえない さんぽ ーこの あしあと だれの?ー/ゲルダ・ミュ-ラ-/評論社/2002年
最初のページに「あしあとを おいかけよう・・」とあるだけで、そのあとは一切、文字はでてきません。
足あとは部屋の中から外へ。外は雪です。
小鳥の足跡と小鳥。
囲いの中には馬。というのは牧場? 耕作用の馬かも。農業をしている?
雪の中の小川をとおると、そこには大きな木。
引き返した途中には、いけがあってカモが泳いでいます。
足あとは、家のドアへ。そして中へ。
はじめから終わりまで足あとだけ。最後のページには男の子とわんちゃんがいますが・・・。
作者は、おはなしをつくってみようといいます。
はじめよくわからず、再度見ると、仕掛けがわかってきました。
寝室の場面からはじまりますが、そばにある椅子には上着、ズボン、靴下が乱雑に置かれています。しかし次のページを見ると、椅子の上はかたずいていますから、着替えをしたことがわかります。
絵の変化は、そのほかにもいろいろでてきます。もうひとつあげると、ドアをでるとき薪は三本ですが、最後の方では、大分積み重なっていますから、単に散歩したのではなく、薪をとってきたのがわかります。
文章がないので、読み聞かせは無理でしょう。親子で話しながら見ていく楽しさを味わう絵本でしょうか。
しかし、文章も登場人物もいないという絵本は、はじめてでした。
かしこいモリー/ウォルター・デ・ラ・メア・再話 エロール・ル・カイン・絵 中川 千尋・訳/ほるぷ出版/2009年
「かしこいモリー」は、はじめ「おはなしのろうそく1」(東京子ども図書館編 松岡享子訳)で読みましたが、大分昔。
その後、何回か聞く機会がありました。昔話の特徴がよくあらわれていて、楽しめました。
貧乏のために森に捨てられた三人の女の子。
ようやく一軒の家に泊めてもらいますが、そこは人喰い大男の家でした。人のいいおかみさんに頼み込み、大男が帰ってきたら出ていきますと、食事をしていると帰ってきたのが人食い大男。
おかみさんのとりなしで、なんとかベッドで寝ることになります。
大男にも三人の娘がいて、大男は自分のむすめに金のくさり、女の子にはワラなわを首に巻きつけます。
大男は首をさぐって、女の子を食べようとしたのですが、モリーがワラと金のくさりを入れ替えておいたので、大男がなぐり殺してしまったのは自分の娘でした。
女の子が逃げ込んだのはりっぱな御殿。モリーの話を聞いた王さまは、「おまえは、なんとかしこいむすめじゃ。だが、もし、その大男のまくらもとにかかっている刀を盗んできた、おまえの一番上のねえさんを、わしの一番上のむすこの嫁にする」と言います。
モリーは大男の家へもどり、刀を盗んで逃げます。大男はモリーをおいかけますが、「かみの毛一本橋」をわたることができず、モリーをにがしてしまいます。
次は、枕の下の財布を取ってこいと言われ、これもなんとか取ってきて、二番目の姉さんは、二番目のむすこと結婚します。
三度目は、モリーの番です。大男が指にはめている指輪を取ってこい言われ、指輪を大男の指から抜き取ろうとしたとき、大男が目を覚まし、モリーは腕をつかまれます。
「お前がわしにしたほどひどいことを、もし、わしがお前にしたら、お前はわしをどうするな?」と聞かれたモリーは「おまえを袋におしこんで、そこへネコもイヌもいれ、ハリと糸とハサミもいれて、太い棒を探してきて、袋の上から、死ぬまでぶったいてやるわ」といいます。
大男が棒を取りにいったすきに、モリーは大男のおかみさんをだまして袋に入れます。
大男が帰ってくると、袋の上から大木で叩きはじめます。おかみさんは「あたしだよ、おまえさん」といいますが、イヌが吠え、ネコがニャンニャンわめくので、大男には聞こえません。その間にモリーは「かみの毛一本橋」をわたって、無事、王さまのところへ逃げ戻り、王さまの末のむすこと緒婚します。
上記は、松岡訳ですが、ウォルター・デ・ラ・メアの再話では
三人の娘がたきぎを集めるために森にでかけるところからはじまります。
大男が自分のむすめを殺してしまうところは、地下の穴蔵に放り込みます。
絵本読者の年齢に合わせて、残酷な場面をなくしていますが、森に捨てられるのと、たきぎをあつめるのでは、大分印象が違ってきます。
一回目、橋のところで大男が
「ちきしょう! やい、モリー、二度とくるなよ!」
「いえ、いえ、きますわ あと2回」
(松岡訳)
「こしゃくなモリーめ、おぼえておれよ。こんどきたなら、ひねりつぶしてやる!」
「あと二回、くるかもね。あんたがおぼえていようと、いまいとも」
(ウォルター・デ・ラ・メア再話)
「二度と来るな」というのと「こんどきたならひねりつぶしてやる」とでは、子どもの受け止め方はどうでしょうか。
そうはいっても、王さまの壮大な御殿や、細い細い「かみの毛一本橋」、大男の人相など、さらに文章のページにある影絵が効果的で絵本ならではのものです。
人食い大男とおかみさんの組み合わせは、おなじイギリスの昔話「ジャックと豆のつる」とおなじ。
おかみさんは、モリーたちに、食べ物と寝床を提供しながら、大男に袋叩きされる損な役割で同情してしまいます。
この「かしこいモリー」が、スコットランドの「マリー・ワッピー」(世界むかし話8/おやゆびトム/イギリス、アイルランド)という題名でのっていました。モリーならぬマリーというので結びつきませんでしが、タイトルによってイメージがだいぶちがいます。
「かみの毛一本橋」は「髪ひとすじ橋」と訳されています。