昨日は墓参りにいくために、鹿島市から武雄市まで歩く。
佐賀県内を歩くのは初めてだが、嬉野市の塩田を経由し、
398号をひたすら北上し、歩くこと2時間半はかかったので、
15キロくらいの距離はあっただろう。
それにしても、田舎の道は歩くとその時間が長く感じる。
遠くに見える風景を見ていても、
視覚的にあまり変化のないものだからだろうか。
途中、塩田付近では玉島古墳を道の右手にみかける。
佐賀県で最大級の古墳であると書いてあり、
6世紀の頃につくられたものであると書いてある。
こんなことに興味を持つのも歩いてでないとないことだ。
車で行くとなると、つい見過ごしてしまいそうである。
昨日聴いた團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」は、
1972年に作曲された作品で、二幕ものである。
昨日歩く中ではその第1幕を聴いた。
武田泰淳の手による戯曲は極限状態にある人間の
心理的葛藤を描き、人間らしさとは何かを問う作品である。
これを團伊玖磨が歌劇の素材としてとりあげたのはすごい。
第1幕は、マッカウス洞窟にての話。
第二次世界大戦敗戦直前の、昭和19年。
舞台となるマッカウス洞窟は、北海道の知床。
ここでは人肉を食べる船長が出てくる。
この話は実際にあった事件がベースとなっているようだ。
(ただし、実際の事件の舞台はマッカウス洞窟ではない)。
この歌劇はそのようなテーマを取り上げているから、
どろどろとした人間の心理的ドラマとして、
聴き手に対して訴えかけてくるのだ。
團伊玖磨の音楽もその状況をうまく描いていると思う。
第1幕は船長と西川という人物の対話が中心となる。
ここでは登場人物はすべて男性のみである。
それにしても物語のようなフィクションよりも、
実際の事件の方が想像しえないことが起きる。
逆に言えば、文学作品がそのような実際の事件を
小説の題材とすることは多い。
人間って一番怖い存在なのかもしれない。
佐賀県内を歩くのは初めてだが、嬉野市の塩田を経由し、
398号をひたすら北上し、歩くこと2時間半はかかったので、
15キロくらいの距離はあっただろう。
それにしても、田舎の道は歩くとその時間が長く感じる。
遠くに見える風景を見ていても、
視覚的にあまり変化のないものだからだろうか。
途中、塩田付近では玉島古墳を道の右手にみかける。
佐賀県で最大級の古墳であると書いてあり、
6世紀の頃につくられたものであると書いてある。
こんなことに興味を持つのも歩いてでないとないことだ。
車で行くとなると、つい見過ごしてしまいそうである。
昨日聴いた團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」は、
1972年に作曲された作品で、二幕ものである。
昨日歩く中ではその第1幕を聴いた。
武田泰淳の手による戯曲は極限状態にある人間の
心理的葛藤を描き、人間らしさとは何かを問う作品である。
これを團伊玖磨が歌劇の素材としてとりあげたのはすごい。
第1幕は、マッカウス洞窟にての話。
第二次世界大戦敗戦直前の、昭和19年。
舞台となるマッカウス洞窟は、北海道の知床。
ここでは人肉を食べる船長が出てくる。
この話は実際にあった事件がベースとなっているようだ。
(ただし、実際の事件の舞台はマッカウス洞窟ではない)。
この歌劇はそのようなテーマを取り上げているから、
どろどろとした人間の心理的ドラマとして、
聴き手に対して訴えかけてくるのだ。
團伊玖磨の音楽もその状況をうまく描いていると思う。
第1幕は船長と西川という人物の対話が中心となる。
ここでは登場人物はすべて男性のみである。
それにしても物語のようなフィクションよりも、
実際の事件の方が想像しえないことが起きる。
逆に言えば、文学作品がそのような実際の事件を
小説の題材とすることは多い。
人間って一番怖い存在なのかもしれない。