昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1874年生まれのスク(ヨゼフ・スーク)の作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響詩「プラハ」作品26は、1904年に作曲された。
彼は人生の多くを過ごした愛する都市プラハに対する作品を
作曲しようとしていたが、その途中師ドヴォルザークの死の一報を
公演先のマドリッドで受け取ったようであるが、
失意の中、師ドヴォルザークの思いをこめた交響曲を作曲する前に、
未完成であった交響詩「プラハ」を完成させたようである。
チェコの詩人スヴァトプルク・チェフが書いた
1424年のプラハ包囲についての詩に霊感を受けて作曲したようだ。
今回聴いたCDは、リボル・ペシェク指揮、
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による。
最初はハープが鈍く響き、トランペットがフス派の賛歌
「なんじらは神の戦士」の旋律を奏でていく。
弦楽器がおだやかに奏したあと、金管楽器で再び賛歌の旋律を奏で、
それを木管楽器や弦楽器が受け継いでいく。
やがて盛り上がり、オーケストラ全体でその賛歌の旋律を奏でる。
別な旋律も奏でられ、この賛歌の旋律がそれに絡んでいく。
この賛歌の旋律とは対照的なロマンティックな旋律は魅力的である。
ロマン派的な旋律と、最初の賛歌の旋律が絡み合いながら、
壮大な音楽が展開されていき、重厚になっていく賛歌の旋律は、
スメタナの「わが祖国」の「タボール」を想起させもする。
これら現れた主題は展開されていき、その技法もなかなかである。
中間部の独奏ヴァイオリンの美しい旋律も聴きどころであるが、
やがて音楽は賛歌の旋律を中心に緊張感のある音楽となり、
フス戦争を思わせるような戦闘的な音楽になっていく。
それが終わると賛歌の旋律がコラールのように金管楽器により奏され、
木管楽器によって奏されるもう一つの旋律と絡んでいく。
もう一つの旋律が弦楽器により受け継がれ、
その旋律を中心にしばらくはロマンティックに展開されていく。
そしてテンポを速めていき、賛歌の旋律が金管楽器に示され、
最後は金管楽器が賛歌の旋律を奏でて華やかに盛り上げ、
オーケストラ全体で歌い上げ、鐘の音が響き、
ティンパニの叩く音の中、堂々とした感じで終わる。
途中聴いたのは、1874年生まれのスク(ヨゼフ・スーク)の作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響詩「プラハ」作品26は、1904年に作曲された。
彼は人生の多くを過ごした愛する都市プラハに対する作品を
作曲しようとしていたが、その途中師ドヴォルザークの死の一報を
公演先のマドリッドで受け取ったようであるが、
失意の中、師ドヴォルザークの思いをこめた交響曲を作曲する前に、
未完成であった交響詩「プラハ」を完成させたようである。
チェコの詩人スヴァトプルク・チェフが書いた
1424年のプラハ包囲についての詩に霊感を受けて作曲したようだ。
今回聴いたCDは、リボル・ペシェク指揮、
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による。
最初はハープが鈍く響き、トランペットがフス派の賛歌
「なんじらは神の戦士」の旋律を奏でていく。
弦楽器がおだやかに奏したあと、金管楽器で再び賛歌の旋律を奏で、
それを木管楽器や弦楽器が受け継いでいく。
やがて盛り上がり、オーケストラ全体でその賛歌の旋律を奏でる。
別な旋律も奏でられ、この賛歌の旋律がそれに絡んでいく。
この賛歌の旋律とは対照的なロマンティックな旋律は魅力的である。
ロマン派的な旋律と、最初の賛歌の旋律が絡み合いながら、
壮大な音楽が展開されていき、重厚になっていく賛歌の旋律は、
スメタナの「わが祖国」の「タボール」を想起させもする。
これら現れた主題は展開されていき、その技法もなかなかである。
中間部の独奏ヴァイオリンの美しい旋律も聴きどころであるが、
やがて音楽は賛歌の旋律を中心に緊張感のある音楽となり、
フス戦争を思わせるような戦闘的な音楽になっていく。
それが終わると賛歌の旋律がコラールのように金管楽器により奏され、
木管楽器によって奏されるもう一つの旋律と絡んでいく。
もう一つの旋律が弦楽器により受け継がれ、
その旋律を中心にしばらくはロマンティックに展開されていく。
そしてテンポを速めていき、賛歌の旋律が金管楽器に示され、
最後は金管楽器が賛歌の旋律を奏でて華やかに盛り上げ、
オーケストラ全体で歌い上げ、鐘の音が響き、
ティンパニの叩く音の中、堂々とした感じで終わる。