白いこと。これについては多くの人々がその含蓄深さについて語ってきました。僕の記憶のなかに強く残っているのは、建築家の白井晟一が書き記したエッセイ「豆腐」のこと。それらは、白のなかに含まれる文化的なイメージにまで言及したものでした。白いということは、新鮮で清らかでありながら、同時に多くのことを含むということかもしれません。
ドイツの重く暗い冬の日々を過ごす中で、いくつもの美しい「白」を見つけました。それは光り輝く鮮烈な「白」ではなく、内側からぼぉっと光る、優しい希望のような。あるいは夢のようであり幽玄な。
ベルリンの街並みは煉瓦や塗り壁で仕上げられる建物が多く、落ち着いた色調をしています。それは冬の暗い曇天のなかにあっては、とても沈んだ印象になります。しかしその内部に白が使われるとき、その白にはあらゆるイメージが芽生え始めます。
ベルリンで最も古い教会。重厚な石積みの内部は、プロテスタントらしく装飾が抑えられ、清々した雰囲気。まるでそれまでの歴史のしがらみを洗い流してしまったかのよう。
ベルリンの国立美術館。石の基壇の上に載せられた、黒い鉄の神殿。その地下にある常設展示室にはいった瞬間、ドライエリアからの柔らかい自然光に満たされた爽やかな空間が広がります。設計したミース・ファン・デル・ローエは、「国立」という重厚な「黒」の鉄の表現のその下に、権力から解放された自由な国民のための殿堂をイメージしたことでしょう。国内外のアーティストの作品が、かしこまることなく自由に配置され、柔らかな白い光のなかに遊んでいるかのよう。
そんなところに、僕はベルリンでの自由の断片を感じました。
ベルリンは森が多い街です。それは近郊の街ポツダムまで続き、その広大な森の中には、かつての宮殿が散在しています。霧がかった苑路を歩んでいくと、それらの宮殿のひとつひとつが、姿を現しては消えていきます。その体験は、まるで夢のよう。夢のような体験には、実に白がよく似合う。
シャルロッテンホーフ宮殿。これは夏の離宮でした。夏には草花が咲き乱れ、とても華やかな場所になるそうです。ですが建築家シンケルはイメージしていたでしょうか、冬の霧がかった木立のなかに、ぼぉっと浮かび上がる白く夢のような神殿の姿を。「ピクチャレスク」って、本来はこういうことを指すべきなんだろうな。言葉はどうも勝手に一人歩きしちゃうのだけれど。
明るくシンプルなだけの白ではなく、深みのある白を求めたいものです。そう、「豆腐」のような。