西日をおいかけて

2013-10-20 19:15:42 | 自由が丘の家

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西日というと、ギラギラと暑苦しくて、あまり好まれないことが多いように思います。それでも、西日にはやはり独特の風情があると思います。

そんな風なことを印象的に思ったのは、パリのノートルダム寺院を見た時。西に面するファサードに、夕方、強く光が差していました。白い石でできたファサードは輝き、また、彫刻の陰影がくっきりと浮かび上がり、一日のなかでもとりわけ印象的な光景でした。昔のパリの街並みは、積年の汚れで真っ黒だったといいますが、ノートルダムもそうであったならきっと、夕方の西日の差す時間だけは、はっきりと白亜の輝きを見せたのかもしれません。

堂内に入ると一変、闇に支配された空間になるわけですが、ファサードの薔薇窓から差し込んでくる西日で、ステンドグラスの鮮やかさは一段と際立っていました。その光景を眺めながら思い出していたのは、なぜか日本の寺のこと。京都・大徳寺境内にある孤篷庵・忘筌での体験でした。

忘筌という名の茶室は、西に面していて、縁側の上半分に障子が付けられ、下半分が吹きさらしになっている独特の造りになっています。その室内に身を置いて、夕方のひと時を過ごしました。その日は曇りがちの日で、時折、西日が目を覚ましたように差してきます。その時、部屋全体が覚醒するかのようにぐーっと明るくなり、一日の終わりを名残惜しむかのような風情がありました。

そんな西日の風情を思い起こしながら、私の設計アトリエの2階に住居をつくりました。必要なものだけを選んで造作したシンプルな室内ですが、そのなかで、西に面した高窓には障子が吊り下げられ、部屋全体を柔らかい光で満たすようにしたいと考えていました。

夕方、陽が西に傾いてくると、障子で拡散された光が室内を独特の雰囲気に変えてくれます。白い壁の多い室内のなかで、それは以前にフィレンツェで訪れた修道院のような、優しく、慎ましやかな趣きをもたらしてくれます。そんなことを連想したり思い出したりする時間も、楽しいものですね。

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