最近、僕が講師をしている学校で、建築の模型づくりを練習する授業がありました。
建築模型の材料は時代と共に変遷してきましたが、現在ではスチレンボードと呼ばれる白いスチロール樹脂の板が主流になっています。厚さもいろいろあって、カッターで簡単に切れてボンドで簡単にくっつきます。
ある建物を題材に、授業でスチレンボードを使った模型づくりの基本的な演習をしました。授業後、ある学生がちょっと物足りなさそうに寄ってきて、石膏で模型をつくることはできないのか、という質問を受けました。そうですね、昔は石膏模型は多かったようでしたよ。とても質感があって、それ自体がオブジェのようで。そんな受け答えをしながらいろいろ話をしていると、どうやらスチレンボードのつるっとした無味乾燥な質感に愛着がわかないし、それを見ていてもあまりイメージが浮かばない様子。なるほど。
白いスチレンボードのつるっとした表情の模型が似合う建築といえば、ル・コルビュジエだとかのモダニズム建築が挙げられそうです。そして、学校教育の場合は大概、この作家の名前が最初に出てきて、この人は巨匠で偉大な人です、この人の作品は近代の金字塔です、よーく勉強するように、というような話がされます。白い豆腐のようなつるっとした住宅群。・・・何がいいんだろう??建築界に仲間入りできないような焦りと疑問にさいなまれました。そんな調子ですから僕は決して優秀な学生ではなかったけれど、唯一誇れることと言えば、コルビュジエの建築図面を集めて、いっぱい模写をして勉強したこと。そしてその面白さにようやく気付きコルビュジエのファンになったものの、その後フランスに行って実際に見た白い豆腐のような住宅群は、僕にとっては胸を打つものではありませんでした。現代という時代に見たからだと思います。そのような体験を通して、自分にとってかけがえのない建築とか空間とは何ぞや?という疑問を持ったのでした。卒業論文でガウディをテーマに選び、石膏まみれになりながら曲面づくしの照明器具をつくったりしました。そのどれもが、白いスチレンボードの模型では表現できないものばかりでした。
それでも今、僕は仕事の途中でスチレンボードを使って模型をつくり、イメージしたり検討をしたりします。やはりある程度のスピードの中で物事を検討し決定していくためには、この利便性は素晴らしいものがあります。でも、取り扱いは簡単だけれども、そこに具体的な求めたいイメージを観想するのはなかなか困難です。でも、それができなければ、僕が設計する建物はきっと無味乾燥なものになりさがってしまいます。だから、模型を眺める目にも馬力を込めて(笑)
石造の様式建築の街並みの中に、コルビュジエの白い住宅が現れた瞬間は、度肝を抜くほどに鮮烈で美しかったことでしょう。白いつるっとした豆腐のような存在であることが、かけがえのない質感そのものだったのだろうと思います。現在、表面的にコルビュジエのような建物をつくることは、単にコルビュジエ風のファッションということだと思います。白いつるっとしたスチレンボードの模型を見ながら、イメージのなかで変幻自在させていく力こそが必要なのでしょう。まだまだ精進しないと。
もし芸術学校の学生さんがこのブログをみていたら、コルビュジエのトレースはぜひオススメします。図書館に作品集がありますからね。スケールを整えて、手描きで。好きであってもそうでなくても、自分のなかの指標のようなものになると思うのです。