peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

宮城県鹽竈神社博物館&鋳銭釜   2015年2月21日(土)

2015年02月27日 | 植物図鑑

2015年2月21日(土)、志波彦神社・鹽竈神社(宮城県塩竃市一森山1-1)を参拝してから、志波彦神社の神門の所まで戻って、鹽竈神社博物館を見学しました。

(上)博物館の傍にある茶屋えびや:温かい甘酒を飲んでいる人たちがいました。

(上と下)この鳥居を通って行けば奥の細道碑があったようです。上の右側の建物は神馬舎・神龍社のようです。

 

(上と下)鋳銭釜:江戸時代中期、仙台藩内で産出する銅で鋳造することを条件に、幕府から認可され、貨幣が鋳造されたそうです。燃料、原料、製品の輸送に便利な石巻が鋳造場所に選ばれました。享保13年(1728)、石巻で鋳造された「寛永通宝」の裏側には「仙」の字を刻み鋳造高の半分は藩内で、残りは江戸で売られたそうです。明治時代に入るまで江戸時代の通貨の一つである「寛永通宝」は石巻で鋳造されたものだったのです。

http://www.shiogamajinja.jp/ [鹽竈神社博物館]

http://www.kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/jinja/hakubutsukan.html [志波彦神社・鹽竈神社~鹽竈神社博物館:塩竃市観光物産協会]

http://www.shiogamajinja.jp/museum/ [志波彦神社・塩釜神社:博物館のご案内]

足が少し不自由な妻が洋式トイレを使いたいというので、第1駐車場にあるトイレに行きました。(博物館内のトイレは昔のままの和式でした。)

 


宮城県塩釜神社・左右宮&別宮&文化灯籠&文治灯籠 2015年2月21日(土)

2015年02月26日 | 史跡、名所、

(上と下)隋身門(ずいしんもん):国指定重要文化財(平成14年12月指定)、宮城県重要文化財指定(昭和34年)。三間楼門で、銅板葺き、朱塗り。

この門は、国道45号線からの表参道である表坂(男坂)とも呼ばれている参道の社号標「東北鎮護鹽竈神社」や石鳥居が建つ所から202段あるという石段を登ると到着する門である。

元禄2年(1689)5月9日(新暦6月25日)早朝、芭蕉はこの石段を登って鹽竈神社に詣でたそうです。

http://www.kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/jinja/shiogamajinja.html [志波彦神社・鹽竈神社~鹽竈神社:御祭神ならびに御由緒:塩竈市観光物産協会]

(上と下)唐門及び廻廊(国指定重要文化財):「唐門」とは通常、唐破風をもつ門を指すが、当神社の唐門は切妻造りの四脚門で、唐破風をもたない。重要文化財指定名称は単に「門」となっている。門と左右に接続する廻廊ともに銅板葺き、朱塗りとする。

(上)鹽竈神社の手水舎

(上と下)文化灯籠:文化6年(1809)伊達9代藩主周宗公が蝦夷地警護の凱旋の後奉賛として寄進したものだそうです。塩釜市指定文化財。

(上と下)左右宮拝殿(廻廊・端垣と併せて平成14年12月、国の重要文化財に指定

(左側)右宮拝殿:経津主神(ふつぬしのかみ)を祀る。(右側)左宮拝殿:武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る。安産守護・延命長寿・海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神として、全国から信仰されているそうです。

(上)鹽竈神社左右宮本殿:全国的にも珍しい三本殿二拝殿という社殿構成、壮大で整然とした配置等が江戸中期の神社建築として高く評価され、昭和34年に宮城県重要文化財に指定され、平成14年12月には左右拝殿、左右幣殿、廻廊と共に国の重要文化財に指定されたそうです。 

(上)右宮拝殿側から見た左右拝殿&(下)左宮拝殿側から見た左右拝殿(左右本殿はこの裏側に鎮座する)。

(上)左宮本殿・左宮拝殿の隣にあるいぼ神の鎮座する所。(下)桜の木がありましたが、未だ堅い蕾でした。

(上2つ)文治の灯籠:文治3年(1187)7月10日、奥州藤原三代秀衡の三男泉三郎忠衡により寄進されたものとのこと。説明碑奥の細道紀行300年記念建立。

松尾芭蕉「奥の細道」塩竈の章、原文:朝、塩がまの明神に詣。 国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。(中略)神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎奇(寄)進」と有。

五百年来の俤(おもかげ)、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠(かれ)は勇義忠孝の士也。佳命(名)今に至りて、したはずといふ事なし。誠(まことに)「人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふ」と云り。

 (上記 奥の細道 現代文は 下記のとおり)。

翌朝早く塩釜の明神を詣でた。この神社は 藩主が再建なさって、宮柱が太く、彩りをつけた垂木は輝いている。石の階段は長く、差し込む朝日が玉垣をきらきら輝かしている。このような、道の果てのような辺境の地まで神の霊験があらたかでいらっしゃることこそ、わが国の古来からの風習なのだと、大層尊く思われる。(中略)神前に古い素晴らしい灯篭がある。鉄の扉に「文治三年 和泉三郎 寄進」と、書いてある。500年もの前の面影が、今もこうして目の前に浮かび上がって珍しい。彼、和泉三郎は、勇気、忠義、孝心を全て備えた立派な人物である。その高名は今にまで至って、慕わない者はない。人は道にかなった生き方をして義理を守るべきである。そうすれば「名声もついて回る」と古人も言っている。 

和泉三郎とは、平泉の藤原秀衡三男、忠衡のこと。妻は信夫荘司・佐藤基治の娘。異母弟は泰衡。庶長兄は国衡。平泉中尊寺の北西「泉ヶ城」が居城。文治3年7月は、奥州藤原氏に対して 鎌倉幕府から、義経を引き渡すよう求められていたころである。

忠衡による塩釜神社へのこの燈篭寄進は、平泉の平穏と 義経の無事を 懇願しての行為であったことが推測される、と習った。(妻のブログより転載)

(上と下5つ)別宮拝殿(この裏側に本殿がある):朱漆塗入母屋造銅板葺きで、宝永以降20年に1度御屋根葺替の式年遷宮の制度が設けられ現在に至っているとのことです。幣殿、廻廊と共に昭和34年に宮城県重要文化財に指定され、平成14年12月には国の重要文化財に指定されたそうです。鹽老翁神(しおつちおぢのかみ)をお祀りしているそうです。

 

(上と下)別宮拝殿:朱漆塗りの柱などが真新しい。テレビでこの塗り替えの模様が紹介されたそうです。私たちは昇殿しませんでしたが、「漆塗りたて」の注意書きがありました。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BD%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE [鹽竈神社:Wikipedia]


一関市東山町長坂のコタニワタリ(小谷渡) 2015年2月24日(火)

2015年02月25日 | 植物図鑑

2015年2月24日(火)、一関市東山町長坂字北山谷に居住する妻の友人を訪ねました。妻が友人と話をしている間に、私は付近を散策してみました。ネコヤナギとかフキノトウが見つかるかもしれないと思っていたのですが、見つけることができませんでした。昔、金を採掘したという岩場があり、古道が残っていました。そこにはコタニワタリ(小谷渡)と思われるシダ植物が緑色の葉を広げていました。

 コタニワタリ(小谷渡) チャセンシダ科 チャセンシダ属 Asplenium scolopendrium L.

 http://matsue-hana.com/Graphics/lgal/19665.jpg [コタニワタリ(小谷渡):松江の花図鑑]

 http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/pteridophyta/aspleniaceae/kotaniwatari/kotaniwatari.htm [コタニワタリ(チャセンシダ科 チャセンシダ属)]

 http://plants.minibird.jp/kansai/kansai50/kansai_ka/con_ko/koTaniwatari/koTaniwatari.html [コタニワタリ:関西の花・シダ・西宮]

 


一関市東山町長坂のフクジュソウ(福寿草) 2015年2月24日(火)

2015年02月25日 | 植物図鑑

2015年2月24日(火)、一関市東山町長坂字北山谷に居住する妻の友人を訪ねました。妻が友人と話をしている間に、私は付近を散策してみました。ネコヤナギとかフキノトウが見つかるかもしれないと思っていたのですが、見つけることができませんでした。妻の友人宅の庭でフクジュソウ(福寿草)が数株黄金色の花を咲かせていました。

フクジュソウ(福寿草) キンポウゲ科 フクジュソウ属 Adonis amurensis

ガンジツソウ(元日草)ともいう。旧暦の正月に黄金色の花が咲くので、めでたい名ができた。落葉樹林の下などに生える多年草。北国に多く、雪解けとともに芽を出して、直径3㎝ほどの花を咲かせる。花が終わる頃から、細かく切れ込んだ葉が伸びてくる。江戸時代には多くの園芸品種が生まれた。福寿海は最も普及している品種で、正月の鉢植えによく利用されている。分布:北海道~九州。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より] 

(上)栃の葉書房発行の「趣味の山野草」(2015年1月号)に福寿草が特集されています。その中に植物写真家・宮 誠而(みや・せいじ)氏の「ボタニカルフォトの世界~フクジュソウとミチノクフクジュソウ」と題したページに、大略次のようなことが記載されています。

ボタニカルフォトはデジタル写真技法を駆使して制作されたボタニカルアートで、2002年に宮 誠而が考案し、2004年国立科学博物館(東京上野)で展示会が開催された。肉筆では再現が困難であった植物の緻密な表現が可能になり、専門家の高い評価を得た。

藩政時代の資料によれば、福寿草の園芸品種はゆうに100を越えたといわれている。日本ではフクジュソウとミチノクフクジュソウ、キタミフクジュソウ、シコクフクジュソウの4種のフクジュソウが知られていて、この4種を栽培してみると、いろいろな事がわかってくる。

ミチノクフクジュソウは主に中部日本から九州に分布するもので、フクジュソウとは萼片の大きさや花色の違いがある。決定的に異なるのはそう果の数と大きさで、栽培比較すると一目瞭然である。これらの違いをボタニカルフォトで表現したものが上の画像である。(作品では、色の違いとそう果の違いが明瞭に確認できる。)フクジュソウの根が変わっていて、無数の堅く細い根の集合体で、光沢すらある。図鑑に掲載されていない違いを表現できるのも、この技法の面白さである。

 


一関市東山町の史跡「川底洞穴」&オニヤブソテツ(鬼藪蘇鉄) 2015年2月24日(火)

2015年02月25日 | 史跡、名所、

2015年2月24日(火)、一関市東山町長坂字北山谷に居住する妻の友人を訪ねました。妻が友人と話をしている間に、私は付近を散策してみました。一関地方は1カ月近くも雪が降っていないので、山にもほとんど雪は残っていませんでしたが、「春未だ早し」といったところでした。

北山谷から田河津字高金に行く県道沿いにある史跡「川底洞穴」付近には、オニヤブソテツ(鬼藪蘇鉄)が沢山生えていました。道路の片側は山谷川なので、ネコヤナギがあるのではないかと探しましたが、見つけることができませんでした。

オニヤブソテツ(鬼藪蘇鉄) オシダ科 ヤブソテツ属 Cyrtomium falcatum 

海岸近くに多い常緑性のシダ。石垣や崖などに生え、また庭にもよく植えられている。葉は長さ60㎝ほどの羽状複葉で、厚くて光沢がある。羽片は幅が広く、先が鎌のように曲がって、独特な形をしている。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]

http://matsue-hana.com/hana/oniyabusotetu.html [オニヤブソテツ(鬼藪蘇鉄):松江の花図鑑]

 http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_865.htm [オニヤブソテツ:四季の山野草]

http://kanon1001.web.fc2.com/foto_sida/K_osida/oni_yabu_sotetu/oni_yabu_sotetu.htm [オシダ科ヤブソテツ属オニヤブソテツ:かのんの樹木図鑑]