音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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「音楽家の〈欲〉について考えました」 ~ 3月26日(月)のつぶやき

2012年03月27日 | ◆一言◆
11:16 from Keitai Web  [ 7 RT ]ただ音符を弾いているだけでは、音楽になんかならない!音に意味や幻想が見出だせる時、やっと楽譜から音楽がたち現れる。そのために、知識を広め、想像力も磨き、手に体に馴染ませ、ゆえに時間をかける・・・これが音楽の練習でしょうか11:33 from Keitai Web  [ 4 RT ]演奏者の野心や名誉欲で音楽の幻想が色褪せてしまう・・・そんなことはあってはならないはず・・・11:37 from Keitai Web もしもそのような演奏者がいるのなら、その人は真には音楽家とはいえまい・・・12:26 from Keitai Web 昨日から練習しながら、それぞれの曲に対する自分の不出来が痛感され、それが「忙しいから」という理由によるものならなおさら悔しく思われるのです・・・「心を亡くして」音楽に向かい合っているのは、いけないと・・・12:30 from Keitai Web 歌曲に携わっている時にはなおさら、音楽する心の準備がより一層大事に感じられるようです。今日は内輪の会ではありますが、歌曲伴奏、しっかり務めを(伴奏者として、音楽家として!?)果たしたいです!12:39 from Keitai Web  [ 1 RT ]先程、野心や名誉欲で音楽をすることを糾弾してしまいましたが、落ち着いて考えてみると、それらの「欲」を完全に否定してもいけないとも思われました。ある程度の欲は、力になるはず。いけないのは、欲に溺れて音楽が見えず・感じず・分からずの場合かと。12:44 from Keitai Web なんだかちょっと分からなくなってきそうなのですが、「無欲になれ」と目指す教えがあり、しかし「無欲」は下手をすると「無力」と背中合わせにも思えます・・・ 生活に必要なくらいの「欲」を健全に保持しつつ、過剰な欲は無くすとよい、という感じでしょうか12:51 from Keitai Web 生きるために必要な(神が与えたもうた!?)欲、これを生理的欲と呼んでよいだろうか?例えば、食欲がなければ、力を失い生命活動が維持できなくなる・・・性欲がなければ、人類は増えてゆかず絶滅してしまう・・・ どちらも過剰はいけないけれど!12:54 from Keitai Web 「我執」という言葉があるそうですが、ここから発せられる欲望は、健全なものではなさそう・・・ (もしかすると人間ならではのもの!?)これをして「無欲になれ」という警句は大いに意味をもってくるということでしょうか!?13:07 from Keitai Web  [ 1 RT ]「生活しつつ、音楽する」 現代の孤高の女流ピアニストのマリア・ジョアオ・ピリスさんが、こういう目的を掲げて自宅でワークショップを行っていると聞いたことがあります。自分達で料理をし洗濯をし、そして音楽の勉強をするという。「生活」とはすなわち健全な欲の内に生を営むということ?13:15 from Keitai Web ピリスさんに何度かお会いしたことがありますが、小柄でベリーショートな髪型、屈託のない笑顔で迎えられ、雰囲気はまるで生き仏・阿弥陀如来!?と形容したくなるほどです。ご自身はきっと質素にだけど静かにパワフルに!?必要な欲を兼ね備えて生きていらっしゃるのかも!?23:32 from Keitai Web テレビを見ていたら、凄いのに廻り合いました。須藤元気氏プロデュース(?)「World Order」のロボットダンス・パフォーマンス、凄い技術、本当に面白く、素晴らしく感激してしまいました!!Youtubeで検索すると色々でてきます。by pianistGS on Twitter
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