DVDボックスの中の一本、「ジャンヌダルク裁判」を
観た。
これが多分4回目くらいだと思う。
一つの映画を複数回観るというのは、テレビで何度も
やっているのを、仕方なしにというか(他に観るのが
無く)、暇つぶしというか、そんなネガティブな理由
で観るケースが殆どではないだろうか。
本当に何度も観たいから、ということではないと思う。
中には、何度も見て、同じところで感動したいなんて
人もいるが(飽きを知らない人たち)。
いずれにしろ、「ネタバレ」という言葉が映画の中で
重要なキーワードになっているような人は、一回観れ
ば充分、といった観方になるのだと思うし、またそう
いう映画を好む。
映画をストーリー(筋)中心で見ると、そうなっても
致し方ない。
それがもし「衝撃のラスト」に関しての「ネタバレ」
であったら、衝撃を受けるのはそれこそ聞かされた本
人ということになる。
そんな「ネタバレ」とは対極の映画「ジャンヌ.ダルク
裁判」であるのだが、このDVDにはブレッソン本人
のインタビューのおまけが付いている。
ブレッソンは殆ど姿を晒さないので、これは貴重だ。
今回初めてその姿を見ることができた。
って、そんなことは映画とは関係なかった。
「ジャンヌ.ダルク裁判」である。
舞台は、ルーアンの裁判を受ける教会の中。
閉じ込められている部屋と、裁判を受ける部屋が全て
と言っても良い。
移動に関する動きというのはそれだけ。
「ジャンヌ」がそこを往復するだけで、一本の映画が
成立っている。
確かに、全体の動きというか変化は、乏しい。
しかも、ブレッソンの映画は全てそうだが、説明的な
シーンはないし、まして言葉による補足も一切無い。
そういう点は、非常に不親切とも言えるが、そこがま
た魅力でもあるのだ。
観る側が好きなように感じ取る、これが基本である。
解釈するな、観よ、ということではないだろうか。
たとえば、宣誓書に手錠に繋がれた両手を置くシーン
があるが、これが実に美しい。
まるで、なにか鳥が舞い降りてきたような動きである。
こういう部分のアップが、ブレッソンの特徴で、それ
が映画に生命を吹き込んでいるように感じる。
それにしても、その手の動きだ。
最後の場面、「ジャンヌ」が火刑にあって姿が消える
のだが(ここもちょっと判りにくい)、その時一羽の
鳩が飛び立つ。
その姿が、始めの手の動きと呼応してるかのように感
じられたのだが。
囚われの身が自由になって飛び立つ暗示的なシーン、
と収まりの良い解釈が可能なのだが、本当に、そんな
仕掛けをしたのだろうか。
その辺がどうにも気になる。
緊張感のある画面の中に動きを感じ、なんでもないよ
うな部分に美を感じさせるブレッソン、やはり何度も
観るべき映画であると言わざるを得ない。