それにしても、身に付ける競泳着によってタイムが変
わるというのでは、あまりに不公平な事態ではないか。
基本的に、スポーツの建前はフェアーな戦いなのでは
ないか、と言いたいところだが、すでに現実はそうなっ
てないことも多くの人が気づいていることだ。
しかし、そういう現実を見ないで(意識的に考えない
ようにして)、ロマン主義的な見方で成立っている今
のスポーツは、その時点ですでに多くの矛盾を抱えて
いるということになる。
それが、時々今回のように顕在化する。
幻想としてのスポーツの頂点は五輪という場である。
テレビ中心のマスコミの煽りが、特にそれを支えてい
ると思うが、今回のようにあからさまに見せ付けられ
ると、その幻想が瓦解するように思われるがどうなの
だろう。
そんな現実より、兎に角有利な競泳着を使ってメダル
を取れ、という気持ちの方が強いのか。
「同じ条件で正々堂々」というものこそロマン主義だ
と思うが、そういうものは、メダルの威力の前では無
力化されるようだ。
実際は、「正々堂々」と言っても見えないドーピング
もあるし、要するに何でもありなのが今のスポーツの
世界ということだ。
スポーツが商品価値を持った時点で、こういう事態は
不可避であったと思うが(以前はそれが名誉だった)、
それは、今の大相撲の世界にも言えることだ(商品価
値のある力士に屈する現状とか)。
しかし、どこも同じような構造を抱えているものだ。
結局これは、資本主義、経済至上主義の宿命だと思う
が、この先どこまで行くのだろうか。
それより、卑近なところでうんざりするのは「バレーボ
ール」中継だ。
テレビ局の入れ込みようが尋常ではないと思うが、こ
れもひとえに視聴率が良いからということなんだろう。
唯、中継は見なければ済むが、CMが頻繁に入りるか
ら見たくもないのに見せられてしまうのだ。
そんなに皆好きなんだろうか。
好きなんだろうね。
実力的には決まってるから、日本人の好きなメダルに
は遠いと思うが、本気でいけると思い応援するのが快
感なのか。
応援風景からして鬱陶しいが、これは余計なお世話と
いうものだった。
飽くまでも、見たくなければ見なければ、という話で
ある。
だから問題はCMなのだ。