ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ホワイトアルバム

2011年04月12日 | 音楽

 

音楽を能動的に聴くようになったのはビートルズから、つまり私的音楽のルーツはビートルズなのだが、レコード以外は持ってなくて、たまに聴きたくなっても聴けなかった。しかしそんな状態もとうとう変わることとなった。「THE BEATLES」通称ホワイトアルバムを買うことにしたのだ(中古で)。何故ホワイトアルバムかというと、どれか一枚選ぶとなると、やはりこれが一番だからだ。久しぶりのビートルズは懐かしさだけでなく、やはり今でも良いと思う。

で、三曲目に「glass onion」と言う曲があるのだが、これがどういう曲だったかずっと興味があった。曲とタイトルをきっちり覚えてないのは、ビートルズに限ったことではなくすべてに共通する傾向で、大体が、あのアルバムに入っていると言う程度の認識なのだ。そして「glass onion」に特に関心があった理由と言うのは、ある雑貨屋の店名がそういう名前で(この時点で、ある雑貨屋があるでなくなるが)、かつて何回か行った時いつもBGMがビートルズでずっとそれが気になっていたのだ。そして今回、その長年の疑問が解消された(というほど思ってもいないが)。聴いて見ると、これかあと思うくらいの、このアルバムの中では地味目なもので、また何故?という新たな疑問が浮かび上がるところだが、それほど執着することでもないと思い直し店じまい。日常の中のa little bitな取るに足らない好奇心でした。

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選挙

2011年04月11日 | Weblog

 

相変わらず近所のスーパーでは、牛乳が不足気味。離れたスーパーではそうでもないので、流通経路の違いでそうなってるのだろうが、茨城産も復活したようなので徐々に解消されるか。が、一々産地を気にして避ける消費者も多そうだ。

都知事は石原と、相変わらずの根強い人気でした。そんな中知り合いが市長選に立候補しているが、これがまた、ネガティブな噂ばかりが流布していて、とても当選しそうな雰囲気ではない。当人にその辺のところを聞いて見ると、自分でも分かっていて、あることないこと言われて困ってるとこぼしていた。確かに脇が甘いところがあり、悪いイメージで捉えられがちなタイプであることは事実だ。誰かが意図的に広めているんじゃなかろうか、と本人の弁だが、まずは見掛けで判断される。その印象があって、誰かが種の話(事実)をちょっと脚色して膨らませ他人に噂で流せば、それはどんどん成長し、元の話の数十倍になり全く違う話となって広まるのは代の常だ。基本的に、いい噂より悪い噂のほうが情報価値があるのは残念ながら事実である。要するに、良いものより悪いほうが皆好きなのである。今回の、原発風評被害も同じメカニズムだ。

そんなわけで、悪いイメージが固定化されてしまっている現在、現職に勝つ可能性はかなり低い。本人本当にやる気があるのなら、今回はしょうがないとして照準を次回に向けて、地道な姿を見せて一つ一つ信用させるしか方法はないだろう。理念に沿った一貫した行動が必要なのだと思う。何せちゃらちゃらしたイメージなもので。

 

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ファリナータ ソッカ

2011年04月10日 | 食べ物

 

「クチーナにし村」でシェフの話を聞いてると、リグーリアのファストフードに、「ファリナータ」という、ヒヨコマメを使ったお好み焼きのようなものがあることが分かった。確か、ニースにも同じようなものがあるとシェフが言うので、こちらも記憶の片隅にあるものを探った。何て言ったか、そうそう「ソッカ」じゃないかと思い出した。屋台なんかで売っていて、なかなか美味しいものだ(コートダジュールには行ったことはないので、この部分は想像)。地中海沿いで、国境を隔てても隣のようなところだから名前が違えど同じものがあるのだろう。ただ、ニースのソッカのほうが食べる人はより納得するのである。「ああそっか」と、なんてね。

食べたことないが、何だか美味そうで、俄然興味がわいてきた。材料はヒヨコマメの粉と水オリーブオイル塩だけというかなりシンプルなもの。そば粉のガレットよりも簡単そうである。豆好きとしてはこれは看過できない。しかし、ヒヨコマメの粉というのは聞いたことない。そんなの何処で売ってるのか、となればネットの出番。ちゃんとありました。ということで早速粉を注文。どんな味だろうか、楽しみどす。

写真は「クチーナにし村」のアンチョビ。タック通信に載せようと思ったが、何だか美味そうなのでお先に。

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見上げれば春

2011年04月09日 | Weblog

 

ふと見上げると、空に近いところから春はやってくる。こだまでしょうか、いいえ誰でも。何じゃそれ。

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tac通信Ⅱ

2011年04月08日 | Weblog

 

「タック通信」は、表紙が決まったまでは良いが、その後の内容の方が全く進んでいない。表紙のデザインを考えるのに力を使ったら、記事を書く気力がなくなってしまった結果なのだが、暖かくなってきたとともに徐々に書く気も出てきたようなので、ここで一気に進めたい。早速、「クチーナにし村」では、イタリア食材に関する取材(のようなもの)を敢行した。イタリアシリーズはここにまかせた。タイトルは「リグーリアの風」か「リグーリアから遠く離れて」か?とこれまた内容に行く前にタイトルをどうしようかと考えて、余計なエネルギーを浪費してしまうから前に進まなくなるのだ。タイトルは(仮)でいい。

記事の半分くらいは、食に関する内容で、残り半分は芸術関係やもろもろの文化に関するものにしようと思ってるのだが、考えてみたら、それぞれ担当するライターがまだきっちり決まっていなかった。ゲロゲロ少年Yには映画でも、と思いたいところだが、適度と言うものを知らないYにはなかなか任せきれない。如何にもな同人誌のようなものにはしたくないし、先は長そうだ。

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martinヤンマ

2011年04月07日 | 生き物 自然

 

やっと春らしいぽかぽか陽気の中、鯉の池のクリーナーの掃除。このところ、二週間に一回のペースだ。毎年のことだが、この時期はよくフィルターが詰まる。ヘドロが詰まったフィルターはずっしり重い。しかし今回は、寒くないだけありがたかった。更に、この良い天気に背中を押されノーマルタイヤの交換までやった。どちらも実に面倒くさい作業だが、やる気が高まった時にやらないといつになるか分からない。クリーナーの掃除で濡れた体は、タイヤ交換で乾き、正反合とバランスのとれた作業となった(な訳ない)。

その後、ビオトープに池の水を少し補充。定期的に補充しないと蒸発して干上がる恐れがある。自然の状態だと、雨水しかないのだ。気温が十度くらいになると、全く生き物の気配がなかったビオトープにもさまざまな動きが見られる。ミジンコが泳ぎ出し、イトミミズが底でゆらゆら。種類の分からないトビケラの幼虫が急に発生したり、わけの分からない線虫のようなものや、それまで一体何処にいたのかと思うほどいろんな生き物が姿を現す。生命の春とはよく言ったものである。

勿論、例のマルタンヤンマのヤゴ(推定)ももそもそ動くようになる。ところでこのマルタンヤンマという名だが、多くの人が変わった名と感じている(というほど多くの人が知ってる名前ではないが)。マルタン、確かにどういう意味だろうと不思議に感じる。ギンヤンマだったら銀色の部分があるとか、ウチワヤンマだったら尾の先が団扇状であるとか、外見の特徴を意味するものが一般的だ。ところがマルタンである。マルタン的とか聞いたことがないが、実はこれ人の名前だったのだ。フランス人の研究者の名前を付けたらしいのだ。ということは綴りで言えば多分martin。サン.マルタン(Saint Martin)のマルタンだ。聖人の名前でもあるマルタン、それを知ると更にこのヤンマに対する愛着が増すというものだ。これが英語読みのマーチンであったら、一転して軽くなるからこれまた不思議。マーチンヤンマ、ちょっとねえ。

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東京物語

2011年04月05日 | 映画

 

BSで「東京物語」をやっていたのでまた見てしまった。これで5回目くらいだろうか。それにしても見る度に、原節子には泣かされる。実の子供の現金さとは対照的な、戦死した息子の元嫁の優しさにほろっとさせられるのだ。ただ、この映画、そんな情緒的な世界を描いているからだけで良いという訳ではない。

戦後の家族崩壊(今で言えば無縁社会の到来)を予見しているという点については、細部に全てが宿るという小津監督の製作姿勢でがあれば自ずとそういうことになると思う。それなりのセンスがあっての話であることは言わずもがな(それが一番重要な点だが)。そしてこの映画の欠かせない魅力は(他の小津作品にも共通)、「単なる風景」の力強さだろう。普通の港に船が動く風景、蒸気機関車が走る姿、唯の路地、煙突がある風景、或いは海岸に佇む老夫婦の姿、何故これほどそれらが魅力的なのだろう。ふっと訪れる沈黙の時間、間、或いは余韻の美学とでも言おうか。そこに少々の情緒を加え、全体的に傑作映画として成り立っている。

筋書きを追うというのは、物語を読むときには当然の正しい態度だと思うが、「東京物語」の場合、物語と言う名前がついているがそんな一般的な意味の物語とは大分遠いところにある。そこが、この映画が良いと思うかそうでないと思うかの分かれ道である。

 

 

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酒の味

2011年04月04日 | 食べ物

 

昨日、10年物の紹興酒をちょっと味見したが、香りは殆どシェリー酒で、味についてはそもそも他の紹興酒を知らないので何とも言いようがなかった。正直美味いとは思えなかった。温めて飲んでいた中国駐在経験者は、これがいいんだと言いながら飲んでたので、現地の標準的な味だったのだろう。中華料理に合うんだよね、と言って乾きものの柿ピーをつまんでいた。

その紹興酒の後に、地物の日本酒を飲んだ別の人間は、「いやに薄いなあ、この日本酒ちょっとおかしいんじゃないか」と言っていたが、10年物の紹興酒の後に飲んだらどんな日本酒も薄く感じることだろう。その日本酒も味見して見たが、しっかり標準的な日本酒の味だった。要するに美味くもなく特別不味くもなくという味だ。白ワインだったら前日開けたちょっと酸化気味というやつで、店内室内に放ったらかしの日本酒にはよくある味ではないだろうか、と日本酒も同じく良く知らないのだが勝手に想像して解説しておいた。我ながら、適当なものであった。

 

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自粛ムード

2011年04月03日 | Weblog

 

レッサーパンダは見たことあるが、ジャイアントパンダは見たことがない。これからも見たいとは思わないが、世の中見たい人は多いのだろう。並んでまでして見るか?とつい思ってしまうが、これは完全に余計なお世話。そうまでして見たいのだからしょうがない。ところで、同じ上野のお花見、すっかり自粛ムードになってしまってるようだが、こういうのはどうなのだろうか。気分的にそうなれないというのは仕方がないが、世の中自粛ムードだからと言う理由であるなら、普段どおりすればいいと思う(その分義援金に回すのなら別だが)。多分、この状況下にお気楽にお花見か、という周りからの視線が気になるのだろうが、いつまでも沈滞ムードに浸ってるのも経済的に良くない。重要なのは、ショックで記憶が鮮明なこの時期だけではなく、これからの方が遥かに長いのだから、ずっと忘れずにいることだろう。

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勇気。感動。

2011年04月02日 | Weblog

 

プロスポーツ界に大流行の「勇気と感動を与えるため」というお決まりのフレーズ、どうしても自分に対するExcuseにしか聞こえない。平穏な暮らしがあっての一娯楽、実際それ以上のものがあるのかどうか。更に、そんな状況下での大相撲の八百長問題。基本的にはどうでもいいのだが、偉そうな親方連中の姿を見ていると(特権化された大相撲)、消滅した方がいいのではと思ってしまう。存続させたいのなら、大衆演劇と同じ扱いにすればいい(元々年寄り好みなのだから)。そしたら八百長問題も霧消する。

 

 

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アバターハウス

2011年04月01日 | トマソン

 

昨日の続き。

途中、知り合いに遭遇。今や、絶滅寸前の町の八百屋さんだ。ご他聞に漏れず年寄りが多くなっているので、地域では本当に喜ばれている。「俺もこの年になって地域に貢献するようになるなんて」と主人の一言。時代によって店の価値と言うのも変わるんだね。これからも頑張って続けてほしい。と、ふと斜め向かいの建物の壁に目をやると、そこには「Gタイプが」。店の主人は元々セミプロのカメラマンで、トマソンのことも知っているのだが、こちらが指摘して初めて気がついた。このように、これらの物件達は人知れずひっそりと存在しているのである。

 

 

そうだ、ここに来る前に一つ異色物件があった。「Gタイプ」ではなく、ガムをこすりつけたような..取り合えず「アバターハウス」とでも命名しておこう。

 

 

八百屋さんを後にして旧道を進む。新しい家が多くなって見るべきものが少なくなるのが残念である。そんな中、古い家にこんなものが。年代ものの「Gタイプ」か。すでに廃屋なので、消えるのは時間の問題。祇園精舎の鐘の声が聞こえたような...

 

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