スタンフォード大学神経内科Steinmanが,再発寛解型多発性硬化症(RRMS)におけるnatalizumab trialに関して,Lancetに投稿したレターを一言で表現すれば,「だれを何のために治療するのか?」という問いかけと言える.これはどういうことか理解するために,まず彼が例として示したMS患者について理解する必要がある.
コロラド出身のこの女性は,42歳時にRRMSと診断された.その根拠は間隔をおいて神経症状(頭痛+α)が出現したことと,MRI上,白質に異常信号を認めたことであった.IFN1αにて治療を受けた後,natalizumabによる治験SENTINELにエントリーした(この時,神経所見はなかった).その後,彼女は不幸にして,PML発症者3人のうちの1人となり,46歳で死亡した.剖検では,MSを示唆する所見はなく,また全経過を通して,髄液やGd造影MRIにおいて,中枢神経における炎症を示唆する所見もなかった.Steinmanによれば,RRMSというより「むしろ片頭痛に脳梗塞を合併していたと考えたほうがよい」症例であった.
Steinmanが指摘するこの治験の問題点として,まず,エントリーした患者の診断の不確かさが挙げられる.MSは中枢神経における慢性炎症性脱髄疾患であるが,中枢神経の炎症や脱髄の存在を的確に評価する方法は今なお存在しない.よって学生時代から繰り返し教えられた「時間的・空間的多発性」を拠り所として診断するわけである.しかし考えてみれば,その定義はかなり曖昧で,MSでなくても「時間的・空間的多発性」は起こりうる.よって正しい診断のためには,MSに対する専門的知識が必要となる.もちろん,MSの診断やその病態の理解はどんどん進歩しているという意見もあるかもしれない.しかし,その方向性は診断のspecificityを向上させるより,sensitivityを向上させ,その疾患概念を拡張する方向に向いている.例えば2001年のMcDonald基準を例にとっても,2ヶ所以上の病変を証明する客観的な証拠のある場合,1回の発作でもMSと診断できることになっている.
さらにnatalizumab studyで問題になっているのは,診断する医師側の問題だ.専門医でさえ,診断の難しいMSだが,このレターによれば,治験エントリー時の診断は,MSの専門家でも,神経内科医でもない,一般の開業医よってなされることが少なくなかったそうである.
では診断の不確かさは何をもたらすのか?すぐに頭に浮かぶのは,MS以外の患者が混入し,
①その患者に利益はないばかりか,副作用というリスクをもたらすこと,
②治験から得られたデータの信憑性が損なわれること,である.
診断の不確かさに加えて大きな問題となるのは,その患者さんが治療を受ける必要があるのか,ということである.例えば,上記の女性は治験開始時,神経学的に異常を認めなかった.この女性に「2~3年に1回の再発を減らすために治療を行う必要が本当にあったのか?」とSteinmanは問いかける.Steinmanによれば,この10年間でMSの治験の際のinclusion criteriaはどんどん緩やかになってきているそうだ.その背景には医者のMSに対する考えかたが以下のように変わってきたことが影響していると考察している.
① ほとんどのMS患者は,将来的には重度の障害を伴うようになり,予後不良の転帰を取る
② 治療をはやく始めれば,予後は良い
これらの考えは,「どんな患者も早期から治療する」という意味で,製薬会社を儲けさせることにはつながるだろう.しかし,MSの自然歴について我々が十分な知識を持っているわけではない.またRRMSに対し,積極的に治療介入することが,長期的にも,短期的にも障害を抑制するのかも分かっていない.もちろんMSの15%程度といわれるprimary progressive MSは,予後不良である.しかしながらRRMSは緩徐進行性であり,生命予後まで損なわれることは一般的ではない.さまざまなMSの自然歴に関する研究が報告されているが,そのほとんどにはバイアスが存在する(例えば,PPMSの割合が高い,retrospective studyであるなど).唯一,前向き研究で,25年間(!)経過観察したpopulation-based studyが存在するが,それによれば,杖つき歩行以上に高度の障害を呈した患者はわずか43%であった(Brain 1993:116, 117-134).まして近年の,よりsensitivityを高くし,軽症者を含むと考えられる診断基準では,将来,重度の障害を呈さない患者の割合は増加するものと考えられる.
そして最後にSteinmanが強調しているのは,安全性が確立していない薬剤の治験では,信頼性の高い予後因子を用いて,その患者の予後を推定した上で,エントリーするべきか考えようということである.治験によって得られる利益が危険を上回る患者にのみ,ゴーサインを出すべきだということだ.現在,MSに対し,エビデンスのある予後因子としては
① 発作後の回復が不完全であること
② 発症後2-5年の短期間に障害が蓄積すること
が挙げられる.本来,natalizumabのような安全性に問題を抱える薬剤は,神経学的に正常,もしくは正常に近い人はまず除外し,将来,重度の神経障害を呈すると予測される患者(神経所見が軽くない患者,短期間の経過で明らかな神経障害が進行している患者)にのみ行うべきだと主張している.今回のstudyでは,重症度に関しては,EDSS 0-5という患者に限定した(EDSSはmax 10).つまり,Steinmanの主張とは逆に,むしろ軽症の患者を対象にしている.すなわち,今の基準のまま治験が再開されれば,誤診された患者や予後の良い患者が,またPMLに罹患する可能性がある.これを懸念して,Steinmanはレターを書き,そして,LancetもFDA諮問委員会開催の数日前という絶妙のタイミングでこのレターを掲載した.そういう事情で,このレターを初めて読んだときに,個人的に非常に驚いたし,たぶんFDAの委員会の結果にも影響を与えるだろうと想像した.
さて,問題の諮問委員会は3月8日に行われ,何とnatalizumabの再販が満場一致で支持された.3例以外にPMLの存在が見られなかったことと,今後,治療後の経過観察を厳しく行うシステムを作ったことが決め手になったようだ.Steinmanの声は届かなかったが,「だれを何のために治療するのか?」という問題提起は,今後の治験のあり方に非常に大きな影響を与えるのではないかと思った.
Lancet 376; 708-710, 2006
筋強直性ジストロフィー患者でブログをやっているみぃと申します。
ネットで様々な情報を検索していてこちらにたどり着き、非常に専門的なお話しも多いので素人のワタシには難しいのですが、神経内科のいろいろなお話しをじっくり読ませていただきたくて、リンクさせていただきました。もし不都合があればお知らせください。