昨日は7月23日。
1982年のこの日は夕方から土砂降りになり、発達した雨雲によりいわゆる「長崎大水害」となりました。
あちこちの当時の様子はネット上にも出ているかもしれませんが、当時の写真が出てきましたので、
当店の様子を簡単に記録しておきたいと思います。
当店の前の道路は「暗渠 あんきょ」となっていて、つまりは道の下には川が流れています。
その川が暗渠の中で氾濫を起こし、当店の数十メートル上で道路をめくれ上がり、地上に溢れてきたのです。
そのせいで道路が壊れどんどん、どんどん、どんどん水が押し寄せました。
そしてこんな状態となりました。(水害発生は7/23だが、写真は7/26)
道幅は現在よりもかなり狭いです。(右側が当店)
川の位置、カーブの関係もあり、当店の反対側にゴミが寄ってしまっています。
当店はウィンドーガラスも割れ、70~80㎝位浸水しました。
中では家族みんな大慌て!!!
翌日くらいにいったん水の退き際に撮った写真。
まだまだ水は流れています。
この洪水で車が1台流され、亡くなった命も。
当店の上の方から見た画像。(黄色っぽい旗のあたりがお店)
ついでに、あまりのことに佇む当時の私。(笑)
1時間当たり180mlを超え、ひと晩で600mlを超えるというとんでもない雨量!
死者、不明者299人という大災害となりました。
もちろん長崎市内各地で大氾濫&大混乱。救助の車さえ走れません。
もう自分たちで何とかするしかなかったのです。
亡くなった方やギリギリ危機を脱した方・・・いろいろです。
不幸中の幸いですが、私の家族に怪我人も出ず、その後いろんな方々のご支援を受けながら何とか復旧しましたが、
今となってはとんでもないショッキングな思い出です。
ただしその後、当店はワインセラーを導入、設置(もうこんな水害は来ないだろうと)、そしてぼちぼちと
全く売れもしないワインの販売へと方向性を位置付けたのでした。
大きな当店の危機は実はその前にもあって、私が生まれる以前です。
アメリカの原爆で何とかやられなかったことですね。雲の切れ間から原爆が落ちた場所が松山町だったこと。
もちろん当店にも爆風は吹いて、窓ガラスは割れたと聞いています。
雲間のたまたまのせいで、これが当初の投下予定の場所だったら多分当店はなく、私自身も生まれていません。
いろんな要因といろんな偶然、いろんな結果が現在を作っています。
戦争は人が作り出すので罪ですが、自然災害はどうしようもないものです。
こうして7/23のこの日、そして原爆の日8/9を心に刻んで、毎年思いを馳せています。
ここ数日は東京でもゲリラ豪雨や竜巻のの被害が出ています。
あれからもう42年ですか、そうですか。
そう言えばこの状態でも配達出来ますか?とかお客さんから注文来てました。(笑)
独特の匂いが消えないので、ドア開けた瞬間にわかるのですが、仕入れ担当がアホで数台掴まされてましたが、そのまままたオークション行きで、ババ抜きのババのごとく数年流れていました。
側から見てて、車も可愛そうだけど、当事者はどれほど大変だったろうかと想像していました。