こんなところへ行きました。
穴です。
防空壕です。「無窮洞」(むきゅうどう)と言います。
(旧宮村国民学校地下教室とも言うらしい)
掘ったのは中学生ですよ。
1943年から終戦の日まで2年間掘り続けられました。
こんな看板がありました。(クリックしてみてね)
今日の写真はわざとでかくしてあります。
読めますか?
んー・・・何とか読んでみてください。
読みましたら、中へ入りますよ。
中はこんな感じです。(下の写真を、写真1とします。クリック!)
ワオーーー!!!
よく中学生だけで、これだけ掘ったものです。
上の写真、<写真1>の右側に昔の様子があります。
やらせでなく本当の光景だそうです。
なぜこんな大きな穴が掘れたのか?
その訳はこれ。
「火山灰が固まって固い小石となり・・・」ってことだそうです。
削りやすく、しかもしっかりしていて崩れない岩だったのですね。
(通常の砂岩よりはかなりしっかりとした硬度でした)
男子がツルハシや鍬で、女子はノミで整形をしました。
その痕は今でもしっかりと、無数に刻んで残っています。
<写真1>の左側の壁は、
こんな感じで、水飲み場や明り棚が設置されています。
<写真1>で分かるのですが、地下水がポタポタと落ちないように、
屋根はアーチ型の形状、地面は水の流れる溝も掘ってあります。
水があるせいか、カニさんもたくさんいました。
しかもこのデザインは、きっと建築に長けた指導者がいたのでしょう。
<写真1>の正面は教壇があります。
こーんな感じです。
いいですか、先生は宣誓します!
もうこんなことを、しないでもいい世の中をきっとみんなで創ります!
なーんてね。
ワインのラリラリ先生なら、「ブドウの樹はこれくらいの高さまで
伸ばしますぞ!」とか、「これくらいのナビュコドノゾールのボトル
(15リットル入り)を飲んだのだよ、スゲーだろ~!」とか、もう
訳の分からないことばかり言うかもしれません。
さて、またもや<写真1>の教壇の右側には通路があり、
部屋もあって、その先こんな感じです。
ここを抜けると、右回り(時計回り)に洞窟は続きます。
非常時にご飯も炊けるようにかまどを、そして空気の循環と、非常口
(柵から登るって上の山に出る)も作られています。
ぐるっと右回りをしながら、入口へと続く通路が出来ています。
よく作ったな~と思います。作らなければならなかった、という
状況も悲しいですね。
ホントに中学生だけで掘ったのかと思えば涙ものです。
年末年始以外の午前9時から午後5時まで見学でき、駐車場も
ありますので、一度ご覧ください。
宮地区公民館/無窮洞顕彰保存会 0956-59-2676 までどうぞ。
だいたいは案内人の方が入口にいらっしゃって案内していただけますよ。
料金は無料で、寄付箱だけがあります。10円でも100円でもお気持ち
だけ入れればOKでしょう。
結構ひんやりと(夏はいいですよ)、そしてジーンとします。