前日の書きました安保地区の海岸から海上700mあたりに見える
ちょっとした岩?と言いますか、瀬と言いますか・・・・・
ふたつコブのように見える岩と、その右側の方にある岩。
これは本来はつながっていて、「横島」という島がありました。
昭和40年(1965年)頃、突然海に沈んでしまった島です。
かつては炭坑があり、700人ほどの人口があり、病院や
学校も建てられたほどの島でしたが、今やこれです。
横島炭鉱の歴史ですが、
1892年(明治25年)鉱脈が発見され、三菱が経営。
しかし断層があり掘り進めず、1902年(明治35年)、わずか
10年で廃坑しました。
横島は、東西330m、南北61mの大きさだったらしい。
島を支えていた石垣は取りはずされて、端島(軍艦島)に運ばれた
との話もあるようです。
その形も浸食されて変わっているでしょう。
当時の横島の写真です。(香焼の公園の壁に貼ってあります)
哀愁ですね。
見境なく石炭の出るところは掘られていたのでしょうか。
近代化産業の始まりにはこんな歴史がありました。
現在の技術で石炭を液体化して石油のように使うことが出来たなら、
もう一度炭坑も甦り、中東に資源を依存しなくても産業が成り立つ
のですが、誰もそんなことを考えないってことは、やはり無理なの
でしょうね。
炭坑のお話はここまで。
明日からはまたワインバカです。
でも怪しいものは好き・・・・・なのでまた書きます。
ちょっとした岩?と言いますか、瀬と言いますか・・・・・
ふたつコブのように見える岩と、その右側の方にある岩。
これは本来はつながっていて、「横島」という島がありました。
昭和40年(1965年)頃、突然海に沈んでしまった島です。
かつては炭坑があり、700人ほどの人口があり、病院や
学校も建てられたほどの島でしたが、今やこれです。
横島炭鉱の歴史ですが、
1892年(明治25年)鉱脈が発見され、三菱が経営。
しかし断層があり掘り進めず、1902年(明治35年)、わずか
10年で廃坑しました。
横島は、東西330m、南北61mの大きさだったらしい。
島を支えていた石垣は取りはずされて、端島(軍艦島)に運ばれた
との話もあるようです。
その形も浸食されて変わっているでしょう。
当時の横島の写真です。(香焼の公園の壁に貼ってあります)
哀愁ですね。
見境なく石炭の出るところは掘られていたのでしょうか。
近代化産業の始まりにはこんな歴史がありました。
現在の技術で石炭を液体化して石油のように使うことが出来たなら、
もう一度炭坑も甦り、中東に資源を依存しなくても産業が成り立つ
のですが、誰もそんなことを考えないってことは、やはり無理なの
でしょうね。
炭坑のお話はここまで。
明日からはまたワインバカです。
でも怪しいものは好き・・・・・なのでまた書きます。