長崎市牧島町、そう「島」です。現在は橋も架かっています。
かつてこのブログで書いたこともあるのですが、ずっと気になっていることが
ありました。この島にかつてあった特攻ボート「震洋」の基地跡を訪れることです。
巷では「永遠のゼロ」を書いた某氏の「人間のクズ」発言で揺れております。
まあ、他人を(この場合は選挙での候補者たちだった)クズと言って貶める
ことでしか自分の意見を言えないような論法はとても幼稚ですね。悲しいです。
(レイシストやいじめる側の心理状態じゃないかな。いじめっ子だったのかも?)
さて、懸案となっていた牧島調査ですが、まずは1年ほど前の?(この時はご不在で
会えませんでした)事前調査でこの件に詳しいという島民のYさんへ突撃インタ
ヴューを試みました。
するとYさんは当時(昭和20年)11歳だったらしく、いろいろとお話を聞けました。
「おいは1から10まで知っといよ」という言葉で始まりましたが、やはり子供
だったためか、実際のデータとは違う部分もありました。
当時はYさんも特攻に憧れていたらしく、特攻兵をカッコイイと感じていたようです。
さて、その跡地は私の予想通り、想定した場所でした。
ただ、藪に囲まれていて行くのも結構大変そうでしたが、この際思い切って
挑戦してみることに。
対岸から見るとこんな感じ。
この海沿いにいくつも震洋を格納する壕があったそうです。
ぐるっと回って行ってみます。
途中藪ばかりあって、そりゃもう大変でした。
ヒーヒー言いながら、がんばって藪を抜け、海岸へ出ました。
この海岸沿いに壕があるはずなのですが・・・・・
もう入れんって。
しっかりとした地盤のところを掘っているわけでもなく、長い年月の間に、崩れ
たり、埋もれたりしているようです。
結構歩いて回りましたが、また藪に入るのはごめんなさいということです。
途中、崩れた木造物を発見。
でもなあ・・・。
そしてY氏からの情報で、本土から架かっている橋のたもとには魚雷艇の
基地もあったとのこと。
拡大してみましょう。
このあたりとなるはずです。
ちなみに、昔の橋と現在の新しい橋はこんな感じになっております。
特攻の「震洋」はベニヤ板を組み合わせた安っぽい木製ボートで、爆弾や魚雷を
積んで特攻するのですが、片や「魚雷艇」は小型のちゃんとした金属ボート、と
いうか、れっきとした艦船です。そして魚雷を発射できるものです。
同じ魚雷(爆弾)を打つのですが、この差は何よ???
「回天」もそうですが、人を舵にしか見立てられない作戦や命令を誇る気には
なりませんよね。予科練や軍に入隊した時点から、命ぜられるがまま、機械の
ようになって、考えること、人間であることを放棄し、軍の言いなり、爆弾の舵
とならざるを得なかった忌まわしい戦争と国家主義。
それを美学にしたい人達はいるのでしょうが、特攻という行為をやらざる
を得ないという状況ではすでに勝負がついているということです。悲しいよね。
まず、制空権を握った時点で戦争は圧倒的勝利です。
余計な犠牲は強いることなく、制空権を失った時点で降伏できていたら、と
思います。しかし当時はそんな論理は通用しなかったのでしょう。
それすら正当性を得られない状況って極めて異常だったと思います。
これは決して過去のこと、人ごと、というわけでなく、自分や身近な人に
置き換えた時、溢れる恐怖と悲しみは尋常ではないでしょう。
悲しみは海にあふれているのでしょうが、それでも青く光り、波はたゆたいます。
何に向かって若者は死なねばならなかったのか、国家の中枢ではどれだけの国民を
見殺しにしたことでしょうか。悲壮な歴史を感じながら海を見つめます。
かつてこのブログで書いたこともあるのですが、ずっと気になっていることが
ありました。この島にかつてあった特攻ボート「震洋」の基地跡を訪れることです。
巷では「永遠のゼロ」を書いた某氏の「人間のクズ」発言で揺れております。
まあ、他人を(この場合は選挙での候補者たちだった)クズと言って貶める
ことでしか自分の意見を言えないような論法はとても幼稚ですね。悲しいです。
(レイシストやいじめる側の心理状態じゃないかな。いじめっ子だったのかも?)
さて、懸案となっていた牧島調査ですが、まずは1年ほど前の?(この時はご不在で
会えませんでした)事前調査でこの件に詳しいという島民のYさんへ突撃インタ
ヴューを試みました。
するとYさんは当時(昭和20年)11歳だったらしく、いろいろとお話を聞けました。
「おいは1から10まで知っといよ」という言葉で始まりましたが、やはり子供
だったためか、実際のデータとは違う部分もありました。
当時はYさんも特攻に憧れていたらしく、特攻兵をカッコイイと感じていたようです。
さて、その跡地は私の予想通り、想定した場所でした。
ただ、藪に囲まれていて行くのも結構大変そうでしたが、この際思い切って
挑戦してみることに。
対岸から見るとこんな感じ。
この海沿いにいくつも震洋を格納する壕があったそうです。
ぐるっと回って行ってみます。
途中藪ばかりあって、そりゃもう大変でした。
ヒーヒー言いながら、がんばって藪を抜け、海岸へ出ました。
この海岸沿いに壕があるはずなのですが・・・・・
もう入れんって。
しっかりとした地盤のところを掘っているわけでもなく、長い年月の間に、崩れ
たり、埋もれたりしているようです。
結構歩いて回りましたが、また藪に入るのはごめんなさいということです。
途中、崩れた木造物を発見。
でもなあ・・・。
そしてY氏からの情報で、本土から架かっている橋のたもとには魚雷艇の
基地もあったとのこと。
拡大してみましょう。
このあたりとなるはずです。
ちなみに、昔の橋と現在の新しい橋はこんな感じになっております。
特攻の「震洋」はベニヤ板を組み合わせた安っぽい木製ボートで、爆弾や魚雷を
積んで特攻するのですが、片や「魚雷艇」は小型のちゃんとした金属ボート、と
いうか、れっきとした艦船です。そして魚雷を発射できるものです。
同じ魚雷(爆弾)を打つのですが、この差は何よ???
「回天」もそうですが、人を舵にしか見立てられない作戦や命令を誇る気には
なりませんよね。予科練や軍に入隊した時点から、命ぜられるがまま、機械の
ようになって、考えること、人間であることを放棄し、軍の言いなり、爆弾の舵
とならざるを得なかった忌まわしい戦争と国家主義。
それを美学にしたい人達はいるのでしょうが、特攻という行為をやらざる
を得ないという状況ではすでに勝負がついているということです。悲しいよね。
まず、制空権を握った時点で戦争は圧倒的勝利です。
余計な犠牲は強いることなく、制空権を失った時点で降伏できていたら、と
思います。しかし当時はそんな論理は通用しなかったのでしょう。
それすら正当性を得られない状況って極めて異常だったと思います。
これは決して過去のこと、人ごと、というわけでなく、自分や身近な人に
置き換えた時、溢れる恐怖と悲しみは尋常ではないでしょう。
悲しみは海にあふれているのでしょうが、それでも青く光り、波はたゆたいます。
何に向かって若者は死なねばならなかったのか、国家の中枢ではどれだけの国民を
見殺しにしたことでしょうか。悲壮な歴史を感じながら海を見つめます。