昨日の宴会の中で飲んだのワインがこれです。
1983 エシェゾー(デュジャック)
(仏、ブルゴーニュ、ピノ種、赤、価格は???)
何でもとある方の鎌倉のご実家を引越しのため荷物整理中に、納屋に保管されて
あったらしいワイン。当然のごとく温度管理もなし。
しかもこの日に開けるとは思わない不意打ちの状態でした。
ワインマニアならこのボトルを発見すると飛び上がるのは間違いありませんが、
私は出会えただけでも感謝の念でいっぱいです。
28年ものでコルクは弱ってはいましたが、割れはしたものの無事抜栓。
注ぐと濁りが強い。
本来なら数日前に、少なくとも1、2日前には会場に持ち込んで立てておき、オリや
沈殿物を沈めて、澄んだ状態で頂くのだけど、(ワインに敬意を持って)このボト
ルの経緯を思うに、この状態でここへたどり着いたことすべてがきっと運命なのです。
香りは土壁(赤とか黒ではなく黄土色っぽい)、キノコ、革、ブランボワーズなど。
味わいは枯れてはいますが、背筋をしゃんと伸ばしていたであろう老婆を思わせ
る果実味。酸っぱいですが、その中にちゃんと蜜がありました。
開栓直後、私のテイスティングを皆様が見ておられましたが、思わず笑みがこぼれ
ました。それはまず、もともと持っていたであろう活力を感じたからです。
そしてこのワインに巡り合えたこと、枯れてはいるものの、その芯の部分に未だに
正統派の持つ凛とした風味を発見できたからに違いありません。
このワインを「終わっている」と片付けることは簡単です。
きっといく年もの時間、温度と湿度と戦いながら、揺られながら、それでもそれでも
この場でたまたま味わえたことは二度と起こり得ない一期一会なのです。
若くて品質の安定感のあるワインだと、ここまで感じ入ることはありません。
断末魔の喘ぎと言われようが、ミイラの美学と言われようが、古酒の醍醐味です。
この年1983年への思いや、発掘された鎌倉への思い、その後ワインと自分の成長に
思いを馳せたり・・・・・と、これでいいじゃありませんか。
年が明けたら、ぜひともブルゴーニュのワイン会をやりたくなりました。
まだ健全でポテンシャルを内に秘めるブルゴーニュのワイン、ある程度飲み頃に
なったブルゴーニュ、そして枯れてゆくブルゴーニュ・・・などなど時間軸を
読み取れるような企画。(縦といいます)
はたまた同じ年や同じ造り手でも畑の場所での違いを味わう企画。(横といいます)
などなど提案していきたいと思います。