(↑散歩途中の蝶々2種。一方のアゲハ蝶の様なのは、どうみても「アカボシゴマダラ」。害蝶です。ずいぶん美味しそうに口吻伸ばして吸ってましたけど、何なんだろう・・・。もしかして糞だったりして・・・・。それだったら、ごめんなさい・・・)
第二次世界大戦下、
軍部の統制力が強くなり、
国策落語と言われる落語が多く作られた。
これは思想動員の一つであって、
落語本来の権威筋を笑い飛ばすようなものとは真反対の、
国策を褒め称える内容のものだった。
一方で禁演とされた落語も多くあり、
お上に逆らえなかった落語家たちの当時の無念が見て取れる・・・。
2020年8月15日の朝日新聞・「天声人語」の前半のわたし的要約ですが、
戦中のこの落語界の統制・忖度を取り上げて、
終戦75年目の今年と重ねているのが、今回の天声人語の主張点。
最後の3文。
「権力の側が「要請」という名の巧妙な圧力をかけ、国民の側はじわじわと「自粛」の連鎖に追い込まれる。危うい構図は戦中もいまも変わらない」
「落語界に限らず、教育や文化、報道までが挙国一致の大波にのみ込まれた愚を繰り返してはならないと誓う」
このまとめを読んで、口火を切ったのは夫。
「これっておかしくない?」
最初何気なく夫の読むのを聞き、
「戦中もいまもかわらない」というところが頭に残り、
「何がおかしいの?」と聞き返したわたし。
でも、
じっくりもう一度読み直し、書き写しをしてみましたら・・・。
???
第二次大戦下の自粛は、しなくていい自粛。
国家が戦争に突き進むために、強制的に国民を追い込んだ自粛だった。
でも今回の自粛は、
基本、
新型コロナウィルスの脅威から少しでも逃れるための具体的自衛手段としての自粛。
思想・信条的な統制の問題でもなく、
「東日本大震災」での自粛の様な心情的な問題でもない。
具体的な理由があっての自粛。
この点を同じものと見てしまうって、どういうこと??
わたしたちが学生の頃、
見識の深さから深代惇郎の「天声人語」は名文と称されていました。
いつぞやから、
内容が面白くなくなっていきましたが、
今回の論点のずれは如何なものでしょうか。
「天声人語」の書き写しは、
今も学生さんの間で行われていること。
最近はそれ専用のノートさえあります。
わたしも『方丈記』の書き写しが終わり、
今度は「天声人語」でも書き写そうかと思っていた矢先のこと。
こういう文章を読んでしまうと、
名文だから書き写し、文章の勉強をするというよりは、
文章の良し悪しを見極める勉強のために書き写しをすることになるのかなと思いました。
とても残念です。
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