デビット・エプスティーン(「スポーツの遺伝子」の著者)さんのお話しの続きというか雑感
スポーツの分野で遺伝子に関する研究が始まったのはずいぶん前のようです。
1970年代には始まっていたような気がします。
大学生当時の新聞で読んだのでうろ覚えですが、
モントリオール・オリンピックのボート競技で日本艇が審判艇に抜かれるという屈辱を味わい、危機感からJOCか体協による研究がスタート
※ボート競技では審判艇は競技者を抜いてはいけないことになっているそうですが、遅すぎる日本艇を抜かないと正しいジャッジができないと判断され抜かれたらしいです。
そこでは生物の遺伝子がどのように優劣につながるのかを研究したと記憶
その結果、日本人に金メダルの適正があるのは
射撃
アーチェリー
などの集中力が求められる競技のみという結論だったような?
当時、高い競技力を持っていたバレーボールなどは、やがて競技力が低下するとされ、ワールドカップに一度も出ていなかったサッカーにいたっては日系ブラジル人を帰化させるといった策が競技力向上には必要とあったような・・・
ある意味、当時の研究は当たっているようで当たっていないような?
女子バレーは創意工夫と戦術で見事に復活を果たしたし、サッカーはそこそこいけています。
ちなみに、ボート競技も屈辱から立ち直り、2000年代には世界選手権で決勝に進出するまでになったようです。
研究結果は、ほかに強化の前提は競技人口だと書かれていたように記憶
デビット・エプスティーンの話と一致しますね。
素質を持った若者をピンポイントで効率よく強化できるのは偶然であって、能力・質を保証するのは競技人口であると
つまり、金メダリストを養成しようとした場合、
1万人の児童から選抜して強化しようとするチーム(国)と、
10万人から養成しようとするチーム(国)があった場合、
10万人から選抜された者が高い能力を持つことは明らかという結果だったとおもいます。
つまり、当時は一部でのみ力を発揮していた中国が今後はあらゆる競技で他を凌駕するだろうと推測していました。
こちらもある程度当たっていますね。
しかし、スポーツの面白さは、勝って当然の者が勝つことではなく、ハンディを持つ者が逆境を跳ね返して勝つといった点にあると思うのは私だけではないですよね
明日書くつもりでしたが、デビット・エプスティーンさんのプレゼンの続きを書いちゃいます。
メンタル面の変化について、
ウルトラトレイル・デュ・モンブランを三度制覇した「キリアン・ジョルネ」を例に説明しています。
キリアン・ジョルネがマッターホルンで標高差2400mを3時間以内で上って下りるという不可能と思える記録を達成すると、ライバルや若い後継者たちは「自分もやれる」と意識が変化し、脳が生命維持のためにかけるリミッターを克服するようになり、やがて超越する者が続くだろうと説明
番組では朝原宣治氏が出演し、このリミッター解除説に賛意を示します。
陸上界では桐生祥秀選手の存在が、10代の若い選手たちに「自分もできる」」という自信を与える存在となっていて、レベルが著しく向上していると語る場面が紹介されました。
つまり、記録、技術、メンタルで一線を超える選手が出現すると、特に自国の若い選手たちには、「超えるべき目標」となり、脳が「これ以上やると生命に関わりますよ」とかけるブレーキを解除する術を体得し、競技力向上が続くことになるということ。
命に係わるかどうかはともかく、ブレークスルーがあると心理的なリミッターが解除され、トレーニング方法の革新が重なり、次世代の選手にとっては高いレベルの技ができて当たり前になる例は多数だと思います。
フィギィアスケートでは
「ビールマンスピン」を子どもたちが普通にこなしているし、男子は4回転、女子は3回転が飛べてなんぼの世界になっているようです。
(すみませんスケートは詳しくありません)
モーグルでは、
長野オリンピックの覇者ジョニー・モーズリーがソルトレークオリンピックで3Dエアの扉を開けると、すぐに3Dエアが正式解禁され、いまや男子はコーク1080(体を横にしての3回転)、ダブルフル(伸身後方1回転2回捻り)が飛べて初めてトップに立てる状況です。
※補足説明:
モーグルが競技として成立する過程で安全のため縦回転は禁止されました。
ルール上「スキーが頭部より高い位置を通過してはならない」とされていましたが、ジョニー・モーズリーはソルトレークで認められた特例(事前にジャッジに申告する)により、回転軸を斜め横にした3Dエア(コーク720/上村愛子選手も得意にしていた技)を成功させるも、採点基準がなかった(加点されない)ことから、残念なことに4位でした。
マラソンでは
ハイレ・ゲブレセラシエが2008年ベルリンで3分台を出してから、次々と3分台を出す選手が出現し、昨年のベルリンではついにデニス・キプルト・キメットが2時間02分57秒と、わずか6年で一分以上短縮されたことになります。
結論としてスポーツの進化は
1)テクノロジーによりウェアや道具の性能が向上
2)科学的トレーニングが進歩
3)競技に適した体格を持つ者の競技人口が増加
4)時の強者に対抗するために技術や戦術が進化
5)意識の持ち方で限界を超えることが可能に
といくつかの要素が重なることで向上することになるようです。
マラソンに話を戻すと、
日本では政令指定都市、県庁所在地のほとんどでハーフ以上のマラソン大会が開かれているといってよく市民ランナーの数はうなぎ上りで、フルマラソン完走者は2013年には28万人を超えたそうです。
2008年には15万人弱だったので、わずか5年で倍増したことになります。
つまり国民400人につき1人がフルマラソン完走者ということになり、早晩300人に1人、200人に1人という時代がやってくるでしょう。
親兄弟がマラソンランナーという環境が子供たちの刺激となり、世界トップに迫る選手が現れる基礎が出来てきていると思いたいものです。
4日夜にNHK-Eテレで放送されたスーパープレゼンテーション
「スポーツ選手はどこまで進化するのか?」を見ました。
米ジャーナリストのデビット・エプスティーン(「スポーツの遺伝子」の著者)が
スポーツ選手は本当に進化しているのかというテーマでプレゼンしたものです。
まず最初に、
成績向上はテクノロジーの進化やルールの変化が寄与している部分が多いことを説明しています。
過去の世界記録保持者が現代の器具やフィールドで戦ったら現代の王者とほんのわずかの差であるというシミュレーション結果などを紹介
1936年ベルリンオリンピック100m走王者のジェシー・オーエンス(記録10秒2)が、ウサイン・ボルトと現代において同条件で競争したら、その差はたった1歩であるという分析結果を説明。
自転車レースでは著しい記録向上があり、安全対策のため40年前とほぼ同一ルールに改正したら過去の名選手エディ・メルクスの記録よりほんのわずか速かっただけだった事例を紹介
ようするに記録は機材の進化が支えていたと説明し、本当にアスリートは進化しているのか?
と問題を提起します
次いで、マラソンについて言及
最近のマラソン界はケニア人が席巻していますが、ケニア人といっても「カレンジン」という民族がそのほとんどを占めることを説明
彼らはケニア人口のわずか12%しかいない民族だそうですが、
暑く乾燥した台地で生活するうちに火照った体を早く冷やせるよう表面積を増やし、頭部や胴を熱い地面から離すため脚が長くなり、細い脚は長時間効率的に動くのに都合がよく、速く走ることができるのだと説明
マラソンでの成功者が富を得ると、それに続く者が次々とマラソンにチャレンジし、好成績を出す者が続出したと説明。
どれくらいすごいのか?
アメリカ人で2時間10分を切ったランナーは歴史上17人しかいないが、カレンジンは一昨年10月だけで32人が達成したと紹介。
要するに
種目に適した体系を持つ人の競技人口が増え、
トレーニング技術の向上が組み合わさることで、
記録が向上する
と説明しているのです。
長くなったので、続きはまた明日