雲の多い空(天上)から漏れこぼれる光。
一枚の巨大な葉が、あたかも樹木であるかのような存在感をもって荒れ地に立っている。光りを通さない厚みがあり、硬質に見える。
山々の景は高地を思わせ、草は一本も生えていない。岩石だらけの生物を想像できない荒地である。
地表を照らす明るい光を含む白雲、しかしその上方には暗雲が垂れ込めている。
この景を指して『空気の平原』と名付けた根拠はどこにあるのだろう。
もちろん空気は見えないから、描かれていない領域が、空気の平原ということになる。しかし空気というものはどんな小さな窪みにも存在する。平原などということとは無縁ではないか。
地球の大気圏において、生物が必須とする空気の有り様。
唯一、宙遠くから地球を眺めたら空気は平原に見えるかもしれない。
超未来において、人類は滅亡し、一枚の肥大化した葉だけが残った景なのだろうか。何もかもが消滅するかもしれない超未来。空気の冷却である氷河期、マグマの噴煙による熱気の充満・・・予測のつかない地球の変遷…その果てに残るもの。
岩石だらけの山成す大地、そこに立つ肥大化し、ひび割れた過去の遺物である人類の遺した観念(信仰)が、なお根強く痕跡を示して在るという景。空気を圧するほどに、人類の抱いた精神は残存するのだろうか。
空気は見えない。雲間からの光/屈折により現出する空気の層。通常見えないが、確かに存在する。見えないが、存在する強靭な精神界。見えない空気の層に立つこの巨大化した一葉は、見えないはずの精神のモニュメント/金字塔である。権力と換言出来得るこの象徴は必ずしも自由平等をもたらさない暗雲を秘めている。自然(空気)に拮抗する人心の存在論的な罪過の暗示かもしれない。
精神界は物質界を凌駕する。やがて来るかもしれない滅亡の果てにも、見ることの適わない空気と共にその平原に鎮座するのではないか。
空気の平原…精神は地の果てまでも主張する幻の巨人である。もし見えるとしたらこのような景ではないかとマグリットは提示する。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
一枚の巨大な葉が、あたかも樹木であるかのような存在感をもって荒れ地に立っている。光りを通さない厚みがあり、硬質に見える。
山々の景は高地を思わせ、草は一本も生えていない。岩石だらけの生物を想像できない荒地である。
地表を照らす明るい光を含む白雲、しかしその上方には暗雲が垂れ込めている。
この景を指して『空気の平原』と名付けた根拠はどこにあるのだろう。
もちろん空気は見えないから、描かれていない領域が、空気の平原ということになる。しかし空気というものはどんな小さな窪みにも存在する。平原などということとは無縁ではないか。
地球の大気圏において、生物が必須とする空気の有り様。
唯一、宙遠くから地球を眺めたら空気は平原に見えるかもしれない。
超未来において、人類は滅亡し、一枚の肥大化した葉だけが残った景なのだろうか。何もかもが消滅するかもしれない超未来。空気の冷却である氷河期、マグマの噴煙による熱気の充満・・・予測のつかない地球の変遷…その果てに残るもの。
岩石だらけの山成す大地、そこに立つ肥大化し、ひび割れた過去の遺物である人類の遺した観念(信仰)が、なお根強く痕跡を示して在るという景。空気を圧するほどに、人類の抱いた精神は残存するのだろうか。
空気は見えない。雲間からの光/屈折により現出する空気の層。通常見えないが、確かに存在する。見えないが、存在する強靭な精神界。見えない空気の層に立つこの巨大化した一葉は、見えないはずの精神のモニュメント/金字塔である。権力と換言出来得るこの象徴は必ずしも自由平等をもたらさない暗雲を秘めている。自然(空気)に拮抗する人心の存在論的な罪過の暗示かもしれない。
精神界は物質界を凌駕する。やがて来るかもしれない滅亡の果てにも、見ることの適わない空気と共にその平原に鎮座するのではないか。
空気の平原…精神は地の果てまでも主張する幻の巨人である。もし見えるとしたらこのような景ではないかとマグリットは提示する。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)