日の出、あるいは日の入りの赤い太陽。そして地上の岩石、岩石に支えられ立つ石化した巨大なリンゴ。
この光景が、なぜ『誓言』なのだろう。
リンゴは知恵の実とされている。一つの観念ではあるが、多くの人の心を捉え、納得・肯定された知恵/英知の象徴である。
もちろん、人智の為せる業の象徴でもある。
石化…この観念の象徴が果てしないほどの未来において硬直し、無機化している未来の想像図。
しかし、太陽は泰然と世界を照らし続けているに違いない。
この対峙物に誓言があるのだろうか。
あるとすれば、自然の無言の誓言である。自然淘汰・・・。
あるがままの自然は、リンゴ(信仰)からの約束を遥かに超えてしまうという自然の理にほかならない。
神への誓言は永遠と同義語に思えるが(果たしてそうだろうか)、答えは明明白白ではないだろうか。
イメージ・言葉・観念の巨大化に対する、マグリットの静観である。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
この光景が、なぜ『誓言』なのだろう。
リンゴは知恵の実とされている。一つの観念ではあるが、多くの人の心を捉え、納得・肯定された知恵/英知の象徴である。
もちろん、人智の為せる業の象徴でもある。
石化…この観念の象徴が果てしないほどの未来において硬直し、無機化している未来の想像図。
しかし、太陽は泰然と世界を照らし続けているに違いない。
この対峙物に誓言があるのだろうか。
あるとすれば、自然の無言の誓言である。自然淘汰・・・。
あるがままの自然は、リンゴ(信仰)からの約束を遥かに超えてしまうという自然の理にほかならない。
神への誓言は永遠と同義語に思えるが(果たしてそうだろうか)、答えは明明白白ではないだろうか。
イメージ・言葉・観念の巨大化に対する、マグリットの静観である。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)