続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『泳ぐ犬』付記

2015-08-30 06:07:23 | 美術ノート
 

 犬を描くのに、泳ぐ状態を描くというのは奇異である。第一、犬全体の様相が見えない。
 しかし、
 あくまでも「犬とわたし」という相対関係の間に起きる波動が前提であって、犬が近づいてくる距離の収縮に起きる変化、散乱する光や空気の振幅への眼差しに焦点は存在している。
 作家は、泳ぐという現場(流体)に等しく空気の流動があると考え、その関係性を問うために『泳ぐ犬』を提示したのだと思う。

 犬が泳ぐとされる場(液体)は古い角材であり、傷や凹みがそれとなく時間を感じさせている。即ち、生きた時間の経緯である。

 泳ぐという抵抗のある現場であれば、必然的に多量のエネルギーが発散される。犬により放出されたエネルギーが空気の質を変容させ、手前で見る者を刺激するという関係性は、均一の空気をもたらさない。
 刻一刻、さらに細分化される空気の質。振動は電子レベルでは賑やかな波動を起こしているに違いない。


 作家は『泳ぐ犬』において、《変化する空気感≒人生そのものの縮尺》を感じたのではないか。『泳ぐ犬』は一つの尺度になりうる、計算不可の尺度である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』63。

2015-08-30 05:41:36 | 宮沢賢治
ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののやうに、長くぼんやり、うしろへ引いてゐたジョバンニの影ぼふしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまはって来るのでした。


☆伝える等(平等)の法(神仏の教え)は化(形、性質を変えて別のものになる)の考えで帳(ノート)に印(しるしをつけて)営(こしらえる)。
 能(成し遂げる力)を克(じゅうぶんに)測(予想すると)、真(本当)の応(こたえ)である法(神仏の教え)の雷(神なり)がある。。

『城」2068。

2015-08-30 05:31:42 | カフカ覚書
「なぜいつまでもおなじことばかり訊くのか、ぼくにはわかりかねるね」と、Kは答えた。「もうこれ以上お邪魔しているわけにはいかない。家では許婚者が待っているんでね」
 アマーリアは、肱をついて身をささえ、そんな許婚者のことなんか知らない、と言った。Kは、フリーダの名前を言ってやったが、そんな人はしらない、と言うのだった。


☆「なぜいつまでも同じ質問をするのか、わたしには分からない」と、Kは言った。「もう長く留まるわけにはいかない、わたしの故郷で企み(計画)が待っているのでね」
 アマーリア(作り話/マリア)は不合理をいいことに、そんな企てのことなんか知らない、と言った。Kはフリーダ(平和)の名前を言ってやったが、そんな人は知らないと言うのだった。