螺旋状に削られた円錐形。線状は上部に向かって上りきるように連続している。トップの狭い面は鋭角ではなく平らに見える。
作品を見る視線は上部へ導かれるが、下部(床面)へと下降していく視線の動きも同時に含まれる。一本の線状は上下の動きを含み、見る側の視線も上下の運動を視野に収めることになる。
それはこの物の総体を眺めることができるからで、この物の一部に立ち、視野を塞がれてしまえばそれはまた違う景色として現存することになるはずである。
眼で追うことの出来る視界は、距離と遮蔽物の有無によって決定されるが、作品の提示は在るという事実のみに集中することが可能である。
実体とそれが引き起こす空想の間には曖昧な揺れ(振動)が生じ、《もし》を限りなく広げていけば、それは、自身の所有しうる空間となる。
見る者と対象物の間には距離という不確定な空間が常に存在している。
それを作品として固定する作家の意思を、可能な限り感じ得ることが出来ればと思う。
風景は表裏を見せない。この作品は隠されたもう一つの世界を手探りする試行の始まりではないか。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)
作品を見る視線は上部へ導かれるが、下部(床面)へと下降していく視線の動きも同時に含まれる。一本の線状は上下の動きを含み、見る側の視線も上下の運動を視野に収めることになる。
それはこの物の総体を眺めることができるからで、この物の一部に立ち、視野を塞がれてしまえばそれはまた違う景色として現存することになるはずである。
眼で追うことの出来る視界は、距離と遮蔽物の有無によって決定されるが、作品の提示は在るという事実のみに集中することが可能である。
実体とそれが引き起こす空想の間には曖昧な揺れ(振動)が生じ、《もし》を限りなく広げていけば、それは、自身の所有しうる空間となる。
見る者と対象物の間には距離という不確定な空間が常に存在している。
それを作品として固定する作家の意思を、可能な限り感じ得ることが出来ればと思う。
風景は表裏を見せない。この作品は隠されたもう一つの世界を手探りする試行の始まりではないか。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)