続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『追憶』

2015-08-09 06:34:52 | 美術ノート
 古代彫刻の石膏像(頭部)は、明らかに女の人である。目は伏せられ、こめかみには血がしたたり落ちている。石膏(無機質)から出るはずのない赤い血。悲しみの象徴としての赤い血だと思うけれど、外部からの攻撃の暗示かもしれない。
 傍らには鈴、これは《言葉の具現》だと解釈している。
 そして板の塀。向こうは隠蔽されていて見えない、こちらとあちら…過去と未来、過去と現在・・・空間はつながっているけれど、年輪(年月)を暗示する板により遮られている。

 天空には幾切れかの雲の散在、青空(日中)に見えるが、なぜか星が見える奇妙な空。昼と夜の重複、つまり有り得ない架空の空である。


 この有り得ない奇妙な時空のもと、石膏像の頭部が置かれているので、この頭部の追憶のように感じるけれど、この絵全体で思いを馳せるための一つの疑似空間を造っているのではないか。

 この空間全体が人為的なのである。全てが人の思惑によって出来上がった集合体である。

『追憶』というからには過去を想っているのに違いない。
 板塀には起点の杭がある。遠近法で描かれているが、ずっと向こうには何もなく、地平線が見えるのみである。この地平線は、もしかしたら《存在の始まり=原始》であり、遥か遠く限定できないほどに続く空漠に見える。
 板塀の始まりは何を示唆しているのだろう。《ここから始まった》という印象。板、年輪・・・人の手の力による板塀は何を暗示しているのだろう。
 その陰に傷つけられた女人の頭部。

 女の人権かもしれない。

 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り・・・(略)男から取ったものだから、これを女と名づけよう。(創世記より)


 何気なく読んでいるけれど、これは相当に悲しい。女の尊厳はどこにあるのだろう。
『追憶』はこうした風景をも想像出来得る範疇の作品であり、自由・平等・人の起源(そして言葉による起源)を追憶した提議である。


(写真は『マグリット』㈱美術出版より)

『城」2047。

2015-08-09 06:16:17 | カフカ覚書
けれども、これは、どうもありがたくない贈物だ。この贈物のおかげで、いろいろと磯を付いたり、隠密行動をするようなことは、しないですんだが、反面では、ほとんど無防備状態になり、とにかく戦うには不利な立場におかれてしまった。


☆しかしながら、これは先祖のひどい贈物だ。このおかげで嘘や隠し立てwするようなことは免れたが、ほとんど無防備での戦いは、絶望的になってしまった。