そして不思議さうに、
「今度は合ってゐるな。」とつぶやきました。
☆普く詞(言葉)を疑う。
混(まぜた)図(企て)を合(一つにする)
『前兆』
何の前ぶれ、兆しなのだろう。閉ざされた空間(洞窟)から鷲が翼を広げた形状の山稜を見る構図である。人工的なものがない・・・原始(未開)を提示している。
鷲が翼を広げているという認識、見たものにもう一つの映像を重ねる・・・空想、イメージの始まりである。それは原初から人間の視覚に備わった機能、脳の働きであり、むしろ直感とも言える作用である。
浮遊の雲を何かになぞらえるという意識は、意図せず生じる感性であり、ごく自然な心理の流れである。
わたし達は、対象を否応なく見るが、その対象をまるで質の異なるものに変換して見ることは可能であり、潜在意識の中の交換である錯視は本能の領域にある。
イメージ、実像と虚像を行き来する心理。
AをBと錯誤すれば、それはB以外の何物でもなく、Aは主観的には否定され消し去られてしまう。客観的には明らかにAであるにもかかわらず。
『前兆』とは、原始の昔から人間の存在と共にある《見ることの曖昧さ=イメージ》に発しており、その前提のもとに人は対象を臨み見ている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
もう決定した そつちへ行くな
これらはみんなただしくない
いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
発散して酸うたひかりの澱だ
☆訣(人と別れる)定めの講(話)で、秘(人に見せないようにする)考えである。
新しい講(話)は、初めに散(自由気ままに)算(見当をつけて)転(ひっくり返す)。
思い違いだよ、フリーダ。それが、ぼくたちの最終的な合一を妨げていた究極の困難、しかも、正しく見れば、なんとも見下げはてた困難にほかならないのだ。さあ、正気にかえるんあ。しっかりするんだ。きみは、あの助手どもがクラムから派遣されたものだとおもっておた(実際は、まるでそうじゃない。ガーラターのところから来たんだ)。
☆思い違いだよ、フリーダ。わたしたちは蔑まれるような困難を、ただしく注視することをしなかった。あの助手どもはクラム(氏族)から送られて来たと思っているが、まったくそうではなく、ガーラターのところから来たんだ。