続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『耕耘部の時計』㉟

2018-10-03 07:23:25 | 宮沢賢治

 午の食事が済んでから、みんなは農夫室の火を囲んでしばらくやすんで居ました。


☆語(言葉)による自記、辞(言葉)による済(救い)がある。
 納(おさめる)符(記号)の質(内容)は、化(教え導くこと)であり、意(思い)を据えている。


🈞マグリット『空気の平原」

2018-10-03 06:43:11 | カフカ覚書

   『空気の平原』

 空気…気体に平原などということがあるだろうか。重みがあるから上空は薄くなり外気圏へと移行するが、その境界が平原だとは聞いていない。針の孔ほどの隙間にも侵入するものであり、物質間を埋める見えないものが空気である。

 その見えないものの平原は、有り得ない。
 岩地(荒地)に一本の樹が聳え立っているが、よく見るまでもなくわたし達が知っている樹形ではなく、一葉の巨大化したものが樹に見える状況に置かれ、それを一本の樹だという認識に強いている。
 遠く重なる山稜が霞んで見え、空は微妙に暗雲が垂れ込めつつある状況。樹のある根本あたりの岩地は確かに平らかであるが、この部分を以って平原とは言い難い。 
 巨大化した一葉の葉は質的変換を施されておりヒビが入っている。植物の条件を外され、何物かであるという確定も不明なままの対象物は、《樹のような一葉》という怪奇な物として落着される。

 要するに条理を外した、絶対100%あり得ない物としての対象物である。
 故に、空気の平原なども、絶対100%あり得ないものであるという主張が潜在しているのではないか。

 しかし、《物質界ではあり得ないことが、精神界ではまかり通る》
『空気の平原』と言えば、空気の平原であるという主張は否定されるべきものではない!

『空気の平原』とは、表現の自由であり、精神の開放である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より


『小岩井農場』113

2018-10-03 06:27:09 | 宮沢賢治

  それをある宗教情操とするならば
  そのねがひから砕けまたは疲れ
  じぶんとそれからたつたひとつのたましひと
  完全そして永久にどこまでもいつしよに行こうとする


☆終わりを恐れる常は、総て猜(疑う)悲しみからきている。
 換(入れ替え)繕(つくろい)営(作り)究(きわめる)講(話)である。


『城』3040。

2018-10-03 06:10:22 | カフカ覚書

それにしても、あれは、たかが馬丁風情の若造にすぎないのさ。ただ馬丁ほど健康ではなくて、ちょっと新鮮な空気にふれただけで病気になり、ベッドにもぐりこみやがる。もっとも、馬丁ふうの悪知恵で、もぐりこむベッドをさがしだす手だけは心得ていたらしいがね」


☆しかし、権力で押さえつけられ(心身を)きたえられた若者(仲間)である。彼らほど丈夫でなく、新しい空気に触れただけで悩み病気になり祈るようになる。もちろん、理解を求める要領の良さはあるけれど。