『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡を吐きました。
☆質(内容)は法(神仏の教え)の律の講(話)である。
解(バラバラ)に視(よく見ると)教(神仏のおしえ)がある。
語(言葉)を録(文字に記し)留める方(方法)の図りごとである。
『応用弁証法』
一枚の絵の中に対照的な二つの場面が描かれている。左は戦闘態勢、これから敵へ向かっていくシーンであり、右は戦禍に打ちひしがれ故郷へ帰還していくシーンである。
どちらが先というのではなく、繰り返される歴史の総括かもしれない。
左の画面には命令により揃った脚並の兵隊軍が見える。没個性、目的(勝利)のために、兵隊は人間としての自由を疎外された道具と化している。戦車一台は大勢の軍勢に匹敵する威力を持っているかに見える。(つまり人間の一存在の脆弱さ)
飛行機・戦車・軍隊…国家の指令のもと一丸となり、攻撃・征服・勝利を洗脳されて突き進む。
敗戦による対極的な無産状態。
どちらかが勝てば、どちらかは負けるのである。暗雲…力なく歩む大衆は人力によって帰還、あるいは生きるための新地を目指していく。
戦争のもたらす悲劇。
この相反する二つのシーンから得る答えは見つけられるだろうか。
自由の剥奪、エネルギーの大量損失、未来への明るい展望は見えず、生産性のない景色である。
自由・解放・平和な日常への憧憬、歴史の足跡は成熟へと向かいうるか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
俄かに誰かがクスクス笑ひました。みんなは続いてどっと笑ひました。すっかり今朝の通りです。赤シャツの農夫はきまり悪さうに、急いで戸をあけて脱穀小屋の方へ行きました。
☆我(わたくし)は遂(やりとげる)。
章(文章)に属(たくして)傷(心を痛めた)魂(精神)を徴(あつめる)。
二つの釈(意味を明らかにする)を納(受け入れ)、普く和(争いを治め)救(助ける)図りごとである。
脱(自由になり)照(あまねく光が当たる=平等)を憶(思いめぐらせる)法(神仏の教え)の講(話)である。
すぐには気づきませんが、人間、ほんとうにくだらぬことのために健康をつぶしてしまうものですな。
☆どうでもいいようなことですが、事件の罪深さを開示しなくては真の意味はありません。