「さうかい。六原に居たんぢゃ馬は使へるだらうな。」
「使へます。」
「いつまでこっちに居る積りだい。」
「ずっと居ますよ。」
☆録(記す)言(言葉)に拠る目(ねらい)は、詞(言葉)を試みることである。
拠(よりどころ)は、積(つみ重ねたもの)が挙(すべて)である。
占いとは、現時点より先(前)の時空の変転を予想することであり、因果関係はあるかもしれないが、過去とは無縁である。
未来への期待と恐れが交錯する心理は闇の扉を覗くようなもので、本来見えない。見えないものを見る作業である。
鼻を利かせる、という勘働き。
過去を探り、未来へと結びつける。手相などの相の変化をデータ化し確率論で言及する。あらゆる試行錯誤による(占い)という作業の虚実混合の応答は心理学上のイメージの交感にすぎない。
荒唐無稽、仮想の空論・・・無を有のごとくに推測する。
巨大な鼻が身体を離れて独立することはあり得ない。にもかかわらず、人の鼻であると認識し、それ以外のものに結びつけることは出来ない。人の鼻であることから他の発想へ飛ばすことは難しい。(どう見ても鼻以外のものに結びつかない)
『占い』とは、経験した情報の集積から飛躍することは困難であって、背後に空想(虚偽の一葉)が控えていても、この重力下にある存在という条件(真理・道理)に外れることはないのだろうか。鑑賞に値するとは思えない(鼻)という造形物、変哲のない時空が未来(占い)に対する答えだろうか。
否、鼻の独立(?)巨大化が事実ならば、それは天地がひっくり返るようなパニックを引き起こすに違いない。
『占い』とは、時空を押し広げ物理的環境を自由に操作する無限性を潜在させている。占い≧現実であるが、証明の是非は求められない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
これら実在の現象のなかから
あたらしくまつすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
☆実(真心)が財(宝)の元(根本)であると章(文章)に記す。
冥(死後の世界)である天(天上の世界)を目(注意して見ると)赦(罪や過ちを許す)講(話)であり、目(見方)は酷(容赦なく厳しい)律の考えである。
そのとき、脇廊下のほうでわめき声がした。イェレミーアスだった。彼は湧き廊下へ降りていく階段のいちばん下に立っていた。シャツを着ただけだが、そのうえにフリーダの肩掛けを羽織っていた。
☆出口の方で叫び声がした、イェレミーアスだった。来世の一番下のところに立っていた。制止したが、フリーダを味方にするためだった。