「さうか。」農夫長はだまってしまひました。
一人の農夫が兵隊の古外套をぬぎなあら入って来ました。
☆納めるものは普く帖(ノート)に逸(隠した)図りごとにある。
納めるものは普く蔽(見えないようにした)他意である。
個(一つ一つ)の我意は等(平等)であり、新しい記である。
画面中央に《鼻》が鎮座している。
鼻はなぜ鼻以外のものに見えないのだろう、まるで鼻であり続けるといった風である。鑑賞者にとって(鼻)は意識するしないにかかわらず、(鼻)というイメージを変容することはできない。それは日常的に強力な認識下にあって、律とも言える観念である。
観念…思い込み。
背後にある一葉にも見える樹(よく見ると樹の根を模している)は複合的に否定されるべき怪奇な創造物であるが、究極、一本の樹にみえてしまう。
このトリックは、経験上の認識・観念が対象(景色)を見るときの律になっているからで、それ以外のものに譲歩できない傾向にある。
ずっと遥か向こうに水平線が見えるが、これは重力下の地球における律(真実としての基準)である。
空の暗雲は、晴雨どちらをも予想させる不可解な曖昧さや不穏を暗示している。
『占い』とは、どんなに空想の翼を広げて見ても、現実的な観念から解放されることはなく、臭覚(感覚)呼吸(生命)の域をでることもない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
もうけつしてさびしくhに
なんべんさびしくにと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここhこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる
☆薀(奥義)を秘(人に見せないように隠す)章(文章)は、粉(入り混じって区別がつかない)答えの妙(不思議な)記である。
照(あまねく光が当たる=平等)を運(巡らせていると)の祝(神に申しあげる言葉)である。
髪はくしゃくしゃで、薄いひげは濡れ、哀願と非難をこめて眼はかろうじて大きく見開き、黒い頬は、赤らんでいてが、ぶよぶよの肉でできているみたいだった。
☆大群を引き、雨で台無しになった貧弱な小舟を哀願と非難を込めて見ていた。暗い円天井は赤みが差し、ど外れて脆く出来ていた。