床の振動を吸収しないように対象は底を上げ、紐にぐるりと巻かれ内部は被われている。(秘められたる)というのであれば見えない領域にあるということである。
『秘められたる音』は隠蔽され、見えないように隠している。
しかし、見えていないものを隠すとは何だろう。作家はこの作品のなかに在るとは断言していない。音は元来見えない。
むしろ《音は見えない》ということの認識である。音源の方向は確かに在るが目に映る感知は物理的現象に他ならない。音が自ら能動的に発せられることは皆無であり、物理的な原因があって初めて生じるのである。
音には物理的な音と、精神的な音があるかもしれない。学習された経験上の中の音、つまり記憶の音であり、精神的なリズムに共鳴するような主観的な音である。
『秘められたる音』は、その記憶を叩き揺さぶっている。
有無は謎である。しかし、鑑賞者はその目で探索する、決して見えない音を脳裏に巡回させるのである。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより
「人影が見えたと思うと、『宮地やよいとこじゃ阿蘇残ふもと』という俗謡を長く引いて丁度僕らが立ている橋の少し手前まで流して来たその俗謡の意と悲壮な声とがどんなに僕の情を動かしたろう。
☆訊(問いただして)営(つくる)。
兼ねることの試み。
究(つきつめる)字の亜(次の)組(くみ合わせ)の算(見当をつけ)属(頼む)要を調える。
陰(かくれたもの)を聴くことに努める。
目(ねらい)を問う律(決まり)に教(神仏のおしえ)がある。
章(文章)の趣(考え)は、全て縷(細く長く連なる)に頼っている。
属(頼む)要の意(考え)は秘(人に見せないように隠して)総て消えている。
目(ねらい)は常に同(平等)である。
たとえ夫婦が一致して反対しても、そんな目に会わされるようなことがあってはならないぞ。彼は、樽のうえで海老のようにからだをまげて、ふたりの様子をじっと見つめていた。
☆夫婦が一致して対抗してきても、何も起こらないように、彼は二人の外面上の馬鹿騒ぎを見ていた。