『パリの空気 50㏄』
レディ・メイド:ガラス製アンプル
ガラス製、透明な容器にパリの空気が入っているという、しかも50㏄。
空気は見えないから、それが(パリの空気)だと言われれば、パリの空気ではないと否定できる証拠がない。高さ13.5㎝.円周20.5㎝の容器に50㏄の空気が入っているということは混入しているということであるが、見えないものは分けることが不可能である。
見えないものに対する判別は困難である。たとえばこの中に(神)が潜んでいると言われれば、疑惑を抱いても全面的に否定はできない。日本的な感覚すれば神は《万物に宿る》とさえいわれ、見えないものに対する畏敬の念は消し難い。
物理的な測定は見えること、形あるものに限られる。
空気は確かに存在し、ないところでは生きられないが、見えず、形を持たないという条件下では測定は不可能である。「パリの空気」などと命名しても、その虚実に答えは見いだせない。「パリの空気」のような感覚を脳裏に刻む空想はあるかもしれないが、笑止、誤作動に過ぎない。
しかし、人は過去のデータの集積により思い描くこと(空想)を可能とする。言葉はイメージを想起させ、あたかも有るような錯覚を確信させる力がある。
最初に言葉ありき・・・『言葉と物』との関係性を衝いている。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより