秘められたる音、音を完全包囲してどこにも洩れないように図る。意味があるだろうか。秘密の通信というのでもなく、単独に無に帰すような提示である。
秘められたる、つまり作為を以て隠蔽された音という極めて虚無的で神経質な作品を前にして鑑賞者は戸惑いを隠せない。(この中に何かある、否、無いんだな)という感想は、作品との距離に微妙な空気を醸し出す。
肯定と否定の逡巡。秘められた音に思いを馳せる、それは鑑賞者自身の持つ音の余韻あるいは記憶であり、音に対する情報の浮上である。
見えないこと、聞こえないこと、触れられないこと・・・感覚への刺激は皆無である。にもかかわらず、秘められたる音への関心はこの作品に集中する。
『秘められたる音』という言葉、真鍮板で挟まれた紐の玉の作品(対象物)によって《音》が作り出され、身体に刻み込まれた感覚を呼び覚ます。
《言葉と物》の作用は、見えない現象を引き起こすことの証明である。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより
二十四五かと思われる屈強な壮漢が手綱を牽いて僕等の方を見向きもしないで通ってゆくのを僕はじっと諦視めていた。
☆字を自由に使い、語(言葉)を試みる。
苦痛の業(前世の悪行の報い)は総て換(入れ替わる)趣(考え)である。
講(話)に兼ねる目(ねらい)は、道(神仏の教え)である。
法(神仏の教え)を兼ねた講(話)はツー(two)の目(ねらい)がある。
訂(正す)旨(考え)である。
すると、お内儀はKがさっきから気づいていた異常なほどの神経過敏さで突然亭主のそばを離れるとー彼女は、このときはもう亭主とほかの話をしているようだったー
☆すると、女主人は昔から人を驚かせていたこと…突然傍に歩み寄り普通でない受信(みもごる?)をした。主人はすでに他のことで了解していた。