続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『旅行者用折り畳み品』③

2020-04-17 07:08:32 | 美術ノート

 旅行者、換言すると所在不明者であり、存在しているが解放され自由な異邦人である。現場証明が困難であり、確かに居る(存在)と思えば、すでに他所へ移動しているかもしれない不明を抱えている。

 その旅行者専用の「折り畳み品」、折り畳めるタイプライターはないが、カバーをかけた状態のままのカバーの内部は見えず、あたかもタイプライターが内在しているかに見える。本来カバーはそういうものだからである。
 しかし(折り畳み品)と命名したことであるべき本体は霧消してしまう。この本体の欠損した折り畳み品に存在価値はあるだろうか。

 鑑賞者は、カバーの中には当然本体(タイプライター)はあるはずだという思い込み、確信を消去できず、常にカバーは本体と一体であるとどこかで信じている。この消し難い思い込みの矛盾、脳裏は過去の情報をかかえ整理し正解を導き出すための作用を怠らないが、物理的な条件を検証しない限り判定を下せない。

 曖昧模糊・混沌は、空無と領域を重ねる。所在を明らかにしない旅行者は折り畳み品(タイプライターのカバー)を携帯して不明の領域に解放されている。

『旅行者用折り畳み品』は、デュシャンの化身である。存在しているが不在であり、不在であるが存在しているしかないデュシャン自身である。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより


『城』3401。

2020-04-17 06:43:50 | カフカ覚書

彼女の悲しげな様子は、彼女がこのまえのときよりもずっとおめかしをすることを妨げていなかった。髪の毛にたくさんの編み目をこしらえ、リボンをとりどりに編みこんであった。


☆悲しみはもちろん妨げにはならなかったが、もしかしたら今でも以前の傷痕を身につけているのかもしれなかった。大勢の人たちを取り込み罠を織り込んでいた。