「ある」か「ない」か、それが問題だ。
高さ13.5㎝、円周20.5㎝のガラス製アンプルの中にパリの空気50㏄が入っているという。
見えない対象に決定を下すことは困難である。
タイトル(言葉)は断定している。内実に等しいという前提のもとに言葉はある。しかし言葉は正負の領域を行き来する。
透明なガラス製アンプルを凝視すれば中身は見える、見えるが空気は見えない。見えないものは解放されており、自由である。
見えない対象は見えないという意味において隠れている。決して見いだされないという絶対の庇護がある。
元来、神は見えないものであった。模ることを許さない対象としての存在である。この見えないものの中に潜む善悪、判定は現象として人々の前に現出した時にのみ感じ得る、媒体としての空気(見えないもの)である。
現今の新型コロナウィルスの正体、明らかに物理的根拠のある害毒である。人から人への飛沫感染、「換気し風(空気)を通せ、密になるな!」と世界中で厳命が下っている。
見えないものへの畏怖。
「ない」が「ある」、在るが見えないものの暴挙、鎮静は抗体ができるまでなどとも囁かれる疫病の恐怖。
見えない対象(空気)への畏怖。
言葉、『パリの空気50㏄』は想像を誘導するが、断定を必ずしも受け入れない。言葉と見えないものとの亀裂ある空間は精神界のみで融合するものだからである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより